〈市長小学校〉復興のセツルメント〈家〉
オルタナティブな〈市長〉の仕事は、難民といっしょに復興のセツルメント〈家〉を作ることです
これらは単に政治革命ではなく、蝶の革命人間の無意識や文化に働きかける〈詩のような爆弾〉であり、〈壮大な戦場〉だったのです。
僕たちの世代のジェネレーションレフト多くの若者の出発点は左翼だった。世界革命やマルクスという言葉に響かない人間は不思議でならなかったし、その僕たちが失敗したのは、世界革命はラストページとするノンブルだった。あのCovid-19 はそれを僕たちに教えてくれた。その1ページ目にあるのは、最初に革命を起こすことだった。それが自己の生体であれ、自己のコミュニティであれ、自己のパブリックであれ。
まず、革命を作ろう。
サンフランシスコ大地震の後、被災したある女性は、公園に野宿していた三日目に、間に合わせのドアやテントを用いて、小さなスープ・キッチンを作り、周囲の人々のために食事(炊き出し)を作り始めた。やがて居合わせた見知らぬ人々の協力で、壊れたあちこちの建物からガスコンロが集められ、食器を買うための募金が行われ、それはたちまちに200名から300名分の食事を無料で提供するキッチンへと成長を遂げたという。そのキッチンでは、見知らぬ人同士が友人になり、楽しそうに力を合わせ、惜しげもなく物を与えあった。やがて誰かが、消失してしまった同市の巨大ホテル「パレスホテル」の名前の看板を冗談めかしてそこに掲げた。金銭も社会的地位も役に立たない状況に陥ると、人間たちはパニックになるよりも、普段の格差や分裂を超えて親密なユートピア空間を立ち上げる。サンフランシスコ大地震のその時、極限状態にある人々が助け合う姿を見ていた少女がいた。ドロシー・ディだ。8歳の少女ドロシー・ディが目にした光景が、やがて少女の運命、そしてやがてその少女は、世界を変えることになる。私たちのセツルメント〈家〉は、この「パレスホテル」の本歌取りなのである。
復興とは、人々が様々な苦難の経験において、その土地の物理的景観、歴史、伝統、そして、経済的遺産に起因し、肉体的、精神的な性質を有する「家」と「地区」の再構築を図ることである。その主体意識は被災者である難民の『クオリア』である。
その場合、知恵と経験の豊富な「高齢者」がその主役となるべき。現存する資源やシステムを活用し、地域需に支えられた持続可能な仕事場と伝統的共同体を創出するために、会議や図面に頼らない手作りのGEIJUTZEを一気に進めていくことができる。地元の工務店や大工たちと協働し、地元主導で地元の資材や人材を使用することにより、地域経済の早期の活性化に寄与することができる。
住宅再建の問題点と課題は、地域再生性、被災者自立性、時間効率性、経済効率性の観点が重要である。しかし、自治体の職員不足、労働者と建設資材不足、用地不足、住民の合意不足などの理由により、残念ながら遅々として進まないのが復興の現実なのである。今までのように問題の解決を国や行政の既存の仕組みに任せているだけでは進まない。地域性を無視した理想の住宅や都市のモデルを押し付けても復興は進まない。
まず何よりも最優先すべきは被災者の生活支援であり、そして、そのスピード感が問われる。まずは、本格復興までの中長期における「簡素な生活」に対する大いなる合意を形成し、時間効率性をとりわけ本格復興まで、被災者が自助・共助により生活できる【仮設都市】の構築に対してのメッセージを発出する。
そして、「家」と「地区」の再構築をやり終えた〝小工〟は、今後、群発する災害や紛争地区において、「復興」の手作り再生のリレーショナルな伝承を実現する担い手となるべきなのである。〈市長〉とはその先頭に立つべき人間のことを指す。
「復興」とは、インフラ整備や住宅の復権にとどまらず、過去の記憶への欲求を希望にすることで地域の再生を目指すことに他ならない。被災者は自分が生き残った意味を常に自問しながら、「復興」に命をかけている。復興を果たした後には間違いなく〝リーダー〟になる人たちであるは間違いない。復興の主体は「被災者」である。もちろん、ライフラインやインフラや都市計画のような「大芸術」は、国や自治体などの行政の力によるものだが、「復興」の本質は、被災者が様々な苦難の経験において、その土地の物理的景観、歴史、伝統、芸術、宗教、法律、そして、経済的遺産に起因し、肉体的、精神的な性質を有する『家と地区の再構築』にある。「小工」の芸術的表象は〝家〟を工芸的側面だけではなく、「住まい=Home」という生活の場として捉え、「家」づくりを「全ての始まり」とする。そして、こうした集落のコミュニティを維持するためには、「高齢者」どうしが支え合う新たな仕組みを構築していく機会とすべきである。
ハンドメイドの「復興」を実現する、プリミティブな「家」の芸術家ー小工(しょうく)
「小工」(しょうく)とは、現在では「大工」といえば、木造建築の建設を担う職人を指すが、このような意味で大工という言葉が使われ出したのは、江戸時代後期になってからだ。古くは「工(たくみ)」という言葉だけで「技術者」という意味をもっていた。大工・小工の下には、「長上工」と「番上工」という職制もあり、合計4つの位が設けられていた。
「高齢者」が、地域社会の復興の主役となり、とりわけ、家の復旧などの小芸術を表象を担う。「小芸術」とは具体的には「家造り」「家具木工」「小物雑貨」などの工芸であるとされ、日常生活において一般の民衆によって使用されるものの表象を意味する。彼らは現代の「小工」という新しい職分に位置づけられる。