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天の尾《アマノオ》 第2話 ――『草原の少女』――
★★★
平和で穏やかな日々、草原を駆ける風の響きを好む。
大地の豊かさ、太陽の恵み、それらが育てる草木を好む。
闘争を至上とする世界に在り、凪いだ安らぎの時間を愛す、奇異なる少女。
されど――
★★★
悪夢を見た。
消失感。
なにか自分にとって途方もなく大事だったものが塵も残さず消滅したような、そのなにかはもう思い出せず、胸の中身がまるっきり空っぽになったかような悪夢。
何もない大穴。自分はその縁に立っている。
底は見えない。
見えないほどに、深い。
かつてそこには王国があった。
荘厳な佇まいで威光を放ち見る者に畏敬の念を抱かせる王宮や、人の活気と賑わいに溢れる華やかな街並み、小さく簡素な作りでありながら素朴な幸せを感じさせる作りの家まで、あらゆる建造物とそこに住む人々がいた。彼らこそ、日々自分の力を満たし、喜びを生み続ける大切な宝物。長い年月をかけて積み上げられた己の痕跡、その証。自分の生きる意味。心の支え。何にも代えがたい財産。
その全ては消えて無くなった。
かつて王国があった場所に残されたのはポッカリと空いた大穴だけ。その空洞は途方もなく巨大であり、崩壊した支柱はどれ一つとして欠けてはならないものであり、消えた全てを埋めるものなど他にあるはずもなく、存在が、存在する意味が、心が―――。
「ッァ……!」
喪失感。
目覚めて初めに知覚したのは喪失感だった。脳の奥が伽藍洞だ。心臓がない。魂の底が抜けている。抜けて、抜けたまま穴は塞がって、抜けた事実も無くなって……。
バネの様に起き上がり、自分に掛けられていた毛布を跳ね飛ばし、顔を手で覆う。頭の中身が眼窩から零れ落ちないようにと反射的に覆う。覆おうとして気づいた。
手が無え。両手ともだ。
状況把握開始。
身体、左腕は肩から、右手は肘から下が無い。傷口は塞がっているが微妙に痛む。これが噂の幻肢痛か。あとなぜか孤独感と喪失感が凄い。吐き気もだ。その他は特筆すべき異常なし。
服装、パンツが無い。ズボンもない。跳ね飛ばした毛布を無い手でどうにか口まで持っていき咥える。頭を振って身体に被さるように掛け、口と足先で悪戦苦闘しつつローブっぽく羽織る。これで今は良し。
場所、見たことがない天井と床。見慣れない、ではなく見たことがない。どこぞの先住民が住んでいそうな木と布? で出来ている超原始的な屋内……テントか? 床は土。でも10畳はあり、割と広い。ドア、というか入り口から入る日の光を見るに時刻は夕方。
「……誰かに助けられたのか」
身体の所々に貼られた葉でできた湿布や布製の包帯を見て思う。室内が薬品臭い。
と、足音が聞こえてきた。
「や、お兄ちゃんおきたのか。具合はどう?」
身構えたまま待っていると見知らぬ少女が現れた。
褐色の肌に、短く揃えたボブカット。銀髪は細紐の様に編み込まれている。顔、肩、腹部に腰、手足と全身を彩る白と赤の幾何学的な模様。……露出高いな。
少女は何故かだいぶ疲れた様子だったが、それでもにこりと笑いかけてきた。
「……だいぶ良くなった。少し……気持ち悪くて吐き気があるけど。手当は君が? 名前を聞いても?」
「ん。大丈夫ならなにより。手当したのはボクで、名前はポポラ=レンディアだよ。お兄ちゃんの名前は明日起きたら聞くってことでいいかな。今日はちょっと疲れちゃってね。お腹すいたらこれ食べていいから」
少女、ポポラは有無を言わさない口調でそう言って手に持っていた袋を放ると、部屋の隅にあった簡易ベットのような草木の山に横たわり、そっぽを向いて目を閉じてしまった。
「……」
暫く観察していると、穏やかな寝息が聞こえ始めた。
「……この袋はなんなんだ」
口と足を使って開く。
中にはゴロゴロと複数のリンゴ。
シャキリ
いつの間にか吐き気は治まっていた。
リンゴを一個丸ごと齧りながら入口から出ると目の前に焚火跡、その更に外周は草原、そして木々がチラホラとある。少し遠く向こうには草原の境目が見え、そこから先は森になっていた。
振り返り見ると見事な円錐型のテント。
「……わけがわからん、俺も寝よ」
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