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【ChatGPTと読む】ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』


はじめに

 本稿では、ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』(Benedict Anderson, Imagined Communities, Revised Edition, 2006)を読む。
 本書はアーネスト・ゲルナーやエリック・ホブズボーム、アントニー・D・スミスらと並ぶナショナリズム研究の古典として知られる。 筆者が本書に興味を持ったのは、ホッブズ『リヴァイアサン』研究を通じて、社会契約論と言語との結びつきが非常に強いことに気がついたからである。本書を手がかりとして、ナショナリズム研究の中で言語の占める役割を明らかにしたいと思う。

ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』

ChatGPTによる本書の要約と批評

 いきなり本文を読み始める前に、まずはChatGPTに本書の概要を示してもらおう。

——Benedict Anderson, Imagined Communities, Verso.の内容を日本語で要約してください。

ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』(Imagined Communities)は、国民国家(ナショナリズム)という概念の形成と広がりを探求する重要な著作です。アンダーソンは、国民国家を「想像された共同体」と定義し、同時に多くの人々が共通の帰属意識を持ちながらも、実際には全ての人々が直接会うことのないような形で、国民が形成される過程を解説しています。以下が本書の主要なポイントです。
1. 「想像の共同体」としての国民
アンダーソンは、国民とは「想像された」共同体であると主張します。これは、国民のメンバーが互いに全員を知っているわけではないが、自分たちが一つの共同体の一員であると信じていることを指します。この「想像」は、国民という概念が広がる要因となります。
2. 印刷資本主義の役割
アンダーソンは、国民意識の形成における「印刷資本主義」の役割を強調します。16世紀から17世紀にかけて、印刷技術と資本主義の発展により、共通の言語や書物が広がり、多くの人々が同じ情報にアクセスできるようになりました。この結果、共通のアイデンティティを持つことが容易になり、国民意識が生まれたのです。
3. 時間とナショナリズムの関係
アンダーソンは、国民意識が歴史的な時間の中でどのように想像され、構築されてきたかにも言及しています。具体的には、過去・現在・未来の一貫性を持つ「国の歴史」という物語が、国民としての帰属意識を強化する役割を果たすとしています。
4. 宗教や帝国の衰退
アンダーソンは、ナショナリズムの台頭は宗教的な共同体や帝国の衰退と密接に関連していると指摘しています。かつては宗教が人々のアイデンティティの基盤を提供していましたが、近代においては国民国家がその役割を担うようになったと述べています。
5. 植民地とナショナリズム
アンダーソンは、植民地時代にナショナリズムがどのように形成され、独立運動に影響を与えたかも分析しています。植民地支配下の人々が、支配国とは異なるアイデンティティを形成し、最終的に自らの国民国家を樹立するプロセスが詳述されています。
このように、『想像の共同体』は、国民国家やナショナリズムがどのように「想像された」ものか、そしてその想像がどのように現実の力として機能してきたかを理論的に明らかにしています。

