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現地集合!現地解散!自由気ままな女2人のサントリーニ島&ナポリ旅

大学生活最後の夏休み、私は5週間でヨーロッパ5カ国(イギリス、ドイツ、ギリシャ、イタリア、スペイン)を巡る旅に出た。

そもそもこの旅の目的は、かつてイギリスに留学していた際にお世話になったホームステイ先の家族や、そこで出会った友人、当時ドイツに留学中であった幼なじみを訪ねることだった。そのため基本は一人で移動し、各々の渡航先で旅のひとときを共有するバディに会う、という自由度の高い旅だ。

社会人になれば長期休暇の取得は困難だろうと思い、バックパック片手にできるだけ安く旅費を抑えつつ、会いたい人がいるところに行ってしまおう!とそれまでコツコツ貯めてきた数年分のバイト代をつぎ込む決意をした。

なぜサントリーニとナポリ?

最初はイギリス、ドイツ、スペインの3カ国をひと月程で巡る旅程を組んでいたのだが、そのことを高校時代の親友(=P)に話すと、「うちも行きたい!」と言い出した。彼女も既に夏の予定をある程度組んでいたので、私がヨーロッパに滞在している間の1週間、現地で落ち合い一緒に観光することにした。行先はお互いに行きたい場所を1箇所ずつあげて決めた。

 私:  「サントリーニ島行きたい」
 P :  「ギリシャええやん!行こ!」
 私:  「あんたはどっか行きたいとこある?」
 P :  「美味しいピザ食べたい!」
 私:  「ピザといえばナポリよな」
 P :  「よし、サントリーニ島とナポリで!」

LINEで5分もかからないやりとりの末、私たちの行先が決まった。移動手段や2地域間の距離などまだ何も検索していない段階だったが、「1週間あればなんとかなるか!」と、日程だけ先に決めておき、「〇月〇日アテネ集合で!」とその日のLINEを終えた。

2人ともマイペースな性格なので、現地での大まかなスケジュールだけ決めて、あとは成り行きにまかせるような旅をした。盛大に笑い、たくさん食べ歩き、時には少し険悪なムードになることもあった1週間の珍道中だ。

この自由気ままな女2人旅が、後に私にとってとても大切で忘れられない旅になるなんて、PとLINEで旅程の相談をしていた時には夢にも思わなかった。この旅を終えて10年が経つ今、改めて記憶を呼び起こし、大切な旅の記録をここに残したいと思う。

ホテル集合の落とし穴

直前までドイツのデュッセルドルフにいた私は、フランクフルトからテッサロニキ経由でアテネに入った。実はこのギリシャ入国までの道のりが波乱に満ちたものだったのだが、その様子は別の記事で紹介している。

友人のPは関西出発でアテネへと向かった。待ち合わせ場所は当初空港にしようかと考えたが、長距離フライトは遅れることも多く、正確な時間が読めないため、予め手配しておいたホテルで会う事にした。先に着いた方はチェックインを済ませ荷物を置いて、周辺を散策するなど自由に過ごすことができるからだ。

そして待ち合わせ当日、ホテルに先着したのはPだった。彼女の名前で予約していたため、チェックインは問題なかったようだが、その数時間後、私のチェックインの際には少し困ったことが起こった。パスポートがあるので身分を証明するのは簡単なのだが、予約に私の名前がないため、先にチェックインを済ませているPと友人関係にあることを示すのが困難だったのだ。

家族ではないので当然苗字は異なる。フロントスタッフが部屋に内線を入れてみるが、残念ながら不在。彼女と一緒に写っている写真を見せるも、「彼女のチェックインは別のスタッフが担当したので分からない」と言われてしまう。最終的には「あなたを信じてるからね!」とスタッフに何度も言われ、ようやく入室できた。

考えてみれば、若い女性が1人でいる部屋に関係性がはっきりしない人間を案内するのは危険だと思われても仕方ない、と反省した。日本の宿泊施設では、一言「〇〇の連れだ」と言えばここまで疑われる事なく部屋に案内してくれる。この一件は、特に何か問題が起きたわけではないが、アテネ市内と私たちが生まれ育った国•地域の治安の程度の違いを現実的に実感させてくれる出来事となった。

