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「権利」という翻訳語

 今回は「権利」という翻訳語について書きたいと思います。

「権利」の「利」

 一昨年、私は「ヘーゲルの権利論」(荒川 [2017])について執筆していました。その際に「権利」という言葉について色々調べてみたのですが、それによってふと気になったことは、「「権利」という翻訳語は、ドイツ語のRechtの訳語としてはふさわしくないのではないか?」ということでした。というのも、「権利」の「利」、すなわち「利益」の「利」に該当する意味が、ドイツ語のRechtには含まれていないということに気づいたからです。

 かつて福澤諭吉は、rightに対して「権理」や「通義」という翻訳語を用いていました。「権利」よりも「権理」の方がまだ訳語として筋が通っていると思います。

 しかし、「権利」よりも「権理」の方が適切だということを説明するためには、「理」の字についても十分に考察を深めなければなりません。儒教思想に通暁していた西周には、このことが十分認識されていたと言えるでしょうし、じじつ西周は「理」の字について何度か説明をしています。*1。

 もっとも私が論じるまでもなく、「権利」という翻訳語が適切ではないということはすでに先行研究にて示されておりました*2。

翻訳語としての「権利」以前/以後

 「権利」という語は、rightなどの翻訳語として用いられる以前に、すでに中国の古典において「権勢と利益」という意味で用いられていました(市原 [2010b])。

「是故権利不能傾也、群衆不能移也……。」(『荀子』巻第一 勧学篇第一)
「大史公曰、語有之以権利合者、権利尽而交疎。 」(『史記』鄭世家 第十二 賛)

このように「権利」という語は、rightの翻訳語として用いられるずっと前に、「権勢(power)」と「利益(interest)」という意味で用いられていたといえるでしょう。

 では、「権利」という言葉をrightの翻訳語として使い始めたのは、一体誰なのでしょうか。

 rightの訳語として「権利」や「権」を使用した例は、漢語訳『万国公法』(ウィリアム・マーティン=丁韙良訳、1864-1865年頃)*3にみられるそうです。そしてそれを日本明治の啓蒙知識人が転用したといわれています。

 日本人による「権利」の最初の使用は、津田真道訳によるシモン・ヒッセリング著『泰西国法論』(1866年)に見られるようです*4。この翻訳書の「凡例」において津田は「ドロワ〔仏: droit〕ライト〔英: right〕レグト〔蘭: regt〕」について次のように説明しています。(ただし文字が読み難く書き起こしが面倒なので、本書からの引用は画像で示します。)

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(上の画像は国立国会図書館デジタルコレクション - 泰西国法論. 巻1から)

『泰西国法論』の「凡例」では、「権」の一文字だけが登場し、「権利」の二文字は用いられていません。同書で「権利」がはじめて登場するのは、以下の部分です。

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上の画像の3行目の「人民の権利平安を保護を可き事」という箇所に「権利」の使用が確認できます。とはいえ原語を確認していないので、この「権利」がregtの訳語かどうかは注意が必要です。私の直観的な推測に過ぎませんが、「人民の権利平安」はSalus populi*5のことを意味しているのかもしれません。

 また津田真道と同時代に「権利」の二文字を使用した例は、加藤弘之『立憲政体略』(1868年)にもみられます(市原 [2010b])。

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(上の画像は加藤弘之『立憲政体略』近代書誌・近代画像データベースから)

 ここで一旦、西周の「権利」に注目してみましょう。

 大野達司は、西周が功利主義に依拠した「人世三宝説」*6で、rightを「権利」とした、と述べています(大野 [2016]、11頁)。西による「権利」の使用例をみてみましょう。

「政府という会社は他の会社をも管轄するの権利を有す。」(「人世三宝説」5)
「然り而して三宝の道学に在ては人世社交を認めて個々人々交互に同一権利を有するものとす。」(「人世三宝説」7)

