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ペナンでヒンドゥー教寺院の包容力に接する

 ところでインド料理がお好きな皆さん、そうでもない(💦)皆さんは、ヒンドゥー教についてはどの程度ご存じでしょうか?
 東京には寺院そのものも限られているし、正直な話、イメージは”あまり身近に置きたくない”感じになってしまうのではないでしょうか。あまりにけばけばしかったり、騒がしかったり。「インディージョーンズ」とか古くは「80日間世界一周」とか、たとえフィクションであっても「好印象」とは別の方向での取り上げられ方しか記憶にあがってこないのです。

 そんな私ではありますが、今回「カレー」の探求にあたりまして、各地のLittle India は毎日毎日歩き回りました。大抵の地の中心にヒンドゥー教寺院はドーンと建てられています。例えば日本において、仏教寺院、神社はまず「静寂」です。そんな中でのヒンドゥー教寺院は「騒然」でしょう。音楽を流し、大抵大勢の人が集まり大きな声での会話を自由にしあっている。

 しかし、それでも、入ろうとすれば基本WELCOMEなんです。異教徒に遠慮を促す空気は感じられない。短パンには大抵長いパンツの貸し出しがありますし。
 そうはいっても、所詮は異教徒ですし、あくまでも、「信心への尊重」の態度しか取れません。そんな接し方であっても、やがて親密感も育っていきます。(ヒンドゥー教寺院とは違うのですが、インド本格レストランに入ってインド人に囲まれたときに、それでも最初は違和感を感じたのが、やがてごく普通になる。それと同じなのかもしれません)

 たぶんそんな展開で、前項でお伝えした「朝食おごられ」が、一つの奇跡として発生したのだと思います。あのときの紳士の顔は忘れられません。
 そして、更にその次に・・!!
 たぶん特別な日の宗教イベントなのでしょう。普段以上にボリュームを上げた音楽が響き、独特の雰囲気を醸し出している中で、何と、食料一皿の配布、が寺院入り口であったのです!

 勝手がわからずにまずは様子を見るのですが、言い方悪いのですが「困窮者」への配布でもなさそう。そして信心を対象にしているのではない。実際中国人らしき人が並ぶ後で、念のため係の人に聞いてみたら「どうぞどうぞ!」の心よき受容。
 私もありがたくいただくことにしました。厚揚げや春巻きのカレーなのですが、例によって「中華との融合」を感じて少し嬉しくなってしまいました。
 寺院の横に小部屋があって、みなさん思い思いに食べられています。

 あっ、もちろん「DONATION」はしましたよ!
 普段どこであっても「家族の安寧」的なお祈りしかしませんが、ここでは心からの感謝の気持ちを込めまして。

 そういえばちなみに、シンガポールでも、家内が立ち寄った寺院で、規模は小さめでしたが類似の食料の配布があって、もらってきたのを思い出しました。

 さて、このヒンドゥー教寺院の「広い受容」は一体何なんだろう?と改めて思います。たぶん一般の日本人が感じる「距離を置きたい」的な感覚との乖離の大きさに少々困惑すらしてしまいます。

 ひょっとすると、「多民族文化」の中で生きていく一つの知恵と経験なのかもしれません。

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