HECPの4隅問題/UB geometric note
UB geometric note /
クワドリラテラル・アプローチ
『四隅が一番大事やから、四隅だけしっかり作っておけば、
他は少々ぐちゃぐちゃでもいける』
HECPの4隅問題
HECPヒューエンコムパブリックとは、北極点(北)に向かってHuman rights「人権H」、南極点(南)に向かってEnvironment「環境E」の地軸があり、Community「共同C」は、地軸の北方向を正として西向き正回転し、Public「公共P」は地軸の北方向を正として東向き逆回転する「一軸正逆転」という構成的概念である。
「人権」と「環境」が絶対的な位置関係にあるのに対して、地軸の周りを回転(自転)している「公共」と「共同」は相対的な位置関係にあり、そして、人類に求められるのは自転する世界空間において、様々な現象についての適宜ポジショニングの発想ではなく、「人権」と「環境」という地軸に対する絶対的理解が何よりも重要な資質となる。
人間の「空間知覚」は水平方向、垂直方向、前後方向において様々な感覚器官が協働して射影幾何の「概念」を成立させている。自己を空間に位置づけて知覚することを「定位」という。「知覚空間」の形状はまた自己を基準として成立し、対象は自己を基準とする空間に「定位」される。これを「自己定位」という。この「自己定位」は運動の理念形成にとって最も重要な認識である。学者のユークリッド幾何の限られた論理空間においては「定位」の基準は自己ではなく、空間の座標だが、現実空間は、非ユークリッド幾何できわめて広く未分化であり、一様に不安定で常に偏角が生じる。
地球の生命活動やエコ生態系のコンテクストにおいて「概念」とは、ひとつの大きなトポロジーである。それがHECPにおける「公理」である。人類は一つの果てのない空間で生存活動しているという「公理」がなければ、文脈的な「命題」や「定理」を導き出すことなど出来ない。 「公理」は現実的である必要はないが、その「完結性」と「無矛盾性」が必要である。 ここをおさえないと、断片的で複雑な「定義」や「定理」が飛び交う、まるで学者や学生の書物論のような議論から抜け出すことは出来ない。
歴史上、学者たちを悩ませ続けてきた難問、というのが存在する。今回扱うHECP「四隅問題」も、そんな問題の一つだ。2019年頃、世界を震撼させた新型コロナウイルスにより発現した「四隅問題」は、東アジアの小さな島国で発表されたゲンマイドトキシンという、リジェネラティブな未来食のガストロノミーにより広く知られるようになった。
HECPの四隅問題は「証明とは何か?」という、非常に本質的な部分に問いを投げかける。科学者の要素還元主義は、わたしたちのクアドリラテラルなアバウトな幾何に対して、その臨床結果よりも、プロセスにおけるエビデンスの「美しさ」を求めているように感じられる。その「美しさ」は、幾何をある程度極めなければ見えてこないもので、先端科学がそういう感覚を大事にしているということはなんとなく理解しているつもりだが、そういう意味において、臨床の伴わないエビデンスベースドによる証明は、「美しさ」は決して存在せず、人間の生体による臨床チェック出来ないものを「正しい証明」として受け入れることはできない。そもそも科学者の要素還元主義においては、その分子構造が証明がなされただけで、何故そうなっているのかという、ウイルスの理念や機能の説明が全くなされていないのである。
またワクチンなどにおいても、実際的に、「人間がチェック出来ない部分に証明の本質が隠されている」ということに対する不安を拭うことはできず、先端科学による免疫理論の証明については、現在も議論がなされているが、その後も、ウイルスの有限単純群の変異分類に関する証明などで、要素還元主義が重要な部分で使われている。そして、今後も似たような事例は出てくることだろう。新型コロナウイルスの四隅問題は「証明とは何か?」という、非常に本質的な部分に問いを投げかけるという意味でも、非常にエポックメイキングな難問だったのである。
