長編|恋愛ファンタジー|ゆるやかな誘導尋問-6-
ランプの炎が揺れ、ほの明るく照らし出された壁にうつる影が乱れる。
寝台のかたわらに引き寄せた椅子に座るハルは、前ぶれなく肩にかけられた温かみに驚き、外套をかけてくれた人物を見上げ、ていねいに礼を言った。
「お休みにはならないのですか?」
リドルフは目で長椅子に横たわる老女を示して訊いた。
「メイラは襲撃にあった時、老体に鞭打って剣を振るい、賊を必死で追い払ってくれたのです」
ハルは目を伏せ、薄く笑う。
「私は、守られていただけで何もしなかった。こうしているぐらいしか、できないのです」
長椅子の上に横になったメイラの体は小さく、寝息に合わせて規則正しく上下する背中は丸い。ふと、思い出したようにハルは尋ねた。
「セティ殿はまだ外にいらっしゃるのですか?」
美貌の青年が部屋を出て行ってから、もうずいぶんと経つ。
「メイラが失礼なことを申し上げたから……ご気分を損ねてしまわれたのでしょう」
「いいえ、そのようなことではありません」
返された即答に、ハルの目が困惑を示すように泳ぐ。リドルフはそれを見遣って頬を緩めてつけ加えた。
「セティはこういう人の生き死にに、立ち会うのが苦手なのです」
「ああ、それなら私もよく分かります。目の前で人が死ぬのは本当に辛いことです」
ハルは襲撃の際に十数人の部下がまたたく間に倒れ、メイラと大怪我を負った青年しか残らなかったことを言った。そして、しばし唇を嚙みしめてうつむく。リドルフは静かに隣に座っているだけだ。
ややあってから、ハルは重い空気を払うようにして問いかけた。
「お二人は北から南へ旅をなさっているのですか?」
「ええ、そうです」
リドルフはセティとともに二年ほど前に故郷を発ち、ようやく国境の境まで来たのだと言った。
「どちらに向かわれるのですか? ガイゼスの領内でしたら、私はほとんどまわったことがありますが」
「目的地は分かりませんが、とりあいずは国境を越えて、ガイゼス王国に入るつもりです。ただ……」
リドルフが淡い苦笑を浮かべた。
「入国手続きに、いくぶん、手間取りそうでして」
「クライン・リドルフ殿は神官でしょう? 手続きは簡単に済むかと思いますが」
「私は下位の神官ですし、あれの説明もいるでしょう」
リドルフが目で示したのは、今は下ろして壁に立て掛けている、身の丈ほどもある大剣だ。大地の神神殿の神官にはおよそ似つかわしくない代物であるのは間違いない。何よりも、このクライン・リドルフという穏やかな青年僧には全く結びつかないものだ。
「それに──私だけのことではありませんので」
身分証は、という問い掛けをハルは飲み込んだ。
ナディールとガイゼスは確かに友好的な関係とはいえないが、今は戦時ではない。奴隷や犯罪者でもないかぎり、身分証を提示すれば審査に多少時間がかかっても入国できる可能性のほうが高い。
そして、彼らのような白い肌の人間は奴隷である可能性は皆無であるし、それ以上にハルの目にはこのいかにも人が良さそうな青年僧と、桁外れの美貌をもつ闊達な青年が、犯罪人であるとも到底思えなかった。なにか簡単には口外できぬ、事情がありそうだ。
ハルは話題を変えた。
「王都に近づくにつれて治安はよくなりますが、ここ最近、頻繁に腕の立つ賊が出没するようです。私も巡検使として各地をまわっておりますが、今回のような目に遭ったのははじめてなのです」
リドルフは立ち上がり、寝台に横たわる青年の額ににじむ汗を拭う。先ほどよりもいくらか穏やかな呼吸で眠る青年は、上背があり、たくましい体つきをしていた。赤褐色の肌といい、漆黒の髪といい、典型的なガイゼス人らしい容貌である。
「道中で耳にしたのですが、ガイゼス王国では国王陛下のお体が優れないとか」
「ええ、そうなのです。陛下は一月ほど前より体調を崩されて、公務を休んでおられます。公けにはされていないのですが、人の口に戸は立てられません」
ハルは包み隠さず、自分の国の重大な懸念を口にする。
「賊が頻出するのは、そのあたりの事情にも関係あるのでしょうか?」
「どうでしょう。全く関係がないと言い切るには、いささか浅はかであると思うのですが」
リドルフは一瞬目を細め、それから続ける。
「南に行くにつれて賊は好んで小剣を使うそうですね。気温が高くなると、重量のある大振りの剣は体力を消耗してしまうからだとか」
「そのとおりです。相当の修練を積んだ正規軍や、良家の抱える私兵では、やはり威力の強い中剣や大剣を使うものが多いのですが、それ以外では体力の消耗を抑えるために短剣や小剣を使うのが一般的なのです」
言いながら、ハルははたと、ある重大な事実に気がついた。
信じられぬような思いで、額に玉のような汗を浮かべて眠るカイの姿を見る。
「クライン・リドルフ殿」
ハルの声は顔と同じように強張っていた。
「はい」
「彼の、カイの傷はどうでしたか?」
気が急いて、うまく言葉が運べないのがハルにはもどかしかった。
「カイの……この傷は、小剣や短剣によるものでしょうか?」
「いいえ、傷口から察しますには、中剣か、それよりも少し大きな刃の剣で斬りつけられたものかと思います」
ハルは記憶を辿りはじめていた。
歓声と悲鳴。土煙から垣間見える剣戟。部下が次々と倒れていく中、メイラが孤剣を抜き、右に左になぎ払う。自身も腰間の剣に手を伸ばし、抜き払わねばと思ったが、手はひどく震え、汗で柄は滑る。
眼前に迫った覆面の男。
白銀の刀身。その視界に割って入ったカイの背中──
「実は私とセティもこの町にたどり着く直前に、何度か賊と遭遇したのです」
ハルの追想を止めたのは、リドルフの静かな声だ。
「いずれも小振りの剣を使っていました。ちょうど、セティやハル殿がお持ちのような」
リドルフの視線の先には、壁に立てかけられたハルの剣があった。中剣よりも二回りほど小さい剣の柄尻には、大きな紫水晶がはめ込まれている。セティの瞳の色と同じその石は、ランプの明かりをうけてきらめいていた。
「……私達を襲ったのは、本当に賊だったのでしょうか」
ハルは独白しながら何か重苦しいものがのしかかってくるのを感じた。
*昔の自分が書いたものがあまりにもひどく、けっこう直したので、時間がかかっちゃった。よくこれで表に出したな、と思う。若気の至りだな。
そろそろ剣で戦うぞ。
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