![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/12510804/rectangle_large_type_2_e63f08ea788b5e42a3945f321d12a6d1.jpeg?width=1200)
バトルショートショート ――『正常化の偏見』VS『バックスタブ』――
下は地平線まで広がる白いタイル張りの床。
上は異様なまでに高く広い、同様に白色の天井。
おおよそ10mの距離にて対峙するのは白い貫頭衣を着た2人の少女。
片方の名前は「ミイ」、片方の名前は「ヤエ」という。
ミイは手に小ぶりのナイフを、対するヤエは1本のクナイを持っていた。
2人の容姿は持ち物以外、まさに瓜二つ。
加えて両者、今までの戦闘で一度も苦戦をしていない点も、また同様であった。
ミイの今までの仕合経験……それは傍から見れば何ともつまらなく、退屈なものだろう。
何しろ、仕合展開が酷く一方的。
彼女の攻撃は必ず相手の急所を貫き、彼女自身はただの一度も相手の攻撃を身に受けたことが無い。相手のあの間の抜けた顔……何が起こったのか、訳が分からないままポカンとした表情で死にゆく顔を、ミイはもう何度見たことだろうか。
意識的に何かをする必要があるのは仕合開始の直後だけで、その後はただの作業だ。そして今回も、あとに残されているのは作業だけだった。
――Eyes-Affection『ノーマルシィ・バイアス』――
視界に捉えた対象の生物1体に極度の「正常性バイアス」を強制する。
「正常性バイアス」、もしくは……「正常化の偏見」ともいう。
本来はなんらかの自然災害(津波、地震等)や火事、事故、事件などの危機的状況における、逃げ遅れの原因を説明する際に用いられる心理学用語であり――自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりしてしまう人の特性のことだ。
人間の心は、予期せぬ出来事に対して、ある種「鈍感」に出来ている。
これは生活環境の些細な変化に敏感に反応し過ぎることを避けるためだが……自然災害や火事、事故、事件などといった自分にとって何らかの被害が予想される状況下にあっても、それを正常な日常生活の延長上の出来事として捉えてしまい、都合の悪い情報を無視したり、「自分は大丈夫」「今回は大丈夫」「まだ大丈夫」などと過小評価するなどして、逃げ遅れの原因となることがあるのだ。(Wikipedia抜粋)
仕合開始直後、互いの能力が発動可能になった時点で『ノーマルシィ・バイアス』。
それだけで相手はその後、ミイがとるあらゆる行動に対して「正常である」という認識を強制される。
過去、能力の幅を図る為あえてナイフで相手の急所を狙わずに全身を少しずつ切り刻んだ時も、ナイフを使わないで素手で相手を絞め殺した時も、相手はろくな抵抗も出来ずにされるがままに、死んでいった。
加虐趣味があるわけではない。
最近はだいたい、心臓を一刺しで貫いて相手を殺している。
棒立ちする人形のような相手の貫頭衣を脱がせ(直で肌を見た方が心臓が狙いやすいため)、冷たいナイフの切っ先を皮膚の表面にそっと押し当て、あばら骨の隙間から刃先をゆっくりと心臓に沈めていく感触は、ミイに名状しがたい情動を引き起こすのだ。
時折の痙攣を交えながら徐々に弛緩してゆく肉体を空いた手で抱き、段々と青ざめる自分と同じ顔つきを見るひと時が――ミイは嫌いじゃなかった。
手の中でクルクルとナイフを廻しつつ、ミイは何の気負いもなくヤエに近づいてゆく。
『ノーマルシィ・バイアス』はいつも通り開始直後に発動済み、手ごたえもしっかりある。既にミイの脳内はナイフを肉に埋める甘美な感触しか想像しておらず――。
★★★
ミイはふと、違和感を感じた。
自分は何故この空間に……一人でいるのだろうか?
