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長編|恋愛ファンタジー|いつもそうだ-17-
陽が沈み、夜の帳がすっかり下りてもシノレ・アンヴァーン公はまだ戻らないという。
先に夕食を済ませ、ナディール人の二人組は城主の帰りを待たずにあてがわれた寝室で休むこととなった。一方のハルとメイラは、公の帰りをただひたすらに待ち続けた。昼間に十分な休養は取っていたし、それ以上にハルはこのまま眠れるような気分でもなかったのだ。
戸を叩く音に気がついて、ハルは眺めていた書から顔を上げた。
視線を交わし、メイラが立ち上がって薄く戸を開ける。
「将軍……!」
筋骨たくましい体躯に、ひとつにきっちり束ねられた漆黒の髪。褐色の肌。ガイゼスきっての勇将に相応しく、その威風堂々とした姿はシノレ・アンヴァーンに違いない。
「壮健そうだな、メイラ」
将軍自らのおとないに驚く王子の従者に、まるで親しい友人に向けるように言って笑う。切れ長の瞳は眼光が鋭く、一見人を圧するようにも思われるが、笑うと信じられないほどに優しい顔になる。こんなところが、国民に絶大な人気がある理由のひとつかもしれない。
戸口の脇に控え、さっと膝をつき頭を垂れたメイラを一瞥し、シノレ・アンヴァーンはハルに目を向けた。
「ずいぶんと待たせてしまい、申し訳ない。従弟殿」
「いいえ、とんでもありません。私が突然訪ねたのですから」
あえて従弟と親しみを込めて呼び、同時に手振りで畏まらないようにさせる。ハルは確かにそれに応じ、跪かなかった。
「ランドから、およそのことは聞きました。急いだのだが、ずいぶん待たせることになってしまって」
その言葉は紛れもない真実だろう。恐らくシノレは城に戻り、すぐさまその足でハルの待つ客間を訪れたのだ。その証拠に彼は剣を佩き、外套を羽織ったままだった。
「すぐにでも詳しい話を聞きたい」
私室で待つと言った従兄の広い背中を見送って、ハルは小さく一つため息をついた。城主の私室での会談に、さすがのメイラも同席するとは言い出せなかったが、彼女の複雑な心境はそのままよく表情に表れていた。
「殿下……」
「行ってくる」
何とも言いがたい心境は、ハルも同じであった。
十以上も年の離れた従兄は王宮にいる誰よりも可愛がり、気にかけてくれる。そんな人物と二人で話しをするというのに、懐に短剣をしのばせるかどうか一瞬迷う自分がいた。
「大丈夫だ、心配するな」
まるで自分に言い聞かせるかのように言って、ハルは部屋を出た。
侍従に案内されて闇に沈んだ城内を歩く。湿気を含んだ冷えた夜気が身を包み、男の持つランプだけが、頼りなく足元を照らしている。
シノレの私室にたどり着くまでのあいだ、ハルはなにも考えられなかった。と、いうよりはどこかに考えたところでどうしようもない、という思いがある。
いつもそうだった。
どんなに考え、選んだとて自分の意思とは無関係に事が起きるときは起きる。そしてそれに抗うのは難しい。
なにか大きな流れのようなものがあり、ただそれに流されていくことしかできない気がする。それは、達観といえるほど崇高なものとはほど遠く、諦めや嘆きに近いのかもしれない。