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長編|恋愛ファンタジー|影響力でなく利用価値だろ?-16-


 石造りの城内は大分太陽が高くなってきているにも関わらず、涼しく、快適であった。この五日間、炎天下の中でわずかにできた日陰に身を寄せ合って眠ってきた一行にとってはそれだけでも十分にありがたい。

 焼いた羊肉のざくろソースがけ、トマトと野菜のシチュー、バターライス、オイル漬けの魚に香草をまぶして焼いたもの、白黒二色のパン。それに、薔薇水、チーズ、熟した果実。そして、よく冷やされた麦酒と葡萄酒──。

 ランドは本来ならば王子殿下の御前に出せないような庶民料理であると言ったが、一同に供された食事は急ごしらえとは思えないほど行き届いていた。

 給仕の女官を下がらせ、四人だけになるとメイラは早速毒見をしようとしする。

「お待ちを」
 それをリドルフが制した。

「私のからだは毒に慣れています。ある程度は口に入っても問題ありませんし、何かが混じっていればすぐに分かります」

 毒味ならば任せろ、とリドルフは言っているのだ。しかし、メイラはそれを肯じられなかった。

「私たちは傭兵です。いくらでも替わりがいます。けれど、王子殿下の信頼のおける従者殿はメイラ様しかいません。違いますか?」

 この青年の言うことはどうしてこうも簡単に人の心をほぐすのだろうか。まるで、そこを突けば崩れるというのが分かっているように、静かに心地よい声音でそれを言うのだ。

 メイラの良くも悪くも頑なな性格をよく知るハルは、彼女が黙したまま手にした匙を置いたのを、感嘆として見ていた。

 リドルフは全ての料理を少量ずつ口に入れ、慎重にそれを吟味した。そして、しばし後三人に向かって頷いてみせる。その結果におおいに喜んだのはセティであった。異国の料理の数々を皿に取り分けて、つぎつぎに口に運ぶ。すらりと均整の取れた細身の体からは想像もできないような量が、瞬く間に飲み込まれていった。しかしその動作は粗野というのには無縁で、どこか品があるのが妙だ。

 それと対照的なのはハルだ。セティのようすを微笑ましく眺めながら、自身はいっこうに料理に手をつけようとしない。

「ご気分がすぐれないのですか?」

 リドルフの問いにハルは薄く笑って首を振る。

「ただ、シノレ公の城でさえ料理の毒味をせねばならないということが、悲しいのです」

 このときリドルフは、ハル・アレンという人物の一端に触れた気がした。華奢なのはきっと姿形だけではない。それが第二王子という立場にある彼にとって、善いか悪いかは別として──。


 食事を終え、さしあたっては焦眉の急もないと悟ると、満腹の彼らの体が次に欲したのは睡眠である。
 この五日間、硬い地面に外套を敷き炎天下のなか交代で短時間の睡眠を取ってきた彼らにとって、いかにも清潔そうな客間の寝台は天国に等しい。

 見張りに立つと言って聞かない老女と、彼女の主であるハル・アレン王子を奥の間の寝台に追いやり、セティとリドルフは二間続きの広い客室の、入り口側の部屋の長椅子にその身を落ち着けた。奥の部屋からはほどなくして、規則的な寝息が響きはじめた。

 暑さに弱いはずのナディール人の二人組みは連日の炎天下での野宿にも大して疲れもせず、それどころか、入浴と満足な食事ですっかり体力を回復していた。

 王子とその従者が寝入っているのを再度確認してから、セティは口を開いた。

「リドは、ハルがガイゼスの王子だって分かっていたんだな」

 その顔は不満気だ。姿勢よく長椅子に腰掛けたリドルフが困ったように小さく頷く。

「初めから分かっていたわけではありませんよ。途中から、予想が確信に変わったというだけのことです」

「どうして止めなかったんだ?」
「止める機会を逸したのです」
 リドルフの口調はいつもと変わらなかった。

「でも、これ以上の深入りはよした方がいいでしょう。今ならまだ、遅くない」

「ハルを、見捨てるっていうのか?」
 非難するようなセティの眼差しを、リドルフはやんわりと受け止めた。

「そうは言っていません。ただ、私たちが側にいることで、問題が余計に大きくなる可能性があるという意味です」

「問題が、余計に大きくなる可能性?」
 リドルフは頷く。

「あなたはハル様が命を狙われる理由は何だと思いますか?」

 セティは形の良い口を尖らせて、眉間にしわを寄せる。
 命を狙われる理由など、怨恨、妬み……そのぐらいしかセティには浮かばない。しかし、それをハルに当てはめてみると、しっくりこないのが正直な感想だ。

 困惑するセティのようすを眺めて、リドルフは付け加えた。
「ハル様がガイゼスの王子であるという事実を踏まえて」

 セティの脳裏にすぐさまひらめくものがあった。

「……政争」

「王が病を得ている今、ガイゼスの内情は安定しているとは言えません。詳細は不明ですが、ハル様は何らかの権力抗争に巻き込まれている可能性が高いのだと思います」

 セティは頬杖をついて、いっそう眉根を寄せる。

「加えてハル様は第二王子という立場がありながら、巡検使という役に就いています。背景にはなにか複雑な事情があることも十分に考えられます」

 それは、セティも引っかかった点だった。しかもリドルフの口ぶりだと、どうやらセティが抱いた印象どおり、巡検使という職は王子が就くようなものではないようだ。

「そこに、あなたが関わっていると分かったら、ナディールの人間は穏やかではいられないでしょう」

「私はナディールのまつりごとには関係ない」
 セティはむっとして言い捨てた。

「直接は関係なくとも、与える影響は強いのです。分かっているでしょう?」

 白い頬がみるみるうちに赤く染まり、セティは金色の髪を揺らして勢いよく立ち上がった。

「強いのは、影響力じゃない。利用価値だ!」

 リドルフは何も言わずに左手の人差し指を、唇の前に立てた。その仕草にセティもはっとして、奥の間を見遣る。穏やかな二種類の寝息は変わらずに続いていた。

「私は、セティ・コヴェだ」

「知っていますよ」
 空色の瞳はいつもにもまして優しい。

「自分の道は、自分でひらくと決めたんだ」
 結ばれた口には頑強な意思がよく表れていた。

 リドルフが眩しそうに眼を細めて、諦めたように笑う。

「私の主はあなたです。主が選ぶ道を、ともに進むだけです」

 それからセティはリドルフには一言も口を利かずに部屋に運ばれていた麦酒をしこたま飲み、そのまま長椅子に寝そべって寝息を立てはじめた。白い頬をほんのりと染めて、すっかり寝入ってしまったセティの髪をなでて、リドルフは思わずため息をこぼす。

 セティは、もとはあまり酒に強い体質ではない。
 確かはじめて口にしたときは気分が悪くなり、ひどく吐いた。それでも酒が与えてくれる、朦朧もうろうとした時間が好きで口にするのだろう。
 
 どれほど悪態をついても、わがままを言ってもいい。こうやって、穏やかな顔で眠ってくれるならば──。リドルフは心からそう思うのだ。

 寝息の三重奏を聴きながら、リドルフは窓の外へと視線を動かした。
 乾燥した大地に、灼熱の太陽。旅のはじまりから遠く離れた、場所。
 雪というものがどんな感触だったのか、もう忘れてしまったような気がする。

「とうとう、こんなところまで来てしまいましたね」

 それは悲嘆でも歓喜でもなく、ただ事実を口にしただけだった。



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