人権問題、ウイルスパンデミック、震災復興、食料自給率、エレルギー問題、少子高齢化、財政再建、再生医療、空家地方活性化、創造教育……境界を越えて困難に立ち向かう構造と機能は、インテグリティで一つの位相に存在する。四隅問題は問題そのものは誰でも簡単に理解することが出来る。もちろん、トレミーの定理も、問題そのものは比較的理解しやすいが、クアドリラテラル・アプローチは、反知性の定理、子どもの定理、純粋の定理と呼ばれるほどのそれとは、比べ物にならないほどシンプルなフォーミュラなのである。
新型コロナウイルス問題は、感染防止をとるのか、経済生活をとるのか─これは、立場や考え方によって意見が異なり、「みんな」が合意できる解決策がなかなか見つからない「やっかいな問題」である。だが、問題がやっかいであることは、新型コロナウイルス感染症だけでなく、経済問題や人権問題、食料自給率、エレルギー問題、少子高齢化、財政再建、再生医療、空家地方活性化、創造教育……境界を越えて困難に立ち向かう構造と機能紛争など、どの社会課題にもあてはまる。特定の学問分野の専門知、特定の現場で得た経験知だけで解決することは不可能であり、また、それらの知を寄せ集めただけでは大きな力にはならない。知を力に変えるためには、学問分野や立場の違いを乗り越えた「学際」が必要である。
HECPのクアドリラテラル・アプローチでは、少数のイノベーターが突然現れて社会を一気に変えるのではなく、四隅の観点から無数の無名の人びとの情報や行動を射影を繰り返し、辛抱強く問題を解きほぐしながら、次につなげることによってコンセクエンスを示してきた。「やっかいな問題」は、やっかいには違いないが、解けない問題ではない。新型コロナウイルスは、社会課題の多様さと複雑さに対して、個々の取り組みの影響力は小さく、無意味なものに見えるかもしれない。重要なのは、解けるか解けないかではなく、解こうとするかしないかだ。
クワドリラテラル・アプローチは、4つの既知の点/プロトコルに対する、未知の点/プロトコルの角度を、既知の点/プロトコルからではなく、未知の点/プロトコルから測定して、その点の位置を確定するアプローチだ。そして、より規模の大きな四角形を最初に測定することにより、測量誤差を最小化できる。そうすれば、その四隅四角形の内部の点/プロトコルは、四角形に対して正確に、その定位位置を測定することができる。四隅さえ取れば、最終的に重要なのは、直観とイマジネーションである。因数分解のたすき掛けで、大きな数字を分解したい場合は、直観で当てはめていくしかない。
人間の「視知覚」は対象の一面のみを捉え知的理解は事象の因果関係だけを汲み上げる。もし考察対象が物理的な立体であれば、そこには無数の視点と無数の理解の道筋があり、それだけで物的存在が人間の知覚理解の限界を超えるものであることが意味されている。つまり,立体は知覚で完結するものではなく、それが繰り返し解釈されることによって浮かび上がる認識のまとまりだと言える。人間が問題状況に対 して柔軟に対応することができるのは、人間の認知システムに形式知を超える高度な直観イマジネーションが備わっており、それはアバウト/曖昧性 を許容する柔軟な幾何に他ならないのである。
ジオメトリック/幾何ノート活用法
四点観測によアバウトな幾何思考法
インテグリティな主観形成のための
四つの観点と遠点をつなぐ幾何/トポロジー思考法」とは、
四隅からの観測により独自の観点から物事の道理や筋道における意味・内容を正しくのみこむ幾何思考あるいは、幾何理解のことであり、プロトコルフォー、この4つの幾何の観点で観察することは、創造性の鍛錬になるだけでなく、状況を正しく捉えるメタ認知力の育成にも役立つ。また、事業の本質を把握することにも役立つ。4つの観点から見えてくるのは、進化と創造を磨くさまざまな自然選択の要素であり、適応的な理由と言い換えることもできる。「変異の思考」で生まれたアイデアのなかで、このふるいを経て選び取られたモノは、必然的で最適化されたモノ。しかし、それは完成形ではなく、進化にゴールがないように創造にもゴールはない。だからこそ、変異と適応の往復を繰り返し解像度を高めていくことが重要なのである。
幾何で理解し、幾何で表現する
まずは全体像を共有し、解像度を高めていく