上の2つの引用文を見ると、「政府」の権利と「個々人」の権利の2つが出てきます。一見すると「政府が権利をもつ」という西の主張は、よくわかりませんね。「政府」の権利があるとすれば、それはright(権利)ではなくpower(権力)ではないかという気がします。現代においても「権力」の「権」(例えば立法権の「権(Gewalt)」)と「権利」の「権」(所有権の「権(Recht)」)は混用されるのが通常ですが、西周は「権利」を「権力」として用いているのでしょうか。私にはよくわかりませんが、少なくとも鈴木修一は、この箇所を解釈して、西周は「権利」が「義務」の意味で使われているように思われる、と述べています。

「政府という会社は三宝のすべてを貴重増進するのを保護することを目的として設けられたのだから、「此由縁ヲ以テ」「他ノ会社ヲモ、管轄スルノ権利ヲ有スルナリ、譬ヘバ貨殖ノ会社モ、工業ノ会社モ、教法(=教門)ノ会社モ、三宝保護ノ権義ニ渉ル丈ノ所ニテハ、他ノ会社ヲ、管理スヘキノ義務アルナリ」(同右)と言われるが、少々解りにくい。ここに「権利」「権義(=権利義務)」「義務」ということばが出てくるが、「管轄スルノ権利」が「三宝保護ノ権義」となり、「管理スヘキノ義務」となるに至って、「権利」と「義務」ということばが、同じ意味で無差別に使用されているが、ここではむしろいずれも「義務」の意味で使われているように思われる。そうでないと、保護することが政府の機能である以上、それを義務でなく権利とすることは、政府の統制機能を強め、保護機能を逸脱してしまうことになるだろう。もっとも、当時の明治専制政府は、それを権利として行使し、殖産興業をはかり、富国強兵化を目指そうとしていたことから、現実は権利だったのかもしれないが。」(鈴木 [2005]、32〜33頁)。

西周が生きていた当時、明治啓蒙知識人たちにはハーバート・スペンサーの社会有機体説や社会進化説、J.S.ミルのいわゆる「功利主義」が受容されつつあり、実際にJ.S.ミルの『利學(Utilitarianism)』*7を翻訳していた西周としては、「権利」という翻訳語によって、儒学においてネガティブに捉えられていた「利」*8をポジティブなものへと転化しようとしていたのではないかと考えられます。

 ちなみに「利」という言葉で観念されるのは、「利益(interest)」という意味と「功利(utility)」という意味の2つがありますが、西周が「権利」という言葉を用いた際に、「利」のなかに込めた意味はinterestとutilityのどちらでしょうか。おそらく両方でしょう。まず「人世三宝説」には「私利(self-interest)」の追求と、社会目的としての「公益(public interest)」が登場しますので、西が「利益(interest)」の意味を意識していなかったとは言い切れないでしょう。そして同時に、大野が指摘するように、西は功利主義的な意味での「利」を観念していたでしょう。

 ここで「権利」の「利」の字に対する私の違和感を解消する手がかりとして、功利主義的な意味での「利」に注目してみます。功利主義における「利(utility)」には、「政府」すなわち統治の観点が入ってきます。

「効用原理(principle of utility)とは、その利害が問題となる人々の幸福を増加させる見込みがあるか、もしくは減少させる見込みがあるかどうかに基づき、[…]すべての行為を是認ないし否認する原理である。すなわち、私の言うすべての行為には、私的な諸個人のすべての行為だけでなく、政府のすべての政策もが含まれる。」(ベンサム [1967])。

ここではベンサムの「功利原理」を引きましたが、「政府のすべての政策」をも含意する「功利原理」は、おそらくJ.S.ミルにも多少違った形で引き継がれていると思われます。