——もっと詳しく教えてください。

ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』は、ナショナリズムの形成を探求し、国民国家という概念がどのようにして「想像された」かを解き明かした理論的な重要著作です。アンダーソンは、ナショナリズムが政治的、文化的、経済的要素から生まれた歴史的現象であり、その形成における決定的な要素を解明しています。以下に、彼の主張を詳しく説明します。
1. 「想像された共同体」という概念
アンダーソンは、国民国家を「想像された共同体」(Imagined Community)として定義します。彼によれば、国民国家は次のような性質を持っています。
想像されたもの: 国民国家の成員は全員が互いに知り合いではありませんが、それでも彼らは自分たちが一つの共同体の一員だと考えています。現代社会の規模を考えると、物理的に国の全ての国民と出会うことは不可能ですが、メディアや文化を通じて国民としてのアイデンティティが「想像」されます。
制限されたもの: 国民国家は限界のある共同体であり、ある範囲内の人々が国民であり、それ以外は外国人として排除されます。地理的、言語的、文化的な枠組みによって構築される境界が存在します。
主権的なもの: アンダーソンは、ナショナリズムが主権を求める運動であると指摘します。ナショナリズムの根底には、国民自身が政治的な主権を持つという考えがあります。
共同体としての国民: 国民国家は社会階層や経済的な不平等にもかかわらず、あたかも「平等な共同体」であるかのように感じられています。ナショナリズムが力を持つのは、この想像上の平等が国民に強く共有されるからです。
2. 印刷資本主義とナショナリズムの関係
アンダーソンが特に重視したのが「印刷資本主義」(print capitalism)の役割です。これは16世紀から17世紀にかけての印刷技術の進展と資本主義の融合によって、言語や文化の広範な共有が進んだことを指します。
活版印刷と共通の言語: 活版印刷技術が登場する前、ヨーロッパではラテン語が支配的であり、これは少数のエリート層によって使用されていました。しかし、印刷技術の発展により、一般の人々が使用する民族語(英語、フランス語、スペイン語など)の書物が広がり、これが国民意識の形成に大きく寄与しました。
新聞や小説の影響: アンダーソンは、新聞や小説の普及が国民意識を育んだと述べています。人々が同じ新聞を読むことで、物理的に離れていても同時代に生きる仲間としての感覚が強まり、共通の話題や問題意識が形成されました。また、小説の中で描かれる架空の共同体が現実の国民という概念を補強する役割を果たしたともいえます。
3. 歴史的時間とナショナリズム
アンダーソンは、「歴史的な時間」概念もナショナリズムの形成に重要だと指摘しています。これは、国民国家が歴史的な継続性を持ち、過去、現在、未来を通じて一貫した存在として想像されるという考えです。
歴史の物語化: 国民国家の中で、特定の歴史が強調され、共通の過去を持つものとして国民が想像されます。この物語は、国家のアイデンティティ形成において非常に重要であり、祝祭や記念日を通じて国家の歴史が強調されます。
時間の均質化: 近代における時間の捉え方は均質であり、すべての人々が同じ「時計時間」に従って生活しています。この時間意識は、共通の国民としての感覚を生み出し、共通の未来に向かって行動するという国民的な連帯感を強めます。
4. 宗教と帝国の衰退
アンダーソンは、ナショナリズムの台頭を、従来の宗教的共同体や帝国の衰退と関連づけて考えます。
宗教的共同体の衰退: 中世ヨーロッパでは、キリスト教会やイスラム共同体のような宗教的枠組みが人々のアイデンティティの中心にありましたが、近代の世俗化の進展により、宗教的な絆は弱まりました。その代わりに、国民国家が人々のアイデンティティの中心を占めるようになったのです。
帝国の崩壊とナショナリズムの台頭: 多くの帝国が崩壊する過程で、民族的アイデンティティが浮上し、ナショナリズムの形成が進みました。特に、植民地においては、支配国とは異なる独自の国民意識が育ち、独立運動に繋がったと述べています。
5. 植民地ナショナリズム
植民地時代におけるナショナリズムの発展も、アンダーソンの研究において重要なテーマです。
植民地支配下の国民意識: 植民地においても、印刷資本主義の影響で現地の言語や文化が広まり、それが独自のナショナリズム形成に貢献しました。例えば、インドネシアなどでは、現地の言語での出版物が増え、支配国とは異なるアイデンティティが強まったのです。
行政や教育の役割: 植民地支配国が導入した行政システムや教育も、逆に現地のナショナリズムの形成を促進しました。現地のエリートたちは、支配国の文化や制度を学ぶ一方で、自らの国民としての自覚を深め、最終的に独立運動へと繋がっていきました。
結論
『想像の共同体』は、国民国家やナショナリズムが自然発生的なものではなく、歴史的に特定の条件のもとで形成されてきたものであることを示しています。印刷技術の発展、宗教や帝国の衰退、時間意識の変化、そして植民地ナショナリズムの発展が、それぞれ国民国家の形成における重要な要因となっています。この理論は、ナショナリズムが単なる政治的現象に留まらず、文化的、経済的、歴史的要素が絡み合う複雑な現象であることを理解するための重要な視座を提供しています。

——ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』(Imagined Communities)を日本語で批評してください。

ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』は、ナショナリズム研究において画期的な視座を提供する著作であり、国民国家という概念の形成を歴史的・文化的文脈で明快に分析しています。その理論的貢献は高く評価されていますが、いくつかの点で批評もされています。以下では、本書の功績と限界について、より批評的に論じます。
1. 功績:ナショナリズムの解明における貢献
アンダーソンの最大の貢献は、「ナショナリズムは想像された共同体である」という新しい視点を導入した点です。彼は、ナショナリズムを単なる政治的な現象として捉えるのではなく、文化的・社会的に構築された概念であると位置づけました。特に、印刷技術や出版メディアが国民意識の形成に果たした役割を指摘し、「印刷資本主義」という概念を持ち出したことは、文化的・経済的要因がナショナリズムに与える影響を新たに考える基礎を提供しました。
さらに、彼が「時間の均質化」や「歴史の物語化」といった、ナショナリズムにおける時間意識の重要性を強調した点も革新的です。これによって、単に空間的に広がる共同体としてではなく、共通の歴史と未来を共有する想像上の共同体として国民を理解する視座が生まれました。このような視点は、それまでのナショナリズム研究に欠けていた洞察であり、現代の国際的な政治・社会の状況を考察する上でも非常に有益です。
2. 批判点:非西欧社会の視点の不足
『想像の共同体』は、主に西欧社会におけるナショナリズムの形成に焦点を当てているため、非西欧社会における独自のナショナリズムやその歴史的背景に対する分析が不十分だという批判があります。アンダーソンは植民地におけるナショナリズムにも言及していますが、その分析は比較的簡略であり、非西欧社会の文化的・歴史的多様性を十分に反映していないという指摘があります。例えば、アフリカやアジアの植民地で生じたナショナリズムの複雑な過程や、先住民のアイデンティティ形成に関するより深い分析が求められているといえるでしょう。
特に、日本などの非西欧社会において、ナショナリズムがどのように形成され、独自の形で発展していったかについての分析は、ほとんど触れられていません。日本の明治維新以降の国民国家形成は、アンダーソンの理論が指摘する西欧のナショナリズム形成とは異なる要素も多いため、この点で彼の理論は普遍的なものとして適用するには限界があるとされています。
3. 印刷資本主義の役割に関する議論
アンダーソンは、印刷技術の発展が国民意識の形成に大きな役割を果たしたと主張していますが、この点については議論の余地があります。確かに印刷技術は国民国家形成における重要な要因でしたが、国民意識の構築においては他にも多くの要素が関与しています。例えば、教育制度の整備、軍事的な動員、経済的な要因、移民や他国との外交的関係といったものも国民意識の形成に重要な役割を果たしていますが、アンダーソンの理論ではそれらの要素が相対的に軽視されています。
また、印刷資本主義の概念がどの程度まで普遍的に適用可能かも疑問視されます。例えば、印刷技術が広まる前から存在したナショナルな感情やアイデンティティ、あるいは文字文化に依存しない口承文化が果たした役割については、十分に検討されていないとの批判があります。この点に関しては、非文字社会や異なる文化的背景を持つ社会におけるナショナリズムの形成過程に関するさらなる研究が求められます。
4. 国民国家の未来に関する視点の欠如
アンダーソンの理論は、国民国家の形成過程に焦点を当てていますが、グローバル化が進む現代における国民国家の将来についてはあまり言及していません。彼の理論は、主に19世紀から20世紀にかけてのナショナリズムの歴史的展開を分析するものであり、グローバル化やデジタルメディアの普及、移民の増加などがナショナリズムや国民国家にどのような影響を与えるのかについては深く論じられていません。
現代においては、国家の境界が曖昧になりつつあり、ナショナリズムがグローバルなアイデンティティや地域的アイデンティティとどのように共存するのかが重要なテーマとなっています。アンダーソンの理論は、国民国家が依然として強力な力を持っていることを示していますが、今日の多文化社会におけるナショナリズムのあり方に関する議論が不足している点は、現代的な課題への対応としては限界があるといえます。
5. ナショナリズムの内在的な危険性の指摘が不十分
アンダーソンは、ナショナリズムを文化的に構築された現象として肯定的に捉えていますが、その内在的な危険性についての批判的な視点が不足しているという批判もあります。ナショナリズムは、時に排他的な民族主義や他者に対する攻撃性を伴うことがありますが、アンダーソンはその点に対して十分な分析を行っていないとされます。特に、極端なナショナリズムが戦争や民族紛争を引き起こす可能性については、本書では十分に触れられていません。
結論
『想像の共同体』は、ナショナリズム研究における重要なマイルストーンであり、国民国家の形成を理解する上で欠かせない理論を提供しています。しかし、非西欧社会の視点の欠如や、印刷資本主義の役割に関する限界、現代のグローバル化に対する見解の不足など、いくつかの批判点も存在します。それでもなお、アンダーソンの理論は、ナショナリズムを歴史的・文化的現象として多面的に考察するための貴重な枠組みを提示しており、その影響力は現在に至るまで続いています。

