なぜ真実と事実は違うのか「シルバー事件」をプレイしてみて
真実と事実、この二つは何がどう違うのかと問われれば、ボーッと生きてる大人に即答できる者は少ないと思う。
だが事実には「客観的」という形容動詞がつくことがあるが、一方で「客観的真実」と書くとどうにも据わりが悪い。このことからわかるのは事実は客観性に依るたったひとつの事象であることに対し、真実は観測した特定の人物の主観に依るものであるという両者の違いだ。
そう考えるとSNSの自己紹介文で「真実に目覚めた!」なんて大手を振ってる人間が如何にトンチキであるかわかる。
今から20年前、ゲームクリエイターの須田剛一は「なぜ犯罪は起きるのか」「何が人を犯罪に駆り立てるのか」ということをテーマに「真実と事実」の違いを語った「シルバー事件」というゲームを世に出した。
また「犯罪」というテーマから派生して、「メディアとインターネット」と「ネットの中で増幅される悪意」「インフォデミック」というものも表現している。
この「シルバー事件」というゲームソフトはリメイクされて現在は「シルバー2425」として2016年にSteam版、2018年にPS4版が発売されている。ちなみにオリジナル版が発売されたのは1999年のことだ。ちょうど「酒鬼薔薇事件」とそこから伝播していった犯罪が多発し、それらをメディアがセンセーショナルに報道していく中、インターネットの世界は黎明期を迎えていた。ちなみに西鉄バスジャック事件が発生したのは翌年のこと。「キレる17歳」という不名誉な流行語で老人たちが騒いで遊んでいたのは、もう少し後のことだ。
インターネットがまだ一部の人間の遊び場に過ぎなかった頃だ。そういった中でインターネットがメディアと対立する存在、もう一つの現実空間ともなって、ゴミのような情報の吹き溜まりにになり得ると想像した須田剛一の先見性には眼を見張るものがあるし、その先見性が紡がれた物語は、自分をゲーマーとしているならば体験し甲斐のあるものだ。
「シルバー事件」とは
20年前に逮捕された伝説の連続殺人鬼「ウエハラカムイ」が収容されていた閉鎖病棟から脱走し、公安に所属する主人公がカムイを追跡するところから物語は始まる。テキストを読んで進めていくアドベンチャーゲームであり、ジャンルとしてはいわゆる「刑事モノ」「サイコサスペンス」になる。
少し前のドラマだが「SPEC」や「ケイゾク」が好きだった人には、とっつきやすいと思う。
バチクソかっこいいOP映像、「フィルムウィンドウ」と呼ばれる画面に複数の視点によるウィンドウを表示して、それぞれが独立した情報を提示する手法は20年経った今でも、他では真似できないユニークさがあり、演出としても洗練されている。今回のHDリメイクによって画面の解像度が鮮明になったことで、このフィルムウィンドウの洗練さはより際立った。
ちなみに本文中では一応ネタバレには配慮しているが、ウエハラカムイに関する情報は体験版でもプレイできる序盤のcase#1までに提示されているものだけを記載している。
「真実」を語る、信頼のできない語り手たち
物語の開始時点より20年前に政府要人を次々と殺害されるという連続殺人陣が発生。後に「シルバー事件」と呼ばれたこの殺人事件の犯人「ウエハラカムイ」は逮捕されたものの、精神を患っていたことから閉鎖病棟に収容された。センセーショナルな事件内容からウエハラカムイは伝説にまで祭り上げられる。
物語はこの「ウエハラカムイ」が脱走、ベテラン刑事「クサビテツゴロウ」と若手刑事「コダイスミオ」、そして主人公が捜査、追跡していくことから始まっていく。
この時、捜査開始の際にウエハラカムイが街中を歩いている4年前の姿が写真が提示されている。閉鎖病棟から脱走したウエハラカムイはかねてより交際関係にあった女性たち(いずれも20代前半)を次々と殺害。主人公たちは4年前にウエハラカムイと共に仕事をしていたという女性、「シモヒラアヤメ」に事情を訊くことにする。
なんかおかしくね?
