長編|恋愛ファンタジー|余所見などするな-12-
干し肉、小麦を薄くのばして焼いたもの、それに水。簡単な食事を済ませた一行は、再び歩きはじめた。あと数刻も歩けば、目的地ラガシュに到達する。
歩きはじめてすぐに異変を察知したのはセティ、それに一呼吸遅れてメイラとリドルフである。薄い膜のように頼りなく自分たちを包んでいた、平穏が破れたのだと悟っても彼らは驚愕も落胆もしなかった。
「リド」
「殿下」
メイラとセティが同時に、呼ぶ。
ハルが訝しがるようにリドルフの顔を見上げた。
リドルフはこちらへ、とハルを促し、潅木を背にして座らせる。器用に片手でカイの体を支えながら自分の外套を脱ぎ、その上に彼を横たえた。そして、歩いているあいだはセティに預けてある大剣を背負い直す。
「大丈夫です。何も心配することはありません」
指で地面になにやら見慣れぬ文様を描きながら、リドルフはいつもと変わらぬ穏やかな口調でそう言った。
「私たちは、ハル殿をお守りするために雇われているのですから」
襲撃者の人数は、一行の人数の倍には少し足りないほどだろうか。もっともこちらはその半分以上が非戦闘員であるから、セティとメイラが相手にする人数は単純に約四倍という計算になる。
セティはざっと襲撃者たちを見回して、声をあげた。
「聞くつもりはないだろうが──命が惜しい者は退いてくれ。不要な殺生はしたくない」
本当は意味合いが少し違う。セティは自ら好んで人を殺めることはないが、身に振りかかる火の粉を払うためにはやむをえないとは思っている。しかし、理由を問わずリドルフの小言は増える。だから、結果としてなるべく人を殺めることは避けなければならないのだ。
セティが悠長にも不毛なことを考えているあいだも、状況はなに一つ変わっていなかった。相変わらず八人の白覆面が、前に出たセティとメイラを半ば囲むような格好で立ちはだかっている。
セティは小さくため息をついて、ちらりと後方を顧みた。
潅木を背にしたリドルフが一つ頷く。どうやら準備は終わったらしい。
「確かに忠告はしたからな。不可抗力だ」
後半の言葉は、リドルフへの宣言だったかもしれない。
セティの口元に不敵な笑みが閃いたのが、開戦の合図となった。
正面から白覆面が踊りかかる。メイラに一人、セティに二人だ。
メイラが刃に独特な反りがある愛剣を抜く。金属と金属がぶつかり、甲高い音が澄んだ夜気に鳴る。
弾かれたのは、彼女よりも一回り大きい中剣を持った覆面の方だ。腕力は男の方が勝っているが、老女は正面から向かってくる力を逃すのが巧みだった。
男の動きが止まったのは、ほんの一瞬だったかもしれない。
しかし、彼女はそのひとときの隙さえ見逃さず、がら空きになった男の腹部にめがけ孤剣を水平に薙いだ。
「やるなあ」
一方のセティは、相手の剣先が自分の体に触れるか触れないかというところまで、柄に手をかけたままだった。
抜き打ち。速い。
一人を切り上げ、もう一人が剣を振り下ろす前に、切り下げる。
メイラが剣を振るうのを視界の隅で確認しながら、この腕前である。返り血を避けるようにセティが飛び退るのと同時に、二人は倒れた。
「余所見などするな。ここで小童に何かあっては残りの道中、殿下がお困りになる」
悪態のなかに紛れ込ませた気遣いにセティは思わず笑みをこぼし、打ち込まれてきた刃をきれいに受け流す。そのまま舞うような優美な動きでしなやかに体を反転させる。男が体勢を立て直す前に、彼の片刃の剣は覆面を背中から袈裟に切り下げていた。
「おかしい」
口中で低く呟いたセティが、意識を違うところに向けたのは一瞬の半分にも満たない時だったかもしれない。しかし、その間に一人がメイラの危険極まりない弧剣とセティの死の剣舞のあいだをすり抜け、一目散に駆けていく。
「何をやっている!」
メイラが三人目の返り血を浴びながら叫んだ。
「リドがいるから、大丈夫さ」
怒鳴られたセティは悪びれたようすもなく、駆ける男の後ろ姿をみやって柄ををひとつ振り、刃を汚した血と脂を切る。乾いた砂の大地に紅い血が吸われて消えた。
「ハル殿、どうかここから動きませんように」
神妙なリドルフの声でハルは始めて気づいた。セティとメイラの剣から奇跡的に逃れた白覆面が一人、こちらに向かっているではないか。
「じっとなさっていてください」
リドルフの声は、ハルの耳を右から左へ抜けていく。
それは、現実感が褪せて、ひどくゆっくりとハルの目に映っていた。
目前まで迫った男が、両手で構えた剣を振り上げる。白刃が青白い月の光を冷ややかに反射した。殿下、とメイラの緊迫した声が遠くで響く。
その時──
「発動」
となりに座していたリドルフが静かに短いマントラを唱えた。
土を踏んだような音。
ハルに向けて振り下ろされた刃は、彼の華奢な体に届くことなく、乾いた鈍い音とともに見えない壁に阻まれた。
驚いたのは、なにもハルだけではない。
予想だにしない事態に、白覆面は口と目を大きく開いて、硬直する。
「ガッ……」
次の瞬間、覆面の男は自分の大手柄を阻止したものの正体も永遠に分からぬまま、絶命した。メイラが鋭く投げた短剣が、男の心の臓を貫いていた。
「殿下! お怪我はありませんか?」
駆け寄ってきたメイラに、ハルが強張った笑みを浮かべて応える。
「大丈夫だ。リドルフ殿が守ってくださった」
メイラはハルのすぐ足下に描かれた、不思議な文様の数々を見やって、わずかに眉をしかめた。リドルフはなにも言わずに苦笑するだけである。
彼女の理解を得る日はまだまだ遠そうだった。
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