(ChatGPT「想像の共同体 概要」)

え、すごくないか…?もはや人間がこれ以上書く必要は無いんじゃないかwという冗談はさておき、少なくともChatGPTが示す水準ぐらいは、人間は超えていかなければならないことになる。あるいは、ChatGPTが十分に理解していない点について論じることが人間には求められると言える。

ChatGPTによる「国民国家」と「ナショナリズム」の混同

 一見するとChatGPTの要約は素晴らしいように見える。だが、よく読むと、言葉の使用が厳密ではない。

ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』(Imagined Communities)は、国民国家(ナショナリズム)という概念の形成と広がりを探求する重要な著作です。アンダーソンは、国民国家を「想像された共同体」と定義し、同時に多くの人々が共通の帰属意識を持ちながらも、実際には全ての人々が直接会うことのないような形で、国民が形成される過程を解説しています。

(ChatGPT「想像の共同体 概要」、強調引用者)

さしあたり、ここでChatGPTが「国民国家」を「ナショナリズム」と混同している点に関して、厳密に欠けると言わねばならない。なぜなら「国民国家」は「nation state(s)」の訳語であって、これは一応「ナショナリズム」とは区別して取り扱われる必要があるからだ。またもし両者が同じ概念を意味するのだとしても、その場合には両者が同一である点が示されねばならないであろう。加えて、アンダーソンは、文字通りには「国民」を「想像された共同体」と定義したのであって、「国民国家を「想像された共同体」と定義し」たのではない。この点に関しては、ChatGPTが「国民国家 nation-state(s)」を「ナショナリズム」と混同しているからには、より一層厳密に注意を払わねばならない。

そこでここでは、人類学的精神で〔「親族」や「宗教」を定義するように〕国民 the nation を次のように定義することにしよう。国民とはイメージとして心に描かれた想像の政治共同体である——そしてそれは、本来的に限定され、かつ主権的なもの〔最高の意思決定主体〕として想像されると。

(IC: 5-6, 白石隆・白石さや訳24頁、強調引用者)

本書の厳密な読解においては、「国民(ネイション)」、「国民国家(ネイション・ステイト)」、「国民主義(ナショナリズム)」、「ナショナリティ」がそれぞれどのような文脈で用いられているかを注意深く考察する必要がある。

本書は非西欧社会への視点を欠いているか

 ChatGPTは本書を批評する際に、その欠点として「非西欧社会への視点の不足」を指摘している。

『想像の共同体』は、主に西欧社会におけるナショナリズムの形成に焦点を当てているため、非西欧社会における独自のナショナリズムやその歴史的背景に対する分析が不十分だという批判があります。アンダーソンは植民地におけるナショナリズムにも言及していますが、その分析は比較的簡略であり、非西欧社会の文化的・歴史的多様性を十分に反映していないという指摘があります。例えば、アフリカやアジアの植民地で生じたナショナリズムの複雑な過程や、先住民のアイデンティティ形成に関するより深い分析が求められているといえるでしょう。特に、日本などの非西欧社会において、ナショナリズムがどのように形成され、独自の形で発展していったかについての分析は、ほとんど触れられていません。日本の明治維新以降の国民国家形成は、アンダーソンの理論が指摘する西欧のナショナリズム形成とは異なる要素も多いため、この点で彼の理論は普遍的なものとして適用するには限界があるとされています。

(ChatGPT「想像の共同体 概要」、強調引用者)

こうした批判は実際本書初版の時点ではあったかもしれない。実際、アンダーソンは本書第二版への序文で次のように述べている。

ふたつの付論は初版における重大な理論的不備を改めようとしたものである。第VII章(「最後の波」)は、多くの好意的な評者によって、初期の「第三世界」ナショナリズム・モデル化の過程をあまりに単純化しすぎていると指摘された。さらにこの章は、これらナショナリズムの型が作られるにあたって、本国というよりむしろ現地の植民地国家がどのような役割を果たしたのか、まともに論じていなかった。また同時に、わたしとしては、時間理解の変化がナショナリズム考察の上でわたしの重要な新しい貢献であると考えていたが、この分析からは、それに当然対応するはずの空間理解の変化が見事に欠落していた。[本書ではしたがって]地図の作成が国民主義的想像力にどのような貢献を行ったか、少壮のタイ人歴史家、トンチャイ・ウィニチャクーンの優れた博士論文によりながら考察することとしたい。

