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〈キーポピュレーション戦略〉プロトコルフォー

新型コロナウイルス
キーポピュレーション戦略
プロトコルフォー


安倍首相は自ら指揮を執る新型コロナウイルス対策を「日本モデルの力」と自負した。だが、東アジアの中でコロナ対策に無策と的外れの政策により完全に失敗したのが真の「日本モデル」の姿である。接触自粛、経済優先、検査体制などについて様々な議論が展開されているが、真に対立しているのはそこではなく、日本人のホンネとタテマエであると言える。
この国の政府や行政がいくら自粛、経済、検査を主導してもコロナ禍は決して帰結しない。
必要なのは、複雑な数理モデルでも、まわりくどい論理でもない。私たちは、ストレートで、シンプルで、イージーで、フリーな議論を展開し、コロナ禍のオルタナティブな理念を構築すべきなのである。「コロナから色んなものが見えてくる」が示唆するように、新型コロナ禍は人の世と心に潜む様々な弱点をあぶり出した。見えないものへの恐怖は人の心を翻弄し、時に社会を危うくする。感染症の流行のように、最初は小規模に始まり、指数関数的に拡大する「非線形」の脅威に対応することは、とりわけ難しい。新しい情報をリアルタイムで、素早く解釈しなくてはならないからだ。


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キーポピュレーションとは

新型コロナウイルスにおいては、特定の行為のために、感染の高いリスクにさらされやすいグループは、ウイルス感染の流行を左右する集団、あるいは新型コロナ対策の成否の鍵を握る集団といった意味合いで「キーポピュレーション」と呼ぶことにする。

新型コロナウイルスのクラスター感染予防の予防指針、診断、治療、ケアに向けた統合ガイドラインにおいて、以下の戦略的5グループを「キーポピュレーション」と同定する。


❶COVID-19の重症化に関わるHLA遺伝子多型と高齢者・特に基礎疾患や生活習慣病を患っている自然免疫が低下している人々


❷医師・臨床検査技師・看護師、
介護士・保育士ライフライン、公共交通、物流、小売り現場のエッセンシャルワーカー。

❸イベント・ライブ・カラオケなどの三密「密閉、密集、密接」、飛沫感染が避けられないエンターテインメント空間における演者、関係者及び参加者

❹キャバクラ・ホストクラブ・風俗などに従事する身体的濃厚接触を伴うセックスワーカー

❺マスク、社会的距離の基本的な感染防止のマナーや社会的規範、自己衛生管理が遂行できない人々。法令や緊急事態宣言による自粛要請が遵守出来ない、ウイルス・テロリストと呼ばれる人々。


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プロトコルフォー


全体は部分の総和よりも大きい 。
「まずは、簡単なメロディーを作るべき」



P-1プロトコル・ワン
スクラップ・イクスティングィッシュ
〈破壊消火〉


P-2プロトコル・ツー
コロナアドバンス・ディレクティブ
〈事前意思表示〉


P-3プロトコル・スリー
ベーシック・クウォランティーン
〈全員隔離〉


Pー4プロトコル・フォー
トレーニング・イミュニティー
〈訓練免疫〉



新型コロナの対策は、まずは、「メロディー」から作るべきである。最初のフレーズが決まれば、音楽は転がっていく。「メロディー」が転がって、言葉が行きたい方向についてくる。この国の学者や政治家は、数理を「詩」とする論理の秩序を転換しなければならない。
一言でいえば、全体とは、部分の単純な総和以上のものである。この国の感染対策における、「数理」における周回遅れの「議論」は全て一旦、停止すべきである。必要なのは、「詩」ではなく、「音」についてである。つまり、接触自粛、ソーシャルディスタンスやクラスター対策は、単なる「ド」「レ」「ミ」の各音のただの寄せ集めに過ぎない。重要なのは、「ドレミ」という意味を持ったメロディーであり、総和以上のまとまりをもつものということになる。


