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「文字じゃない言語」──山口つばさ『ブルーピリオド』

はじめに

Twitterで「インテリヤンキーが絵をかく楽しさに目覚める話」というものを見かけた。

読んでいるうちに引き込まれた。

『ブルーピリオド』という漫画らしい。

第1巻が電子版で無料で読めるということで、Amazon Kindleで第1巻を購入した。

結局、読み進めるうちに最新第5巻まで購入した。

それにしても、なぜこんなに引き込まれるのだろう。

ねとらぼの対談も面白い

『ブルーピリオド』の作者である山口つばささんと、画家の中島健太さんとの対談が「ねとらぼ」に載っていた。

この対談も色々と考えさせられる。

『ブルーピリオド』は、一言で言えば、主人公の矢口八虎が東京藝術大学を目指す漫画だ。しかし、そこには様々なドラマがある。

美大の学費と親による承認の問題

主人公の八虎は、美術部員の絵を見たことをきっかけに、美大を受験することを決意する。

美大は、他の一般的な学部の学費と比べて、学費が高いと言われる。

八虎の家庭では、私立美大のような高額の学費を払うことは難しい。八虎の父親は本人が進みたい道に進むことを認めている。他方、母親は学費が経済的で、かつ一般的な学部に八虎が進学することを望んでいる。

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八虎は志望校を東京藝大一本に絞ることにする。その理由は、東京藝大の学費が美大の中でもとりわけ安いからだ。

藝大の倍率はものすごく高く、藝大を出て普通に就職することはできる。が、藝大を出たからといって、画家になれる訳ではない。作中で八虎も美大進学について母親を説得することに悩んでいる。

画家になることについて、対談では次のように語られている。

中島:学費を払っているから指導してほしい(笑)。でも、美大に入ったあと「どうやったら画家になれるのか」が本当にわかりませんでした。自分の場合は父が急逝して経済的な事情から、早く自分の作品をお金に変えなきゃというモチベーションが芽生えて、それでとにかく動いたのが今につながっているんですが、「どうやって」をあらためて考えると美大教育にはその視点がない。「絵を描いて/それを生活の糧にして/また描く」方法を一切教えてくれない。藝大もそうでしたか?
山口:全くないですね。サバイバルの方法は知りたかった。これは私自身が圧倒的に勉強不足だったんですけど、卒業するまでプライマリーとセカンダリーの違いも知りませんでした。お金に対する「がめつい≒恥ずかしい」空気はめちゃめちゃあって。
「美大は“絵で食べる方法”を教えてくれない」 漫画『ブルーピリオド』作者と完売画家が考える“美術で生きる術”

八虎は美大を卒業した後、どうなっていくのだろうか。

なぜ『ブルーピリオド』に心揺さぶられるのか

僕が『ブルーピリオド』を読んで心揺さぶられるのは、主人公が絵に対して真摯に向き合っているところだ。

主人公が大学受験を目指す高校生だからかもしれないが、およそ10年も前の自分の青春時代に、自分は何をしていたのかを想い起しながら読んでしまう。つまり、自分自身の過去が想起されるから心揺さぶられるのかもしれない。

作中で主人公はもちろん東京藝大に受かるために絵を練習しているのであるが、究極的には東京藝大に受かるために絵を描いているのではない。というのも、「表面的なテクニックではなく、本質的に自ら楽しんで絵を描けているのか」という問いが、主人公には常に突きつけられているからだ。

「文字じゃない言語」──自己表現の先にある「会話」

『ブルーピリオド』を読んだ後は、自分は自分の望む良い仕事をできているか、ということを自分に突きつけられるような気がする。なぜなら、本当に良いと思う自分の中の基準ではなく、ついつい上司が求めているものを基準として仕事をしてしまっているかもしれないからだ。

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ここで主人公は「周りに少し気を遣いすぎる」という性格が美術の先生によってズバリ指摘されている。『ブルーピリオド』を読み進めたとしても、主人公は周りを気にし過ぎるという性格をなかなか脱却していくことができない。主人公の八虎は独自の視点を持っているものの、彼が上手く絵を描けない時には、きまって他の作品と比較し、他の作品を参考にしようとしてしまっている*1。

主人公の八虎は、自頭が良く、相手の期待に応えることがうまい。しかしそれは、自分ではなく、周りに、世間に合わせているだけ。上手く世渡りするのであれば、それで良い。

しかしながら、美術においては、空気を読んで周りに合わせることに価値はない。むしろ徹底的に自己の審美観と向き合い、多種多様な素材や道具を用いて能動的に表現することこそが美術だと言える。

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美術は「文字じゃない言語」だと作中で言われている。が、この「文字じゃない言語」を通じて「ちゃんと人と会話」することができるのは、『自分にはこう見える』『自分はこれが好きだ』という“自己”をそこに表現することによってだけなのである。

*1: 「自分ではなく周りを気にし過ぎる」という美術上の致命的な弱点を抱えているのは、実は八虎だけではない。東京藝術大学に現役主席合格した姉を持つ桑名マキもそうであるし、「女装男子」として登場する鮎川龍二(ユカちゃん)もそうである。桑名は姉の作風を、姉の面影をいつも意識してしまう(『ブルーピリオド (4) 』)。鮎川は「女装」という個性的なキャラを演じており、日本画家を目指して自己を表現しているように見えるのだが、実はそれは祖母に味方し、祖母の期待に応えることでしかなかった(『ブルーピリオド (5)』)。「自分ではなく周りを気にし過ぎる」というのは、ある意味で、誰もが持ちうる弱点なのであり、この点を克服することによってのみ画家になれるといっても過言ではないのかもしれない。

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