(IC: ⅹⅲ-ⅹⅳ, 白石隆・白石さや訳13〜14頁、強調引用者)

このような経緯で本書第二版以降では第X章「人口調査、地図、博物館」と第XI章「記憶と忘却」の二章が付されているから、先の批判は初版と比べると改善されていると言えるだろう。

アンダーソンはナショナリズムを肯定的に捉えているのか

 ChatGPTは本書の批評の中で「アンダーソンは、ナショナリズムを文化的に構築された現象として肯定的に捉えていますが、その内在的な危険性についての批判的な視点が不足しているという批判もあります」と述べている。だが、この点に関しては大いに疑問がある。というのは、アンダーソンは本書の序(Introduction)で現代の戦争に言及することから始めているからだ。

 そして最後に、国民は一つの共同体として想像される。なぜなら、国民のなかにたとえ現実には不平等と搾取があるにせよ、国民は、常に、水平的な深い同士愛として心に思い描かれるからである。そして結局のところ、この同胞愛の故に、過去二世紀にわたり、数千、数百万の人々が、かくも限られた想像力の産物のために、殺し合い、あるいはむしろみずからすすんで死んでいったのである。
 これらの死は、われわれを、ナショナリズムの提起する中心的問題に正面から向かいあわせる。なぜ近年の(たかだか二世紀にしかならない)萎びた想像力が、こんな途方もない犠牲を生み出すのか。そのひとつの手掛りは、ナショナリズムの文化的根源に求めることができよう。

(IC: 7, 白石隆・白石さや訳26頁、強調引用者)

学者の筆致ではあるが、アンダーソンはここでナショナリズムが現実にもたらした犠牲者のことを記している。これは明らかにナショナリズムを肯定的に捉えているものではない。むしろナショナリズムの危険性を学術的にその根源から明らかにすることを本書は目指しているといえるだろう。

1. 序

 ここから各章を読み進めていくが、ここでもまずはChatGPTに本書の「序」を要約してもらうところから始めたい。

——この本の「Intorduction」を教えてください。

『イマジンド・コミュニティーズ』の「Introduction(序論)」では、ベネディクト・アンダーソンが国家とナショナリズムを理解するための枠組みを提示しています。彼はまず、「国家」や「ナショナリズム」という概念が歴史的にどのように登場し、変化してきたかを概観します。
主なポイントは次の通りです:
1. ナショナリズムの理解の困難さ:
アンダーソンは、ナショナリズムの定義が非常に難しく、曖昧なものであると述べています。国家やナショナリズムが、他の「-イズム」(例えばリベラリズムやマルクス主義)と比べても、思想体系として厳密に説明されにくいことを指摘しています。それにもかかわらず、ナショナリズムは現代において非常に力強い社会的・政治的現象であり、国家や民族の感情を理解する上で無視できないものです。
2. ナショナリズムと感情の結びつき:
アンダーソンは、ナショナリズムが非常に強力な感情を呼び起こすことを強調します。人々は、国家や国民という概念のために死をも厭わないことが多い。ナショナリズムの感情は、論理的な説明だけでは完全に理解することが難しい一方、個人や集団に深い感情的なつながりを提供します。
3. 「想像された共同体」という概念の導入:
アンダーソンは序論で、「想像された共同体」という概念を紹介します。彼によれば、国家とは、物理的には離れた場所に住む多数の人々が、自分たちが同じ共同体に属していると想像することで形成されるものです。つまり、国家はすべてのメンバーがお互いに顔を知っているわけではないが、共通のアイデンティティを持っていると信じられている共同体です。
4. ナショナリズムの歴史的背景:
アンダーソンは、ナショナリズムが単に近代の産物ではないことを指摘します。彼はナショナリズムの歴史的な前提条件として、宗教共同体や王朝国家の存在に触れ、これらが徐々に世俗的なナショナリズムに取って代わられていった過程を示唆しています。
5. 印刷資本主義の役割:
序論では、後に展開される「印刷資本主義」の概念にも触れられています。印刷技術の発展によって、新聞や書籍が広範囲にわたって流通するようになり、人々は同じ情報を共有することができました。このことが、国民意識の形成に重要な役割を果たしたとしています。
総じて、アンダーソンは序論で、ナショナリズムという現象が単なる政治的な運動や思想ではなく、文化的かつ歴史的に形成された複雑な現象であることを強調しています。彼は、「国家」というものがいかにして想像され、共有され、また広まっていったのかを理解するための理論的枠組みをここで提示しています。