いつまでも「数字」をもてあそんでいる場合ではない。今、必要なのは分析ではない。直観とイマジネーションである。

どんな数理モデルにおいても、それは専門家の経験値に基づく主観が大きく反映されたプログラムなのである。プログラムとは「前もって(pro)書く(gram)」ということである。そもそも座標は「屋根に登るための梯子」のようなものであり、考える際の手段・方便にすぎないのである。屋根に上がるにはそれが必要だが、 上がってしまえば不要になる。そして屋根に登ればすばらしい眺望が開ける、それこそが数理の本質だということの理解が必要である。

この未知のウイルスと闘いを展開するのは、専門家や学者、政府でも、議会でもない、一人一人がフラクタルで戦うしかない。そして、今、必要なのは検証でも、批判でも、議論でもなく、発議であり、イニシアチブである。この国では、様々なデータ解析や予測が行き交っているが、共通するのは誰も戦わないということだ。


〈キーポピュレーション戦略〉ー今後の局面は、専門家のアルゴリズムではなく、「独創の一手」だ。ここからは寄せ勝負になる。


棋聖戦の藤井七段の将棋史に残る鮮烈な一手。藤井は将棋ソフトにも浮かばない、独自の寄せの構図を描いていた。藤井将棋は、偉大なる素人将棋だと言える。それは、最強ソフトが最初はベスト5にも入らないと判断した候補手が、6億手以上を読んでようやく最善手として浮かび上がってきた。そんな手を藤井七段は23分で指した、ということになる。対局中、限られた時間の中、自力で最善と判断して指した手というわけであり、藤井七段が23分で6億手を読んだことを意味するわけではない。
なぜ最強ソフトが6億手を読んだ末に最善と判断できる手が指せるのか。これはまさに「大局観」という概念で理解するよりない。

将棋の達人はそれほど多くの手を読まなくても、脳内に蓄積されたいくつかの判断基準から、自然と最善手が思い浮かびます。これが大局観なのである。ビッグデータとアルゴリズムを駆使した科学的知見は重要だが、新型コロナとの戦いにおいて、今後の局面は、AIによる「6億手」の解析よりも、最後は直観とイマジネーションによる「独創の一手」が重要になってくる。


新型コロナウイルスの概念は不明。                  それこそがこのウイルスの正体である。

そもそも新型コロナウイルスについては、「パレート」や「パラメーター」という概念が交錯する中で、「数値」で真実をそのままのかたちで捉え 、未来の予測に描写することなどほとんど不可能である 。

推定8割の網羅的なカバレッジによるアットランダムな感染防止策は、文字通りの的外れとしか言いようがない。新型コロナウイルスには、平均や平等という概念は通用しない。全て、パレートである。つまり、コロナウイルス自体が、変異を繰り返す、変数パラメータである以上、新型コロナは「不明」な概念とするのが最も合理的な解析なのである。

このウイルスの被写界はもっと深い。新型コロナをいつまでも単なる病気とする論理の秩序を転換しなければ、コロナ禍の本質には到達できない。いつまでも、この不明の概念の表層にAIアルゴリズムで、ピント合わせしている時間はない。被写界深度を増し、シャッターを切り続けるしかない。最後は、人間の直観とイマジネーションである。


プロトコルフォーは、コロナ禍における人間の尊厳の主張に根ざした人権運動でありかつ、環境、コミュニティ、パブリック公共政策づくりである。

この曖昧な状況にも関わらず、現実の新型コロナ禍での研究の場では、多くの 人々 が、無意識の内 に各研究を医療と生命科学に関する問題の 議論にとどまら ない学問的・実践的活動を提示するなど、新たな総 合的学としての展望を有するもの として認識 し、結果として一.つ のまとまりを形成するという、極めて不思議な現象が生まれている。

プロトコルフォーの研究アプローチは、生命科学にまつわる諸問題へのアプローチの総体として捉えられ、主に医療倫理、環境倫理の概念枠内で分析可能な諸問題の総称となりつつある。
しかし、プロトコルフォー成立理念には、人権運動としての性質が存在している。この点から考えると、プロトコルフォーは、人権という変数のもとで、過去の価値観にとらわれず、新たな価値観を作り直す作業であるといえよう。この作業は、既存の学問における価値観にとらわれない超学際という状態をその性質としている。

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