この異様に白い空間は少女たちが互いに生存をかけて戦う場所だ。ミイも幾度となくこの場所で仕合相手を殺してきた。自分がここにいるということは、今回も仕合ということなのだろう。
しかし、対戦相手がいない。
通常はこの空間に転送された直後、真正面の少し離れた距離に相手がいるはずだが……これはどういうことなのだろうか。
困惑するミイ。
初めて体験する状況に思わずナイフを握りしめよう彼女だが……ナイフが無い。
周囲を見渡すと、彼女のナイフは少し遠くに落ちていた。
何故? と自分に問う。
すると、つい先ほど自分自身がそのナイフを遠くに投げた事実を思い出した。だから遠くに転がっているのだ、何の不思議もない。
しかし……肝心の、ナイフを投げた理由がわからない。
自分自身のことなのにも関わらず。
記憶ではついさっき、唐突に、ある空間目掛けてミイはナイフを投げていた。しかも、常の彼女らしからぬ、鬼気迫る表情で。しかし今、ミイ自身はなぜ自分がそんな表情と行動をしていたのかがまるでわからないのだ。
数秒前の過去が分からない。
現在には、ただただ非常に不可解な状況のみが存在していた。
とりあえず白いタイルの上をペタペタと裸足のまま歩き、落ちていたナイフを拾う。
ナイフには血がついていた。
驚き、身体を探るがミイ自身に傷はない。しかし、ここには自分以外には誰もいないし、いなかったはずだ。
わけが分からない。
彼女の表情はとても不安げだった。きょろきょろと周囲を見渡すミイ。
そんな彼女を――ヤエは手を伸ばせば届く程の至近距離から観察していた。
「…………?」
腕の浅い傷口から流れた血は、ヤエの貫頭衣に赤い染みを作っている。
彼女の手の中には鋭利なクナイがある。
それをゆっくりと目の前に掲げたヤエは……それ以上どうすればいいのかわからず、途方に暮れていた。目の前の光景は、どう見ても、これ以上手を加える余地が無いほどに、正常であった。
――Body-Affection『彳亍《てきちょく》』――
5秒毎のタイミングで行動を停止している限り、一定の行動速度内ならば誰からも認識されなくなる。
ヤエの能力『彳亍《てきちょく》』はいうなればド〇えもんの石ころ帽、その劣化版である。
能力で正確にカウントされる5秒毎のタイミングで行動を停止している限り能力は自動発動し、一定の速度内ならば何をしようと誰からも認識されなくなる。一旦発動した後は能力を切らさないようにゆっくりと相手の背後に移動し、背面から心臓を一突きするだけのルーチンワークがヤエのこれまでの戦闘履歴だ。
「戦う相手から一切の行動が認識されなくなる」能力はそれだけでも強力だが、それに加え、一番最後の停止時間の長さ・静止度に比例して認識されなくなる程度が強化されるという特性があった。
ことの顛末はこうだ。
最初、棒立ちだったヤエの姿が唐突にミイの視界から消えた。
透明化、瞬間移動を警戒したミイがナイフを構えてその場に留まる間もヤエは棒立ちのままだった。
そのまま緊迫感張り詰める5分が経過した頃、ミイは自分の記憶からヤエの存在自体が消失しつつあることに気づく。現象から能力に当たりをつけ、とっさにヤエがいた方向に投げたナイフは運よく彼女に当たったが、その時点でミイの記憶からもヤエの存在は認識されなくなってしまっていた。
今、両者は真正面から相対していながら、片や相手を認識できず、片や状況を完全肯定してしまい、互いに手を出せない。
ヤエは変わらず棒立ちだし、ミイも状況が分からないうちに動くことを避けたいため微動だにしない。
2人の少女が互いを正常に認識できずに向かい合ったまま幾許かの時間が経ち…………ふとミイは、自分の目の前の地面にいつの間にか赤い点々が落ちていることに気づく。
しゃがみ、よく見るとそれは血液だった。
ナイフについていた血液が飛んだ跡かとも思ったが……それにしては多すぎる。なにより先ほどまで、そこには確かに何も……。
――ポタリ
虚空から現れた赤い雫が、ミイの目の前のタイルで弾けた。
「……ッ!?」
明らかな異常だ。
ミイの鼓動が早鐘のように加速していく。
今、ミイの目の前に、
彼女の目の前に、明らかに目に見えない何かが………ない。
ミイが立ち上がった。
目と鼻の先にはヤエがいる。
僅かでも動いたら鼻先が触れてしまいそうな、超至近距離。
2人の瞳にはお互いに瓜二つの相貌が、目一杯に映っていた。
「………………」
ミイは確信する。脳内の警鐘がはっきりと示していた。
ここに、ない。何かが、ないのだ。それは一見認識できない。それがきっと、存在しないの能力ではないのだろう。ここには、何もない。
ミイは目の前の空間に手を伸ばそうとしたが、そうする理由がないので中断した。
ミイはナイフを振りかぶろうと思ったが、行動に値する動機が存在しないため断念した。
「――クソッ!!」
悪態をつく理由は、先ほどからずっと意味もなくその場に佇む自分が腹立たしいからであって、不可解な行動制限に苛まれているからでは――ない。
そもそも、不可解な行動制限とはいったい何のことだ。
「……………………チッ」
明確な理由を定めることはできないが、ミイはなんとなく、直感的に、気のせいかもしれないレベルで、しかしどこか確信的に……現状がデッドロック状態だと悟る。
彼女が取り得る選択肢は、限られていた。
目の前の「何もない」から、ミイは渋々背を向ける。
――決着。
ミイ、ヤエ、両者引き分け。
いいなと思ったら応援しよう!
![ビーバーの尻尾](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/11190863/profile_51fc6c13195920b934618d852d4ef80b.png?width=600&crop=1:1,smart)