(ChatGPT「Imagined Communities Overview」)

このChatGPTの要約は非常によくできているように見えるが、誤りも含まれている。 ChatGPTは上の「5. 印刷資本主義の役割」の項目で「序論では、後に展開される「印刷資本主義」の概念にも触れられています」と述べているが、これは誤りである。なぜなら、「序 Introduction」では「印刷資本主義 print-capitalism」については文字通り一言も触れていないからである。本書の中で「印刷資本主義」が最初に言及されるのは、第2章「文化的根源」においてであり、その内容が詳しく展開されるのは第3章「国民意識の起源」においてなのである。第2章「文化的根源」と第3章「国民意識の起源」の二つの章は、「印刷資本主義」以前/以後でその章立てが区分けされているといえる。

マルクス主義者

 ChatGPTの要約からは、本書の息づかいが全く聞き取れない。さしあたり、ChatGPTの要約からは読み取れない視点として、アンダーソンの文章が「マルクス主義者」を意識したものであることを指摘しておく。アンダーソンは「序」の最初のパラグラフを次の文章で始めている。

 いまひそかにマルクス主義とマルクス主義者運動の歴史に根底的変容が起こりつつある。そのもっとも明らかな徴候は、ヴェトナム、カンボジア、中国のあいだの最近の戦争である。これらの戦争は、それが独立性と革命性について疑う余地のない体制同士のあいだで起こった最初の戦争であり、しかも交戦当事国のいずれもこの流血沙汰をマルクス主義者 Marxist 特有の理論的観点から正当化しようという試みをなんら行っていないという点で、世界史的意義をもっている。

(IC: 1, 白石隆・白石さや訳18頁)

ここでアンダーソンが「マルクス主義者 Marxist」という言葉をイタリックで強調している点を無視してはならない。というのは、マルクス主義者はむしろ本書の理論構築の上で重要なきっかけを与えているからである。

……ナショナリズムはマルクス主義者理論にとって厄介な変則であり続けてきたのであり、まさにその故に、正面から対決されることなく無視されることのほうが多かったのだと。さもなくば、マルクスが、1848年のあの記念碑的定式化、「いずれの国のプロレタリアートも、当然、まずそれ自身のブルジョワジーをかたづけなければならない」において、この決定的に重要な代名詞が何を指示しているのか明示せずにすませてしまったことを、どう説明できようか。あるいはまた、一世紀以上にもわたって、「ナショナル・ブルジョワジー」の概念が、この形容詞〔ナショナル〕の妥当性を理論的に証明しようという真剣な努力もないままに使われてきたことを、どう説明できようか。なぜ、ブルジョワジー——それは生産関係の観点から定義される限り、世界階級である——のこうした〔国民的〕分割が理論的意義をもつのか。
 本書の目的は、ナショナリズムのこの「変則」をもっと満足のいくように解釈するにはどうすればよいのか、その試論を提供することにある。

(IC: 3-4, 白石隆・白石さや訳21頁)

少なくともアンダーソンは『共産党宣言』の決定的な部分において、マルクスが文字通りにはナショナルな概念を前提として論じている節があると指摘している*1。アンダーソンのナショナリズムをめぐる研究の時代背景にこのような文脈があったことが、ChatGPTの要約からはごっそり抜け落ちてしまっている。しかしながら、そうした歴史的事実は本書を理解する上では決して無視できるものではないであろう。

(続)

*1: ただし、今日では晩年のマルクスが抜粋ノートを作成しながら、「ナショナル」なものも含めて、歴史認識を深めていったことが明らかになっている(クレトケ2023)。

文献

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