教科書でよく見た景色

治安が少々悪いからといえ、ホテルで縮こまっている私たちではない。とりあえずパルテノン神殿だけは見よう!と決めてあとは適当に市街地を練り歩いた。

ヨーロッパあるあるだと思うのだが、歴史的価値の高い建造物が意外と市街地のすぐ近くにある。むしろ、歩いていると突然目の前にそうした場所が現れることもあるので飽きない。

さすがに世界的に有名なパルテノン神殿周辺は、観光客で大混雑していた。

かの有名な神殿のアングルは、まさかの工事中だった。

正面は工事中で少し残念な気もしたが、違いの分からない私たちには神殿の裏側でも十分に「教科書で見たあの建物」だった。

「愛してる」がピンチを招く

ギリシャにはサントリーニ島やミコノス島など観光地として世界的に有名な離島を含め、3000以上の有人•無人の島がある。サントリーニ島へ渡る前日、私たちは地元のツアー会社で偶然空きのあった、3つの島を巡る日帰りのフェリー旅に出た。

立ち寄った島の名前は忘れてしまったが、港でジェラートを食べたり、野良猫と戯れたり、バスツアーに参加して名所巡りをしたり、特産品のピスタチオを土産に買ったり、とても忙しい一日を過ごした。

初めて見る生のピスタチオ

歴史的建造物を目前に無駄にはしゃいでしまったりもした。

ツアー中はフェリーの中で過ごす時間も長く、船内では様々なレクリエーションが楽しめるようになっていた。観客参加型のダンスパフォーマンスなどもあり、ノリのよい性格の友人はすぐに手を挙げ輪の中に入っていく。

私には真似できない彼女のノリの良さは、基本的には場を盛り上げ、異国の地でも周囲の雰囲気を良くするのだが、時に問題を招きそうになることもある。

彼女は海外に行くと、現地の言葉で様々な人に「愛してる」と気軽に言うのだ。土産物屋や飲食店の店員、ホテルスタッフなど誰彼構わず英語で普通の会話を交わした後に「セ•アガポー(ギリシャ語でI love you)」と言う。そして大抵の場合はひと笑いしてくれて、笑顔でその場を後にする。

このツアーのフェリーの中でも彼女は多くのスタッフに同じように振舞っていた。すると、昼食会場の食券を管理するオジサンが(どこまでその気かは分からないが)本気にしてしまったらしい。しきりに彼女の連絡先や滞在先のホテル、今夜の予定などを聞いてきた。最初は適当にはぐらかしていたが、さすがに危機感を感じ、忙しいから!と言って慌ててその場を離れた。

アテネに帰港する直前の出来事だったので、すぐにフェリーを降り、暫くは後ろを警戒しながら少し回り道をしてホテルに戻り、2人で笑いあった。そんな出来事があった後も、彼女は変わらず「セ•アガペー」と言い続けるので参ったものだ。

映えすぎる観光島での一幕

翌日悲願のサントリーニ島へと渡った。幼い頃から旅行会社のカレンダーや電車内のポスターなどで何度も見て、一度は行ってみたいと思っていた場所だ。

ただし、憧れの景色はそう簡単には姿を現してくれない。島に到着後まずは予約しておいたホテルに向かおうとタクシーに乗った。学生旅なのでエーゲ海を見下ろすようなロケーション抜群の高級ホテルには泊まれない。名所からはかなり離れ、少し寂れた街なかにあるホテルへと向かおうとした。

そのタクシーで悲劇が起きた。乗車時にホテルの名前を伝えようとしたのだが、正しい発音が分からず、それっぽい名前を伝えると運転手は二つ返事で、「あー○○ホテルのことだね!OK」と言って車を走らせた。私たちも慣れた感じの運転手の返事に気を良くして、念入りに確認することもせず「おー!イェース!」と言ってしまったのだ。それからホテルに着くまでは、どこから来たのか、ここには何泊するのか、オススメのレストランなど運転手交えて上機嫌に話をした。

