オリエンタリズムと音楽

(本項目は工事中である。)

はじめに

 『音楽思想史』の目次を立てた時、実際に自分が作った章立てを見て唖然とした。というのも、タイトルでは音楽思想史を掲げているが、にもかからず、それは西欧という局地的な音楽思想史に過ぎず、アジア・アフリカ・アメリカなどの他の地域における音楽思想を取り扱えていないことが、見るからに明らかだったからである。それゆえ、第一章のタイトルは「(西欧)音楽思想史概論」とせざるを得なかった。だが、これでは単なる西欧を中心として見た音楽、すなわちオリエンタリズムの音楽思想史になってしまう。
 そこで章と章の間に、「間奏曲(インテルメッツォ)」というコラム欄を作り、「オリエンタリズムと音楽」という項目を入れることにした。ヌケモレのあるトピックについては「間奏曲」で扱うことにした。他に扱うべきトピックは何かと考え、「日本の音楽思想史」「ジェンダーと音楽」という項目を設けた。
 「オリエンタリズム」の提唱者として知られるエドワード・サイードは、音楽評論家としても活動していた。といっても、私もサイードが音楽について書いていることは、この項目のための参考文献を調べるまでは知らなかったのだが。

他の音楽を侵食する西欧音楽

 オリエンタリズムと音楽についてどのように考えたら良いだろうか。
 一つ考えられるのは、楽譜という西欧音楽の文法である。音楽が楽譜の形式に従うということ自体が、一つのオリエンタリズムになり得る。楽譜とは〈音楽のエクリチュール〉であるとともに、〈音楽の帝国主義〉である。〈音楽のエクリチュール〉としての楽譜は、音楽の時空を超えた伝播に役立つが、〈音楽の帝国主義〉としての楽譜は、楽譜の形式を受け入れないものを音楽として見做さない。あらゆる地域に音楽のようなものはあれど、楽譜のような音楽を記録する文法がないがゆえに、即興で演奏されて消えていった音楽が数多く存在すると考えられる。
 西欧音楽の要素が他の地域に伝播していったことで、その地域固有の音楽を侵食し、変容させてしまうこともあるかもしれない。ジャズを例に取ろう。

「そもそも、ジャズのスウィングは、アフリカ系米国人の持つ音楽的特質なのだろうか。ヨーロッパの音楽学者の中には、ジャズとヨーロッパ音楽との大きな違いが、スウィングに、或いはスウィングの有無にあると考えている者もいるようだ。しかし、私は全く違うと思う。むしろ、本来拍節的な規則性を持たなかったアフリカ系米国人達の音楽に、スウィングという規則性を持ちこんだのが、ヨーロッパの音楽だったのだ。ディキシーランドジャズも、一九三〇年代のスウィングジャズといわれる者も、その多くはコケイジョン(白人)の音楽家によって始められている。また、ジャス音楽を指して、アフリカのリズムとヨーロッパ音楽のハーモニーとの融合などと言う人もいるが、賛同できない。アフリカ音楽のリズムは、複合リズムで、少なくとも十八世紀〜十九世紀のヨーロッパ音楽では記譜するのすら困難なくらい複雑である。アフリカ系の作り出した、ヨーロッパ音楽には無い独特のハーモニーに、ヨーロッパの単純なスウィングを組み込んだのが、ジャズ音楽ではないかと思っている。」(森本恭正『西洋音楽論 クラシックに狂気を聴け』Kindle版位置No.1064以下)

(工事中)

文献(予定)


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