はじめに
本稿では、ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』(Benedict Anderson, Imagined Communities, Revised Edition, 2006)を読む。
本書はアーネスト・ゲルナーやエリック・ホブズボーム、アントニー・D・スミスらと並ぶナショナリズム研究の古典として知られる。 筆者が本書に興味を持ったのは、ホッブズ『リヴァイアサン』研究を通じて、社会契約論と言語との結びつきが非常に強いことに気がついたからである。本書を手がかりとして、ナショナリズム研究の中で言語の占める役割を明らかにしたいと思う。
ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』
ChatGPTによる本書の要約と批評
いきなり本文を読み始める前に、まずはChatGPTに本書の概要を示してもらおう。
え、すごくないか…?もはや人間がこれ以上書く必要は無いんじゃないかwという冗談はさておき、少なくともChatGPTが示す水準ぐらいは、人間は超えていかなければならないことになる。あるいは、ChatGPTが十分に理解していない点について論じることが人間には求められると言える。
ChatGPTによる「国民国家」と「ナショナリズム」の混同
一見するとChatGPTの要約は素晴らしいように見える。だが、よく読むと、言葉の使用が厳密ではない。
さしあたり、ここでChatGPTが「国民国家」を「ナショナリズム」と混同している点に関して、厳密に欠けると言わねばならない。なぜなら「国民国家」は「nation state(s)」の訳語であって、これは一応「ナショナリズム」とは区別して取り扱われる必要があるからだ。またもし両者が同じ概念を意味するのだとしても、その場合には両者が同一である点が示されねばならないであろう。加えて、アンダーソンは、文字通りには「国民」を「想像された共同体」と定義したのであって、「国民国家を「想像された共同体」と定義し」たのではない。この点に関しては、ChatGPTが「国民国家 nation-state(s)」を「ナショナリズム」と混同しているからには、より一層厳密に注意を払わねばならない。
本書の厳密な読解においては、「国民(ネイション)」、「国民国家(ネイション・ステイト)」、「国民主義(ナショナリズム)」、「ナショナリティ」がそれぞれどのような文脈で用いられているかを注意深く考察する必要がある。
本書は非西欧社会への視点を欠いているか
ChatGPTは本書を批評する際に、その欠点として「非西欧社会への視点の不足」を指摘している。
こうした批判は実際本書初版の時点ではあったかもしれない。実際、アンダーソンは本書第二版への序文で次のように述べている。
このような経緯で本書第二版以降では第X章「人口調査、地図、博物館」と第XI章「記憶と忘却」の二章が付されているから、先の批判は初版と比べると改善されていると言えるだろう。
アンダーソンはナショナリズムを肯定的に捉えているのか
ChatGPTは本書の批評の中で「アンダーソンは、ナショナリズムを文化的に構築された現象として肯定的に捉えていますが、その内在的な危険性についての批判的な視点が不足しているという批判もあります」と述べている。だが、この点に関しては大いに疑問がある。というのは、アンダーソンは本書の序(Introduction)で現代の戦争に言及することから始めているからだ。
学者の筆致ではあるが、アンダーソンはここでナショナリズムが現実にもたらした犠牲者のことを記している。これは明らかにナショナリズムを肯定的に捉えているものではない。むしろナショナリズムの危険性を学術的にその根源から明らかにすることを本書は目指しているといえるだろう。
1. 序
ここから各章を読み進めていくが、ここでもまずはChatGPTに本書の「序」を要約してもらうところから始めたい。
このChatGPTの要約は非常によくできているように見えるが、誤りも含まれている。 ChatGPTは上の「5. 印刷資本主義の役割」の項目で「序論では、後に展開される「印刷資本主義」の概念にも触れられています」と述べているが、これは誤りである。なぜなら、「序 Introduction」では「印刷資本主義 print-capitalism」については文字通り一言も触れていないからである。本書の中で「印刷資本主義」が最初に言及されるのは、第2章「文化的根源」においてであり、その内容が詳しく展開されるのは第3章「国民意識の起源」においてなのである。第2章「文化的根源」と第3章「国民意識の起源」の二つの章は、「印刷資本主義」以前/以後でその章立てが区分けされているといえる。
マルクス主義者
ChatGPTの要約からは、本書の息づかいが全く聞き取れない。さしあたり、ChatGPTの要約からは読み取れない視点として、アンダーソンの文章が「マルクス主義者」を意識したものであることを指摘しておく。アンダーソンは「序」の最初のパラグラフを次の文章で始めている。
ここでアンダーソンが「マルクス主義者 Marxist」という言葉をイタリックで強調している点を無視してはならない。というのは、マルクス主義者はむしろ本書の理論構築の上で重要なきっかけを与えているからである。
少なくともアンダーソンは『共産党宣言』の決定的な部分において、マルクスが文字通りにはナショナルな概念を前提として論じている節があると指摘している*1。アンダーソンのナショナリズムをめぐる研究の時代背景にこのような文脈があったことが、ChatGPTの要約からはごっそり抜け落ちてしまっている。しかしながら、そうした歴史的事実は本書を理解する上では決して無視できるものではないであろう。
(続)
註
*1: ただし、今日では晩年のマルクスが抜粋ノートを作成しながら、「ナショナル」なものも含めて、歴史認識を深めていったことが明らかになっている(クレトケ2023)。
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