ホテルに着くと宿主が出迎えてくれたのだが、そこで私たちが予約したのとは別のホテルに来てしまったことに気づいた。宿主はすぐにタクシー運転手にそのことを告げ、別のホテルに行くよう頼んでくれたのだが、明らかにその運転手は憤慨していた。予約したホテルへ向けてもう一度車を走らせてくれることにはなったが、車中の雰囲気は最悪だった。私たちも何度も謝ったが運転手はまくし立てるように母国語で不満を言い続けていた。

なんでも、観光客が島にやってくるのは1日のうち決まった時間帯だけの為、その間に港と各地のホテルを何往復もして稼ぐそうだが、その時間が私たちのせいで無駄になったらしい。何度も謝り、降車時のチップもかなりはずんだつもりだが、最後までそのオジサンの機嫌は治らなかった。

憧れの景色

この一件でさすがの私たちも精神的に疲れてしまったが、せっかくのサントリーニ島だ。ホテル近辺からバスに乗ってかの有名な映えスポットへと向かった。

想像していた以上の絶景が広がっていた。写真では残念ながらその全貌を収めることはできないが、とにかくどこを見ても絵になる美しさだ。絶景を目前にすると、先ほどのタクシーでの出来事なんてすっかり忘れ、その場を楽しむことができた。

景色を見るのはタダだが、それ以上のものを望むとさすがは離島の観光地、物価はアテネの倍じゃ効かない。景色のいいカフェに入ってスイーツと飲み物を頼むだけで数千円が飛んでいくのだが、映画の一幕のような気分を味わいたいと奮発してしまう。

ワッフルに梅干し?とよく言われるが、イチゴアイスです

青いエーゲ海がオレンジ色に輝く日没前のひと時は、はるばるここまで来て良かったと心から思わせてくれるような絶景だった。

サントリーニ2日目もロバ(ポニーか?)に乗ったり、(日本では絶対着ない)ビキニを現地調達して海水浴したりと、満喫しまくった。

満喫の裏側: ハラへ騒動

思い出の写真は概ね楽しんでいる瞬間を写しているものが多い。ただし現実は楽しさだけではない。この時点ですでに私とPは5日ほどの期間を共に過ごしているのだが、いくら仲の良い親友でも24時間常に一緒にいるとお互いにストレスが溜まる。

ストレスのせいで私が少し敏感になりすぎていたように思うのだが、この頃から彼女の「ハラへ」という口癖にイライラしてしまう自分がいた。

何よりも食べることが好きな彼女はすぐに「ハラへ(腹が減った)」と言っていた。小腹が空いてスイーツを食べたい時にも「あーマジ、ハラへ」と言うので、1日に何度もそのワードを耳にする。

私はどちらかと言えば、食事は二の次三の次でいろんなものを見たい、街なかを歩き回りたいという衝動が強いタイプだ。その欲求のせいか、最初はなんとも思わなかった彼女の「ハラへ」という言葉が次第に耳障りになってきた。

私の機嫌が悪くなっていることに、当然彼女も気づいていた。ただ、こんなところまで来て喧嘩するのも嫌なので、「夕食までは別行動で!」と意識的に1人になる時間を作り、穏便に済ませようとする。こうして一時は口数が少なくなることもあったが、美味しいものを食べてサントリーニ島を後にした。

初めて食べたムサカ(写真右)という郷土料理が美味しすぎて感動した。以後メニューにあると必ず注文した。
豆腐のようなチーズ(フェタチーズ)がめちゃうまだった。

余談だが、旅行の1年後彼女とこの時の事を振り返った際に、私は初めて「ハラへって言葉がなんか嫌やってん」と告げた。彼女は大爆笑しながら「ほなそれはよ言うてや!うち、なんかしたんかなってずっと思ててんで!」と2人のいい思い出&笑い話になった。

ナポリピッツァ発祥の地

次の目的地、ナポリへと向かった私たちのノルマはただ一つ、美味しいピザを食べることだ。まだ私のイライラの原因を知らないPはここでも「ハラへ」を連発するのだが、翌朝にはお別れなので私も心を落ち着かせて、世界一のピザに集中することにした。