「世界を変えるためには、大きなことをしなければならない」 。多くの人がそんな常識を信じています。しかし、私たちは大きなことをする必要は決してない。日々の小さなことが、物事のとらえ方や行動をはじめ、能力や性格、さらには健康、習慣、パフォーマンスにまで影響を与えることになる。
“根拠のない妄想”のような「自分モードの自閉的思考」ープロトコルフォーの4つの観点の思考法は、2軸からなるマトリックスになっている幾何表現にとって重要なのは、図形解析やマトリクス分析ではなく、感情的、精神的などの内面的なものを外面感性的概念として客観化することであり、今、戦略やニーズ、ロジック、問題解決などからスタートする「マーケティングモード」は、いたるところで機能不全を起こしており、その一方、圧倒的な結果を出している人たちは、内発的な「直観」や「空想」からスタートし、それを駆動力にしながら、具体的な虚構を磨き上げている勢力である。
UBジオメトリックノート
四点射影ー4つのプロトコル視点/観点で思考する
〈タンデムの4隅分解と抽象化プロセス〉
射影幾何による
対象物の構造を三次元的に理解して描くトレーニング
写像を得るための四隅からの四点射影とは、H(human rights),E(environment),C(community),P(public)の4隅の成分比に分けることにより、各プロトコルの成分量の網点とよぶ微細な点の大きさによって再現される。再データに変換することを4隅分解と呼び、四隅による射影幾何により、光と影を描き分けることによって、モチーフの形を三次元的立体に表現する。モチーフの正面・側面・上面・下面や回り込んでいる形を意識して描くことによって、モチーフの形がどのようにして成り立っているのかを理解する。物理的な立体であれば、そこには無数の視点と無数の理解の道筋があり、それだけで物的存在が人間の知覚理解の限界を超えるものであることが意味されている。つまり,立体は知覚で完結するものではなく,それが繰り返し解釈されることによって浮かび上がる認識のまとまりである。
トポロジーはクオリアの領域にあり、マゼンダとイエローの射影が重なることで初めてリンゴの赤に近づいてくる。この4点射影の幾何の観点で観察することは、創造性の鍛錬になるだけでなく、状況を正しく捉えるメタ認知力の育成にも役立ち、また、表現の本質を把握することにも役立つ。4つの観点から見えてくるのは、進化と創造を磨くさまざまな自然選択の要素だ。適応的な理由と言い換えることもできる。いま、戦略やニーズ、ロジック、問題解決などからスタートする「マーケティングモード」は、いたるところで機能不全を起こしている。その一方で、圧倒的な結果を出している人たちは、内発的な「直観」や「空想」からスタートし、それを駆動力にしながら、具体的な虚構を磨き上げている。このような「直感と論理をつなぐ思考法」のことを、位相幾何/トポロジー思考と呼んでいる。トポロジー思考で生まれたアイデアのなかで、このふるいを経て選び取られたモノは、必然的で最適化されたモノである。しかし、それは完成形ではなく、進化にゴールがないように創造にもゴールはない。だからこそ、変異と適応の往復を繰り返し続け解像度を高めていかねばならない。行動なくして、解像度は上がらない。解像度を上げるには、「情報」「思考」「行動」の「量と質」を高めていくことが必要であり、解像度を上げるうえでは、情報や思考がまだ粗い状態でも行動量を増やす、つまり「とにかく行動しはじめる」ことが重要である。
we have a note
世界の首脳たちが
難民の子どもたちが同じノートを持っている
位相幾何学トポロジーで言えば、
このノートで育った子どもたちが
世界の指導者になればいいということになる。
UB geometric note /2800JPY
2GA−2025年は2055年の予兆であった
UB geometric note /
クワドリラテラル・アプローチ
『四隅が一番大事やから、
四隅だけしっかり作っておけば、
他は少々ぐちゃぐちゃでもいける』
