周りの価値観に縛られない自分、かっこいい、みたいな、 周りの価値観に縛られないわたし、どう?みたいな、 アメリカではこうなんだけど、日本はちょっとそのへん遅れてるよね、とか 全員気色悪い。 こういうのってネット上でよく見かける文章というか、考えなんだけど、 そもそも現実じゃ人に好かれないような人間が、ネット上だからって気取って賢ぶってるんじゃねえよ。 …っていうだけ。 余談だけど、よくアメリカを引き合いに出す人って、 「アメリカでは~~」みたいなこと言うけど、
もう少し、僕から脳みそが欠けていたら、もっと人生は辛いものになっていただろう。 例えば、勉強ができなかったら、良いところに就職できなくなって、社会的地位も低くなり、厳しい人生になるだろう。 もう少し、僕から脳みそが欠けていたら、そもそも辛いということも感じなかったのかもしれない。 恋し、あの子が好きなんだけど、告白したら嫌われるんじゃないだろうか、これって両思いなのかな、キープされてるのかな、とか すら考えないから、向こう見ずにアタックできるように、 考える能力がなけ
依存とは、中身がないこと。 自分を持っていないこと。 楽をしようとすること。 頼りきって、自らは何もしないこと。 逃げること。特に、やりたくないことから目を背けること。 過去のトラウマから、一歩足を踏み出そうとせず、同じところに居続けること。
は? 幸せは、個人の感想だから、主観的なものだから、 幸せだと思えば、幸せに暮らしていける。 逆に、不幸せだと思って生きていくと、人生は不幸なものになる。 は? 何を言っているんだ? 幸せだと思おうとしている時点で、人はものすごく不幸せだと、僕は思う。 「~しよう。」と積極的に思うのって、 確かに、自発的に何かしようとしている場合もあるのだけれど、 例えば、 「片付けしよう。」って思う時って、片付けが面倒くさくてしてないから、積極的にそう思っているんだよね。 し
たとえ話。 脳に異常がある人の判断、思考が論理的に整合性を持っていなかったり、存在していないものを見えると言っていた場合、 その人の判断、思考、視覚は、脳が正常な人にとって、どのような価値があるのだろうか。 「いやいや、あなたのその考えは、病気によるものですよ。その見えているものは病気による幻覚ですよ。さあ、だから落ち着いて。ゆっくり治していきましょうね。」 治しましょう。この発言は何故なされたのだろう。 そもそも、病気は何故治すものなのだろう。 ちょっとした怪我は
あー、ここまで自分が書いたことはすべて誤りだ。 考えが徹底されていない。 そしてこれからも未熟な思考が、書かれていくだろう。
日々人は成長していくべきだ。 昨日の自分より今日の自分、 今日の自分より明日の自分が、より成長しているように生きていくべきだ。 という思想が貫かれているのが、自己啓発本というものである。 しかし、僕はそれに反対する。 自己啓発を嫌っている癖に、そういう成長だとか、学びだとか、行動だとかを人生の指針にしている人間も、僕は嫌いだ。 そういう人たちは、人生をなんだと思っているんだろうか。 人生はそんなに上り坂が続くものだと思っているのだろうか? または人生が上り坂、下
考えるということに、 例えば、生きるということを考えるということに あなたは酔っているだけ、なんじゃないかい? 大変気持ち悪い。 哲学的センスもないのに、 本を読んで知った、所詮知識に過ぎないものを大袈裟にひけらかして、 あなたは恥ずかしくないのですか? もう少し口を慎むことを覚えた方がいい。 だからあなたは人に好かれないんですよ? その寂しさを、読書や哲学(笑)、考えることで埋め合わそうだなんてやめた方がいい。 まずやるべきは、あなたのその、卑屈さを直す