このようにウエハラカムイに対して提示される情報だけでなく、この「シルバー事件」においては登場人物たちの言動には、明らかに不可解だったり矛盾していたりする点が見受けられる。
そしてウエハラカムイ、ラスボスでも何でもなくcase#1の時点であっさりと身柄を拘束されることとなる。
主人公たちが逮捕したウエハラカムイとは何者なのか?
20年前に逮捕したウエハラカムイ、現在逮捕したウエハラカムイの違いはあるのだろうか?
そもそも皆の言う「ウエハラカムイ」とは一体、どういった存在なのか?
「シルバー事件」の舞台となる「カントウ24区」は情報による格差社会であり、情報統制による管理社会でもある。そこで繰り広げられる物語は、とても重く暗い。時折、ユーモアのある会話劇があったり、
その上に難解だ。「須田ゲー」と言えば理解しやすいだろうか。「シルバー事件」はその「須田ゲー」の原点にして極北にあたる。
須田剛一の書くテキストはあまりにユニーク過ぎて、中には「これ絶対シラフで書いてないな!?」とか「このあたり、書いている内になんか気持ちよくなったんだろうな〜」と思えるものもある。
演出もまた独特であり、あるチャプターでは終始画面がモノクロとなったり、アニメのイベントムービーが入ったと思ったら、次は俳優による実写映像のイベントムービーが差し込まれる。
特にカムイの特集をするお昼のワイドショーを模した実写ムービーは、「カムイが世の中を騒がせており、そして劇中のメディアによる報道はどれも的を得ていない」というリアリティを際立たせていた。
一方で作中のインターネットの描写に関しても、自身にとって都合の良い真実、知りたい情報だけを摂取し、それ以外は激しく攻撃的になり敵意を向けて拒絶する人間が数多く現れる。また、自分のプライベートを切り売りしたり、あるいは誰かのプライベートを娯楽にしたりする者もいる。令和の今と何も変わらない醜悪な空間が繰り広げられている。
悪意の拡散、真実と事実
ウエハラカムイという存在について、多くの登場人物がゲーム中で語っている。だがそのどれもこれもが、主観の入り混じった「真実」でしかなく、また明らかに故意に誰かによって都合の良い「嘘」さえも混ぜられている。そこに客観的な「事実」は存在していない。
誰も彼もが「ウエハラカムイ」を人物ではなく概念として語っている。ある者は現象として。ある者はシステムとして。誰かによって「真実」が語られるほどに「ウエハラカムイ」の全貌はあやふやとなっていき、人の数だけの「ウエハラカムイ」が存在していく。
ただ一つ、断言できる「カムイ」たる確固たる要素はある。強いて言うならば、悪意の増幅と拡散だ。作中でカムイを畏れたり、あるいは利用したりしようとした者、とにかく何らかの形で関わった者は何かしらの悪意に曝されたり、あるいは悪意そのものと化したりした。
令和の今でもそうだ。SNSで爺婆たちがなんも恥も外聞もなく「真実に目覚めた!」などとのたまいながらyoutubeでソース元の怪しい動画をボケっと見ていて、COVID-19についてメディアでもインターネットでも嘘をついている医者が存在しており、天動説みたいに「トランプは負けてない」だの「25万の中国軍がアメリカとメキシコの国境に上陸した」などと常温で脳味噌がラリってる輩が跳梁跋扈している。
上記のスクリーンショットに「カムイとは隣人である」と語ってはいるが、これも的を得た「真実」の一つでもあり、また現実を見ても言い得て妙だ。
このあたりに須田剛一の持つ「世の中に対する解像度の高さ」が見て取れる。この「世の中に対する解像度の高さ」は前にも書いたので、こちらも読んでほしい。
こんな時期に、この「シルバー事件」が2月にNintendo Switchでもリリースされるのは、偶然としては出来すぎだろう。何もかもが「真実」であるからメディアとネットが醜悪さを晒している中だからこそ、決して万人に受けるようなゲーム内容ではないが、是非プレイしてみてほしい。
まぁ、とりあえずは
5万貸してくれ。