2023.1.20 日記8年ぶり
中1から20年近く毎日日記を書いていたのだが、最初に結婚した人と離婚したタイミングでやめてしまった。
書くことで安定させようとしていた脆かった精神も今となっては厳冬期の阿寒湖くらいには分厚くなって、文字で吐き出さなくても大丈夫になった。それでもやはり毎日何かしら思うことはあり。そして書くことは好きなのでまた記すことにする。
今日は大寒らしい。だけれどこの部屋はとってもあったかい。最高だ。散歩に行こうと思ったけれど猫になってみたくなり、ひなたで小さくなりながら上セーター、下パンツ一丁というスタイルでこれを書いている。
景色と日当たりが気に入ったというだけで名前も知らなかったこの街に越してきたけど、数年経った今でも毎日「最高!」と思う。トンビが目の前で旋回、川の流れの音、小鳥のさえずり。青の時間(陽が落ちて山の稜線がpatagoniaのロゴみたいになる時間帯をこう呼んでいる)には一日として同じ色がない空が綺麗すぎて冗談じゃなく毎日心が感動でたぷたぷになる。最高だ。老人ばかりで時に監視の目が怖いとか、ザ・日本の縮図なコミュニティに辟易することを差し引いても、ここがすき。
正月のAmazonのセールで買ったソーラーパネルをベランダに引っ掛けたままにしているのだけれど、そこで発電した電気を溜めておくポータブル電源にはまだたっぷり電気があるから、今はパネルから電気をひっぱる必要がない。だからソーラーパネルはただベランダにぶら下がっているだけということになる。こうなると、せっかくこんなに晴れてるのにこのパネルで発電した電気が何にも使われないのはもったいない、と思ってしまう。
パネルをしまって、発電機能を発動させなければ、もったいないとモヤモヤしなくて済む。あるいは、ポータブル電源と接続している時だけそのパネルは発電する、ということならもったいないとは思わないな。
しょっちゅうこういう考え方をしてしまって勝手に疲れることがある。要は効率良く動いて無駄を産みたくない。という理想。これの極みは「せっかく生まれたんだから思いっきり生きて何かを成し遂げなきゃもったいない」というやつだと思うけど、それには素直に同意できないひねくれ者である。そして私の人生は無駄だらけだ。無駄しかない。無駄じゃん、と言われることばかり好きになる。なのにソーラーパネルで生み出した電気を垂れ流す無駄は気になる。2時間しか会えないなら会わないほうがまだいい、とかいう風になってしまう。こういう人いないだろうか。いたからって何なのって感じだけど。