人類みな平等って本当? 赤ちゃんから年寄りまで、男も女もそれ以外も、みんな平等なの? そもそもさ、平等って何? 平等だとかなんだとか他人に言って聞かせる人ってさ、そもそも平等が何か知ってんの? 誰に対しても扱いを同じようにすること? 特別扱いをしないってこと? 特権を認めないってこと? じゃあさ、この世でお金持ちがいるのってダメじゃね? 実力主義の社会なんて、資本主義の社会なんてダメだよね? 能力主義で、人が人の上にいるってダメだよね? そもそもさ、人が人の上にい
よくプロフィールにそういうことを書く人いますよね? あれ何なんでしょうか? 見るたびに笑ってしまうのですが。 ツイッターでもそういう方多いですよね。(まあツイッターは政治、思想の立場を書く浅い人の方が多いかもしれませんが。) そういう人たちがなぜ、鬱なんです、HSPなんです、と書くのか。 同情される、理解されたい、発言に重みが増す と思っているからでしょうね。 ああいうのって、ああいうのとは、そういう身の上話(笑)、のことですけど、 いちいち、自分って○○があった
昨今の社会問題に、差別という大きなジャンルがある。 それについて考えたことを、ただ適当に書こうと思う。 しかし、真面目に書くつもりはない。特に興味がないからだ。 差別は悪なんかじゃないと僕は思う。 こんなことを言えるのは僕は差別されたことがないし、日本がそれほど差別大国ではないからだろう。 しかし、なぜ多くの人は差別、 例えば、男女差別、人種差別、ほかのいろんな差別を厭うのだろうか。 それは、多くの人が弱者だからじゃないだろうか? 金もなければ、モテもしない。生活水準
日の光がまぶしくて辺りが見えない。 君にとって光は必要なのだろうが、 この僕にとってはむしろ、煩わしいものなんだ。
俺は、夢の中では王者だぞ。 夢の中では覇者なりて、 女をとっかえひっかえ抱いては犯し、 ついには世界をぐるりと征服した。 しかし、夢から目覚めてしばしの間、寝ぼけていると、 どうやら自分は夢を見ていたという自覚が湧き上がる。 すると、段々恥ずかしいという思いが出てきて、なんということを考えていたんだと自分を責める。 でも不思議と、現実では得られない満足と自由の残滓が、 今、僕の手に握られている。 ああ、それもすぐに、道徳に、常識に、論理にとって代わられるのだ。
お前のしょうもない考えを、思想を、イデオロギーを、経験を、思い出を、記憶を、、 本で知った知識を、論理的に導いた答えを、人との議論を経た答えを、異性に聞いた意見を、、 宗教的な教えを、お前が生きてきたちっぽけな社会での教訓を、常識を、 他人に偉そうに語れるほどに、お前の羞恥心は欠けているのか?
赤りんごは照れているから、赤いのか? 青りんごは、未来が手に取るように見えてしまって、悲しいから青いのか? 俺は両方を打ち砕きたい。地面に叩きつきて粉々に。 あのときの君は、まさに赤かった。それは俺が照れさせていたから。恥ずかしいと思わせていたから。 しかし、俺はそんなに楽観的ではなかった。どうせ三カ月も経てば、すぐこの恋は終わるだろうと思ったからだ。 そして、その通りになった。 その瞬間の俺だろうと、今の俺だろうと、俺には机の上の二つのりんごが、両方ばかで、現実に手足
男女は分からないが、ある人がいた。その人はあらゆることに嫉妬していた。なに、勉強が上手くいかない、人付き合いが上手くいかない、お金がない、恋人が寝取られた、誰しも経験するかもしれない出来事だ。 その嫉妬に燃える人、復讐しようとしてるらしい。 でも、そのたびそのたび転んでるんだってさ。つまり失敗。 本人曰く、手が届かないんだって。 最近は家に引きこもって、ネットで憂さ晴らしですってよ。 心は変わってないらしい。 なんて嘆かわしいんだろう。嫉妬されてる人は全く気にして