私たちのナポリ滞在はわずか1泊だったが、1日あれば、人気店の大行列も敵ではない。どのガイドブックやサイトにも載っている王道の有名店を目指した。

席数はかなり多く、相席もガンガンしていくので待ち時間はそれほど長くはなかったように思う。メニューはマリナーラとマルゲリータの2種類のみ。そして、ナポリピッツァは1人一枚の注文が当たり前。職人が一枚一枚石窯で焼き上げる様子を間近で見ながら食べられる。

2種類とも注文し、半分ずつ分けて食べた。直径30cmほどもあるピザだが、食べてみると重たい感じはなく、意外にペロッと食べきれてしまうから驚いた。モチモチで香ばしい香りのする生地がとにかく美味しい。フレッシュなバジルやトマトソースとの相性が抜群だった。

一瞬の別れ

無事ナポリピッツァを堪能した後は適当に街をぶらついた。そして翌朝、最後の晩餐と称してオシャレなカフェのテラス席でモーニングを食べた。

午後のフライトに搭乗予定のPは、空港行きの路面電車に向かい、私も見送りについていった。空港方面行きの停留所は見つけたが、いろんな路線が乗り入れする停留所で、どの電車が空港へ行くのかイマイチ分からない。

そこへ到着した電車の入口付近に立っていた乗客に「エアポート?」と聞くと、「YES!YES!早く乗れ!」と言われ、そのまま彼女は満員電車に引きづり込まれていった。「これホンマに空港行くか分からんけど、行ってみるわ!ありがとう!バイ。。。」(バイバイと言いかけたところでドアが閉まりすぐに発車した。)一瞬の出来事だった。おそらく車内の彼女からこちらの様子は見えていないだろうが、電車が見えなくなるまで手を振っておいた。

最後の最後までドタバタだったが、その後彼女からは無事空港到着の連絡が入った。そして、彼女は別の友人と待ち合わせをしているNYへ、私は2日ほどローマを散策した後、スペインへと向かった。

永遠の別れ

この旅から3年後、彼女は卵巣癌を患い4年の闘病の末、28才の若さでこの世を去った。

発病前はいい飲み仲間だった。コロナ禍で会えない期間もあったが、発病後も連絡を取り合い、体調のいい時にはランチに行ったりもした。亡くなる10日ほど前にもLINEで連絡をとっていたので、訃報の際は信じられなかった。

彼女の葬儀が終わり、泣き疲れた頃、ふと彼女のInstagramを開いた。最後の投稿は亡くなる1週間ほど前だったのだが、病気に必ず勝ってみせるという覚悟の長文が綴られていた。この投稿には大量の食べ物のコラージュ写真がアップされており、「美味しかったしまた絶対食べるものたち」というコメントが添えられていた。食べることが大好きな彼女らしい一言だ。

その一番初めの食べ物の写真が、ナポリで私と食べたピザの写真だった。

この時彼女は、向こう側から私と同じようなアングルでピザの写真を撮っていた。その写真がInstagramにアップされていたのだ。亡くなる寸前まで思い出の味として彼女の心に残っていたのかと思うと嬉しさと、でももう二度と一緒には食べられないという寂しさ、悔しさ、悲しさ。。。言葉にならない気持ちに襲われた。

その頃から私は定期的にこのギリシャ、イタリア旅行の写真フォルダを見返すようになった。高校時代は毎日のように一緒にいたのに、15年も経つと悲しいが当時の記憶がぼやけている。だが、この旅の間の彼女の様子は忘れない。

旅をしているとただ食事をしているだけのような日常の風景まで写真に収めようとする。たった1週間の旅だったが数百枚にも及ぶ写真のおかげで、当時の彼女の様子や交わした会話、その場の雰囲気などが鮮明に思い起こされる。

はじめのうちは写真を見返すたびに涙が溢れ出てきた。しかし、今ではこの写真のおかげで私は彼女と思い出の中で笑いあい、ふざけ合うことができる。

私にとっての忘れられない旅は今もこれからも、この自由気ままな女2人旅だ。

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