南洋「プラナカン」に接する私
1.プラナカンとの邂逅
「プラナカン」(Peranakan)
何とエキゾチックでエレガントな響きある言葉でしょう。この言葉を知ったのは随分前だとは思いますが、俄然興味を引いたのは5年前くらいのことです。
「15世紀頃以降、中国(主に南方)からマレーシア・シンガポールに渡った華人が現地で配偶者を得て、子供を産む、その子供と子孫を指す言葉」。
当時、前職でシンガポールとマレーシアとは業務上の関係が長くあり、出張にも何度か出かけました。ちょうどシンガポールに出張に行く機会を得たときに、一日だけでも自分の時間を持ちたくて、わざわざ夜行便を手配し、早朝にシンガポールに着いたその足で、一日中歩き回ったのです。
シンガポール中心街からは少し空港寄り、プラナカンで有名なカトン地区。
パステルカラーの家屋が街の雰囲気そのものを独特な上質感で満たしています。
そして、カトンと言えば「カトンラクサ」。
名店と言われる「328カトンラクサ」
続き、ニョニャ料理(プラナカンの女性(ニョニャ)の作る料理)の有名なレストラン、「TRUE BLUE」。
(残念ながら隣接するプラナカン博物館は改装中で閉まっていました)
時間をかけて丁寧に作られる一つ一つの料理を楽しむ余裕はなくて、ただただ圧倒されたことだけ記憶に残ります。
2.プラナカンと食
さて、プラナカンを取り巻く諸事情の詳しくは下記太田泰彦氏の「プラナカン 東南アジアを動かす謎の民」を参考にさせていただいていますが、ここでは「食」について改めて触れてみたいと思います。
マレーシアは多民族の国であり、食文化も大きくは①中華、②マレー、③インド、④ニョニャ(プラナカンの女性の料理)に分かれると言われます。それだけプラナカンの位置づけが大きい!
そして、一般的には、プラナカンの料理と言うと、上記で言うと「TRUE BLUE」のような、「華美な」世界が連想されるように思います。上質なフランス料理のように十二分に手をかけた。例えば下記のペナンのプラナカンマンションに展示されるような。
それはそれでもちろん立派な世界で、深い感動をもたらすものですが、もっと、一般市民の身近に寄り添う世界での「継承」は何でしょうか。
一つは「ラクサ」です。
ラクサは非常に象徴的な料理で、地域特性が如実に出ています。
「ニョニャラクサ」
「カトンラクサ」
次回以降の南洋地区の訪問で、ぜひ自分なりに深めていきたいと思います。
3.プラナカンと私
「プラナカン」
華美な世界。
vs
もっと身近な世界。ラクサの世界。
私が俄然引き込まれたのは、身近な世界です。
プラナカンの定義からは外れるのかもしれませんが、そもそも、中国の民族・文化とマレーの民族・文化とが、マレーの地で「融合」されているのは、今現在も続いていることなのではないでしょうか。そこから新たな文化が生まれているのかもしれません。それはもっと「身近」なものではないかと思うのです。
個人的な話になりますが、私たちの子供も、日本の文化と韓国の文化が「融合」しています。周りにも何人か同じ立場で小さなコミュニティーができています。例えば料理においても、「日本人の嗜好に合わせた韓国料理」とは違った意味で、新たな料理が生まれていくのかもしれない、と思うのです。
世界は常にそんな状況が豊富に生まれていきます。「融合による新たな文化」を広く見ていきたいと思います。