 このように「権利」の「利」を、中国古典に見られる「権勢と利益」の系譜ではなく、功利主義の系譜に位置付けると、あらためて違った見方ができるのではないでしょうか。

「権利」の「権」

 先に述べたように、私は「権利」の「利」の字に対して、翻訳語として違和感を覚えていたのですが、最近は「権利」の「権」の字にも違和感を覚えるようになりました。

 「権利」の「権」はもともと「権勢」の「権」すなわち「力(power)」を意味します。しかし、柳父章は「rightは力ではない」(柳父 [1982]、161頁)と述べているのです。もし柳父が指摘するように「rightは力ではない」のであれば、「権利」の「権」は翻訳語としてふさわしいのかという疑問が生まれます。

 「権」は、例えば「君主権」「立法権」「統治権」の訳語として用いる場合にはふさわしいと言えるでしょう。なぜならこれらの「権力(英語のpower、ドイツ語のGewalt)」はまさに「力(power/Gewalt)」に他ならないからです。

 このように「権」という言葉は、「権力」の「権」としてはふさわしいと言えますが、では「権利」の「権」としてはふさわしいと言えるのでしょうか。

 この点を考察するためには、我々は「力(power/Gewalt)とは何か」について考える必要があると思いますし、また「権利」の概念史に遡って考える必要があると思います。

 そこでまず手引きとして、西欧近代における「権利」の用例を見ていきましょう。
(以下の記事に続く。)

*1: 西周「尚白箚記」及び「理ノ字の説」。

*2: 詳しくは、柳父 [1982]「8 権利 ー権利の「権」、権力の「権」」、大野 [2016]「第1章 法と権利」を参照せよ。

*3: Henry Wheaton, Elements of International Law, 1836.

*4: 市原 [2010b]。ちなみに細かい点を指摘しておくと、市原は「「権利」という言葉が日本語のなかに登場するのは幕末から明治維新にかけての頃である。フィッセリング口述・津田真一郎(真道)訳『泰西国法論』(初版 1866)の「凡例」のなかで用いられたのがもっとも早い例として知られている。」(市原 [2010a]、16頁)と述べているが、私見では『泰西国法論』(明治八年=1875年、文部省)の「凡例」のなかで用いられていたのは「権」の一文字であって、「権利」ではなかった。この点では、市原自身による次の説明の方が正確であると思われる。「日本における近代的「権利」の使用例としては、「権」という一語を使っている例ではあるが、ヒッセリング著・津田真道(真一郎)訳『泰西国法論』(初版1866年)の「凡例」における用例が先にあ」る(市原 [2010b])。

*5: "Salus populi suprema lex." Cicero, De legibus, 3.8.

*6: 西のいう「三宝」とは「健康(マメ)」「知恵(チエ)」「富有(トミ)」の3つのことである。「人世三宝説」(『明六雑誌』第三八号、明治八年=1875年)の読解については、後藤 [2000]や、菅原 [2002]をみよ。

*7: 原著は1861-63年出版。西周訳は1877年出版。

*8: 「利によりて行へば恨み多し」「君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩(さと)る」(孔子『論語』)

文献

荒川幸也 2017「ヘーゲルの権利論」(田上孝一編著『権利の哲学入門』社会評論社).
市原靖久 2010a「1 権利 right ー主観的 ius とは何か?ー」(竹下賢ほか編『はじめて学ぶ法哲学・法思想』ミネルヴァ書房).
市原靖久 2010b「権利の概念史シリーズ第1回 『権利』の古典的意味と近代的意味」関西大学学長室, 大学執行部リレーコラム.
大野達司ほか 2016『近代法思想史入門 日本と西洋の交わりから読む』法律文化社.
後藤愛司 2000「西周『人世三宝説』について」岐阜聖徳学園大学短期大学部紀要 32.
菅原光 2002「「君子の哲学」としての"utilitarianism" ー西周『利学』と「人世三宝説」ー」政治思想研究 2.
鈴木修一 2005「西周「人世三宝説」を読む (二)」神奈川大学人文研究 157.
柳父章 1982『翻訳語成立事情』岩波書店 (岩波新書).
・ベンサム 1967「道徳および立法の諸原理序説」山下重一訳 (『世界の名著38 ベンサム J.S.ミル』中央公論社).

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