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「がんではなかったです!」 -一つの自己紹介ー

 幼年期は別にしてたぶん60年間!はずっとマラソンランナーの体型を維持してきている人間です。筋力は情けなくても、それ以外はおおむね頑強ともいえ、体調不良で休むといったこともほぼ記憶にないところも、今は亡き父母に感謝するしかありません。
 そんな人間でも「寄る年波」というのでしょうか、還暦を迎える前くらいからは、さすがに自分の中での変化は認めざるを得なくなってきます。
 「健康診断」
 サラリーマンには非常にありがたいシステムではあるのですが、ありがたい反面「恐怖」が裏側に張り付くようになってしまいました。
 「がんかもしれない」
 健康診断の指摘があって、再検査を繰り返し、それでも、切ってみないとわからないという専門医の判定となり、熟慮の結果「切る」こととしました。1年半前のことです。食道です。
 結果は「がんではなかったです」ということで、一安心で、こちらは診察自体も終了できたのですが、まあしかし明らかな「異常部分」は切り取ったものだし、自分では「予備軍」との認識でいます。
 実はもう一つ「予備軍」があって、「膵嚢胞」という厄介な爆弾のようなものを抱えています。結構大勢の人はご存じのようですが、膵臓はかなり厄介で、食道のときのように危険なものは切り取ればいいのですが、奥まった臓器として鎮座しているため、小さな切り取りがかなりの大手術になってしまう。(加え、発見も容易ではない。私は健康診断で運よく発見できたようです)。
 従って、要するに「経過観察」だけです。半年に一度、せっせと築地の専門病院に通い、医師の指示に従い、MRI,CT,エコー検査で、「進展」のないことを確かめることを繰り返してきています。今日もエコー検査を受けてきたところです。

 そして、この二つは、明確に、私の人生の「構成要素」となる一つになっています。
「生命には限りがある」
 自分ひとりのときに頻繁に襲い掛かる「現実との対峙」は、これまでほぼなかった。目を背けていられた。
 そして
「時間は限られている」
 同じですね。
 ずっと昭和のサラリーマンでした。「理不尽」という概念も、現実との対峙と同じく、目を背けてやり過ごしてきたと言われても反論できない。「組織の論理」と「個人と家族の論理」の中庸を図るのに、へとへとになりながら毎日を過ごしてきたように思います。
 そんな中での「現実との対峙」。しかも強烈な。
 ちょうどたまたま時期的にそんなタイミングともなり、人生での軌道を転換し、サラリーマン生活を終了させることといたしました。半年前のことです。「時間は限られている」。限られた時間を、自分は真にやりたいことに特化集中させたい。幸いどちらの問題も、日常生活に支障などは起こしません。マラソン出るくらいの体力はあります。これを気力の源泉として、維持強化していくよう注力しています。
「限られた時間」
 おもしろいことに、これ、十分に意識できるようになると、時間が生命体のように思えてくるのです。私の横にそっと寄り添ってくれている!これからのまだまだ長い人生を、一緒に歩んでいける存在。いつになるかは全くわかりませんが「あるとき」まで。大切にします。
 
 そんな私のやりたいことは、実はたくさんあるのですが、それをこちらで「開示」していくことも、一つのやりたいことになりますので、できるだけ継続していきたいと思います。ヘッダーの、専門病院の最上階のおしゃれなカフェで安心する一時も大切にしながら

 どうぞよろしくお願い申し上げます。



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