良き“屍”となれ
―歳を取れば取るほど、積み上げたプライドが足枷になる。
次第に耳が遠くなり、やがて誰の声も届かなくなる。
安いプライドは、「意味のない孤独」となる。
人間は今のところ、まだまだ成長の伸びしろがある。
僕たちの言う「平和」は先進国とその取り巻き限定の一時的な気休めであるし、
まだまだ億単位の人々が飢餓に因って死と向い合せの後進国民であるし、
そういう事を頭の片隅には置きつつも僕たち人呼んで先進国民はまだまだ自分たちのことで手一杯であるし、
人類史においても未だノーベル化学賞を取りつつオリンピックでメダルを獲るような、黄金のわらじを何足も履く人間はおらず。
まだまだ知らない物質や真理があるだろうし、まだまだ知らない虫や魚があるだろうし、一番親しい人とすらも時にすれ違ったり仲違いしてしまう程、自分勝手なままでいる。
もし今の文明が滅んでしまわずに順調に進むとしたら、どんな100年後の世界を想像出来るだろうか?
人種や宗教、飢餓による混乱は全て解決され、武器など誰も持たず、本当に人々の為に政治が行われているだろうか。
人類全員が、人を思いやり、支え合えることの幸福を知っているだろうか。
上げ足取りや醜い諍いはなく、お互いを高め合うための競争を楽しんでいるだろうか…
多くの人が待ち望む世界のはずなのだけれど、未だその日は来てはいない。
何故ならここはまだ、道の半ばだからだ。
僕たちは今、沢山の過去の失敗の上に立っている。
今の日本人が昔みたいに剣や火縄銃で領土争いをしていないのは、本当に沢山のご先祖たちが「どうやらこのままでは良くない」と代々少しずつ改めて来たからだ。
ご先祖たちが自らを顧み、改めてきたことで、次第に世界は良くなってきた。今日僕たちの目の前に、殺し合いや餓死が滅多には見られなくなったのはその成果にほかならない。
そして僕たちは未だ、安住していいほどの大層なものを確立したわけではない。
僕たちは、どこかに「価値のないプライド」を抱いていないか。
表面ばかり見ていて、形にこだわりすぎて、本質を見失っていないか。
本当に取るに足らない自尊心のために、限りなく大きな志を見失ってはいないか。
それを本当の気高いものに刷新しなければいけない。
いつでも遅すぎることはない。
問わなければいけない。
「人よりも多少良い」ことの、何が誇りだと言うのか、
「成長を妨げるプライド」を、誰が誇りと認めるか、と。
死ぬまで未熟を認めよう。
この程度で終わる自分ではないと言い聞かせよう。
完璧ではない。
決して恥ではなく、それ自体が誇りなのだと思え始めた頃には、
羽化している。
見えなかった物が浮かび上がってくる。
完璧でないのは、自分だからではなく、人間だからだ。
やがて燃えて無くなるその時、その炎が、誰かの心を焚き付ける火種となるように生きなければいけない。
そうしなければ、何も残らない。
Q,命を賭してでも成し遂げたいと思えることはあるか。
是非あなたのコメントをお寄せください。
(つれづれ171019)
読んでくれてうれしいです。