長編|恋愛ファンタジー|出会いは偶然か必然か-4-
宿の前には栗色の髪をした太った女主人と、見慣れない小柄な少年らしき人影があった。
「ああ、戻ってきた」
女主人はセティとリドルフの姿を見ると指差した。
少年は羽織っていた外套を脱ぎ、ふたりの前まで小走りにやってきて目を伏せたまま一礼する。その一連の挙措を眺め、リドルフはかすかに苦笑した。
「私は、ガイゼス王国の巡検使ハル・アレンと申します」
端正な顔立ちである。
逆三角形のあごは小さく、対照的に黒鳶色の瞳は黒目が大きく、睫毛は影をつくるほどに長い。成長途中なのか背丈は小さく、体つきもかなり華奢だ。顔立ちとあいまって赤色人種にしてはずいぶん線が細い印象である。
「町で耳にしたのですが、あなたはお医者様……でいらっしゃいますか?」
言いながら、彼の視線はリドルフの肩ごしに突き出ている大剣の柄に釘付けだった。初対面の人間は、いつものことであるからリドルフは特に気にしたようすもなく律儀に答えた。
「いいえ、私は医者ではありません。大地の神に仕えている者です」
リドルフの返答に少年は明らかに落胆の色を見せる。
それを見遣り、セティは横から口を出した。
「アナリの神官は法と薬草を使い、病人や怪我人を診るよ」
リドルフのため息に、ガイゼス王国の巡検使と名乗った少年の歓喜の声が重なる。
「わたしの部下が道中で傷を負ったのです。どうか、診てはいただけないでしょうか?」
リドルフは、すぐには答えなかった。
ナディール王国の階級制度に反発した人々が、各地で反乱を起こしたのは今から三十年あまり前のことになる。
反発の意思は、やがてナディールからの独立というふうに明確に姿を変えた。有能な指導者と幾人かの勇将。潤沢とはいえないものの軍資金と食糧、それにいくばくかの運に恵まれた彼らは、大陸随一の大国ナディールを相手取り、完勝というほどではないが、確かにその目的を果たした。
以来、十七年──。新たに建国されたガイゼス王国は国内の物流を整備し、他国との交易も盛んに行っている。地の利はなかったはずなのに、またたく間に富国に成長した。
しかし、リドルフが返答をためらったのは、自身とセティの郷国から独立した、敵国とも言える国の少年に頼まれたからではない。
巡検使と言った目の前の少年は、極めて簡素な旅人のなりをしている。それに、巡検使という職は、高級役人とは言えない。普通ならば。
それにも関わらず、彼の仕草や立ち振る舞いには隠し切れない気品が滲んでいる。また、腰に下げた剣は、柄頭には宝石がはまっており、柄だけではなく鞘にも装飾が施され、とても一介の役人が持ち歩くような代物ではない。
決して隠れて旅をしているわけではないが、リドルフは面倒を恐れ、他人──特に高貴な人間とは極力関わらず、決して深入りしないようにしている。
それを全てを知っているはずなのに、セティはリドルフが人を診れることをわざわざ口に出すのだ。
その意図を最終確認するように振り返ったリドルフに、セティはにこりと笑って屈託なく答えた。
「いいじゃないか。せっかく、リドを頼ってきてるんだから」
リドルフが人との関わりを避けているのは、全てセティのためである。しかし、やはり彼の腹は最初から決まっていたらしい。
ふたりは、今着いたばかりの宿を出て少年の案内に従った。
彼がふたりを招いたのは、リドルフとセティが宿泊しているところよりも数段豪華な宿の、一番大きな部屋だった。
部屋は二間続きになっており、手前は簡素ながら応接間の役割をしているようで、長椅子と卓がしつらえてあり、奥の間は応接間よりも広く大きな寝台が二台置かれている。
「ハル様!」
少年の姿を認めた途端に叫んだのは、小柄なハルよりもさらに小柄な初老の女だった。きつく結んだ髪には白いものがずいぶん混ざり、手にはしみが浮き出ている。そのくせに動きは素早く、目には人を威圧するような鋭さがある。
「こちらは、クライン・リドルフ殿だ。カイを診てくださるとおっしゃった」
その瞬間、さっと老女は顔色を変え、苦々しく呻く。
「クライン……ですと?」
”クライン”とは神に仕える男性の総称である。クライン・リドルフというような呼び方は神職者を敬う呼び方であり、俗人からはこう呼ばれることが多い。
「リドルフ・クライン・アナリと申します。大地の神に仕えております」
柔和な笑みを浮かべて差し出したリドルフの手を、老女は取らなかった。
「メイラ、クライン・リドルフ殿に失礼ではないか」
老女の名を呼び、窘めるハルに向かって、リドルフは穏やかな顔を向ける。
「いいえ、いいのです。ガイゼスの方にとって、私どものような存在は決して気持ちの良いものではないでしょうから」
老女の挑むような視線を正面から浴びても、リドルフの表情も声も、平生となにひとつ変わらない。
「ハル様、わたくしが町中を駆け回って医者を探して参ります。どうかリドルフ殿とそのお連れ様にはお引取りいただきますよう」
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