クワドリラテラル・アプローチは、4つの既知の点に対する未知の点の角度を、既知の点からではなく未知の点から測定して、その点の位置を確定するアプローチだ。より規模の大きな四角形を最初に測定することにより、測量誤差を最小化できる。そうすれば、その四隅四角形の内部の点は四角形に対して正確に定位位置を測定することができる。
人間の「視知覚」は対象の一面のみを捉え知的理解は事象の因果関係だけを汲み上げる。もし考察対象が物理的な立体であれば、そこには無数の視点と無数の理解の道筋があり、それだけで物的存在が人間の知覚理解の限界を超えるものであることが意味されている。つまり,立体は知覚で完結するものではなく、それが繰り返し解釈されることによって浮かび上がる認識のまとまりだと言える。人間が問題状況に対 して柔軟に対応することができるのは、人間の認知システムに形式知を超える高度な直観イマジネーションが備わっており、それはアバウト/曖昧性 を許容する柔軟な幾何に他ならない。
プロトコルフォーとは、4つの既知の点/プロトコルに対する、未知の点/プロトコルの角度を、既知の点/プロトコルからではなく、未知の点/プロトコルから測定して、その点の位置を確定するアプローチだ。そして、より規模の大きな四角形を最初に測定することにより、測量誤差を最小化できる。そうすれば、その四隅四角形の内部の点/プロトコルは、四角形に対して正確に、その定位位置を測定することができる。
四隅さえ取れば、最終的に重要なのは、直観とイマジネーションである。因数分解のたすき掛けで、大きな数字を分解したい場合は、直観で当てはめていくしかない
私たちの次の芸術は、国でも民族でもない、
非国家の紐帯を目指す、
人々の人間(じんかん)のアーカイブに利用される
世界共通のノートを作ることです。
そして、それはまるで、
ステーショナリーのような革命なのです。
THE NOTE
世界を変えたのは
「ノート」の発明だった。
この小さなノートは夢であふれていた。
でも、この夢は、
ずっと続くとは限らない
傷ついたり
歪んだりして
形が変わってしまうこともある
ただほんの一瞬でも
世界中の誰よりも輝いていたという証があれば
私たちは生きていける
そしていつか
誰かを幸せにすることもできる気がする
プロローグ
ジオメトリックノート
解像度を上げるー曖昧な思考を明晰化にする
アバウトな射影幾何の力が必要
2GAー100年目の夢
2generation age
2025,the Continuation of 2055
2055年のシンギュラリティは、
生成AIではなく、一冊のノートだった
2025年は2055年の予兆であった
そして、2055年は重要な点において
2025年の続編であった
難民といっしょに一アーカイブを作る
未来遠点
トポロジーノート
位相幾何学
ステーショナリー
レボリューション
HECPノート
アーカイビング革命
We have a note.
私たちの次の芸術は、
人々の人間(じんかん)のアーカイブに利用される、
世界共通のノートを作ることです。そして、
それはまるで、ステーショナリーのような革命なのです。
「難民といっしょにアーカイブを作る」
子どもたちの創造の基層にトポロジーを
世界の首脳たちが、
難民の子どもたちが、同じノートを持っている
そして、そこには同じ理想が書かれている。
僕たちは、そんな未来幾何を描いています。
世界を変えるために、
複雑な関数による分析も、
法律も、マルクスも必要ありません。
僕たちの革命の主題は、脳ではなく遺伝子
構造のアーキテクチャーではなく、機能のそれなのです。
つまり、芸術の拡張です。
決して、難しいことではありません。
位相幾何学トポロジーで言えば、
このノートで育った子どもたちが
世界の指導者になればいいだけで、
このノートが位相幾何の一つの「穴」になります。
人間はどんどん成長し形が変わっていっても、
ノートが変わることはないのです。
私たちの芸術は、
国でも民族でもない、非国家の紐帯を目指す、
人々の人間(じんかん)のアーカイブに利用される
世界共通のノートを作ることです。
僕たちの交響革命で、
脳ではなく、
遺伝子にアプローチです。
アーカイブを
エピジェネティクスに共鳴させていきます。
ステーショナリーのような革命なのです。