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バトルショートショート      ――『苦痛の歓声』VS『蒼海の果実』――3

 目次 次

(……ああ、綺麗だ……)

全身が脱力したルクスの脳内では、鮮やかに焼き付いた最後の光景だけが繰り返し走馬灯のようにフラッシュバックしていた。

半透明に輝く水晶の花々に囲まれた、華やかな少女。

(死にかけの俺とは正反対に……)

ゆるりとなだらかで流麗な動作に、白く透き通るような肢体が。

(傷一つなく、瑞々しい姿が)

その容姿が、例えようもない程に。美しかった。


身体の力を抜き、ごろりと水中で横たわる。

視界を遮る『光々花』をどけつつ、ゆったりとした気分で上空を見上げると、無限に広がる透き通った世界とそこで輝く草木花々。

後は時間を潰すだけ。
今回は存外疲れる戦いだったが……終わってみれば、いつも通りの勝利。

結局、『蒼然水漠界』が持つ水中植物達、その生態系の多様性と複雑性に太刀打ちできる相手がいないのだ。
今回利用したのは『光々花』だけだが、致命的な効用を及ぼすものだけでも『被り茸』『緑の目玉』が近場に見える。他にも『柔らかい骨』『水唄い』を使えば相手に一方的な不利を強いれるし、『海抱く衣』『山惑の蛇』を利用すれば、自分が一方的な優位に立てるだろう。

初見殺しは『世界法則』系統の常なれど、戦況に合わせた臨機応変な戦術の豊富さにおいてレノムの右に出る者はいない。
ルクスの初撃にて、彼女の不意を突くと同時に殺せなかった時点で既に見えていた勝負。

「ふぁ……」

あくびをする。
……とは言え、まあまあ、悪くはない対戦相手だった。戦いの展開は概ねいつも通りではあったけど。あまりに単純すぎたけど。
”刺激的”には違いなかったから。

心地よい気分だった。
このまま、眠ってしまっても構わないだろう。

ゆっくりと、目を閉じる。
───直前、レノムの視界の端を、予期せぬ色がふと過ぎた。

「……え?」

赤の色彩が、視界を舞っている。
澄んだ水の中に映える赤い花弁が。

視線で元を辿るまでもなく、知っている。
それはルクスの身体を蝕む『光々花』の花弁。彼女の右足全体を覆って咲き乱れていた水晶の花が、その血色の花弁が次々と散って舞い上がり、幻想的な風景を作り上げていた。

花は咲いて、いずれ散るもの。
だが違う。
これは、早すぎる。

ピクリ、とルクスの指先が動いた。
全身が脱力しきった中、一か所だけ力を得た右手。
それはスロー再生のようなスピードで、ゆらりゆらりと己の右足に添えられると。

───ズル、ズルルルルルルゥ……。

足に生えていた花の茎を掴み、ゆっくりと、緩慢な動作で引き抜いた。
花の根が指先を食い破り……しかしそれ以上は動かず、体内へも浸食の起こらない。

「っ! 貴方……!」

ぶちぶちと肉が裂け、水が赤く濁る。

「……”貴方”、じゃねぇ、」

それでも右手は引き抜くのを止めない。引き抜かれた分の花の根を、新たに添えられた左手が掴んだ。

「言ったはずだぜ、俺の名は……!」

最初の違和感は、彼我の対称性。

「お前をぶち殺す、俺の名は……ッ!」

両者とも花に触れているのに、
何故ルクスだけが攻撃されるのか。

ルクスッ! 『苦十快百』のッ、ルクスッ! だぁアアッッ───!!」

ルクスは抜ききった花の根を捨て去り右足に力を入れる。
ズグンと痛みが応えるが、そこは『苦十快百』の影響下。すぐに波は引き、傷も消え去るだろう。ただ、血液と体力を大幅に消耗した。依然として状況の不利は変わらない。レノムの能力も未だ未知数。

だが、勝ち筋はある。
そこに全身全霊を掛ける。

……最初は『系統』を読み間違えたかと思った。
彼我への影響が等しいのが『世界法則』系統の特徴。なのに、同じ花に触れている相手は無傷で自分はズタボロ。理にかなわない。

つまり、『創造』、もしくは『作用』系統の能力かと考えた。
しかし、それではこの広大な効果範囲が説明できない。そして気付いた。もう一つの違和感に。

鈍すぎるぜッ! いくらなんでも行動の端々が遅すぎるッ」

吐き捨てるように言うルクスに対し、レノムは一瞬目だけ目を見開き……。

「……『光々花』の特性に気づいたのね。驚いたわ」

すぐさま落ち着き払った様子でポツリと呟いた。
ゆっくりと、立ち上がり。
後ずさる。

後方斜め右、そこには別の植物群。

「”こうこうか”……そんな名前なのか、この花。まあ、一旦分かれば簡単な話だ。”動き”もしくは”刺激”に反応するんだろこいつ等は」

ルクスはくっくっとわざとらしく笑いながら身を捩り、身体を動かして水中の挙動を確かめる。

「速いと噛みつき、遅いと見逃す。さっきからのやたら芝居がかった動作は、動きの”遅さ”を誤魔化す為だろう? 対処も単純。ただ、脱力すればいい。全身の力を抜いたまま、”ゆっくり”引き抜けば、これ以上食われることもない。違うか」

「……それはあの激痛の中で全身を脱力できればの話なんだけど」

レノムもあえて自ら食われた経験がある。
だからこそ、信じられなかった。
まともな思考も難しい状態の筈だ。

「ああ、視界が白く霞むんだ。極楽気分だったぜ……だから」

ルクスはにやりと薄く笑うと、一気に距離を詰めた。

「ッ!?」

必然、レノムを覆う『光々花』の群れに突っ込む形になる。

「ハハハァ……! お前も試してみろよ!!」

花々の茎を掴んで引き寄せる。
一瞬の間にレノムに組み付き、刹那。
ルクスの手刀が、彼女の心臓を貫いていた。

「ガフッ……!」

不意打ちの一撃。
くらりと意識が遠くなる。
しかし、軽い。

相手の手を掴む。
『苦十快百』の影響により、
握力に任せて容易く圧し折り、引き抜き、そこで止まる。

「こ、このッ……!」

『光々花』が、ルクスの全身を覆いつくしていた。
雁字搦めに縛り上げて、至る所から皮膚を食い破っている。
そしてルクスに組み付かれたレノムも、巻き添えに花に巻き付かれていた。
もはや両者、一歩も動けないほどに。

(馬鹿がッ! 死なばもろとものつもりッ!?)

至近距離でギラつく眼光からは、死んでも殺すという気概が放たれている。
事実、純粋な殴り合いならレノムはルクスに殺される。
しかし、それは土台無理な話だ。

両者に絡みつく花の量が違い過ぎる。

「ぐっ……自分で言ったことも、忘れたのかしら……ッ!」

「ウ……グフゥ……!」

ルクスの表情が痛楽に歪む。

最初の距離を詰める為の強引な動き。
その一瞬の刺激で反応した大量の『光々花』により、彼我では優に倍以上は浸食する花の量に差が出ている。
加えてルクスはレノムの両手を拘束し、身動きを封じる為に力を込めている。仮に少しでも力を抜いたらレノムはルクスの脳を狙う。
つまり、レノムがいる限り脱力をすることも不可能。

幾ら『苦十快百』により回復力がブーストされているとはいえ、このままでは1分も持たずに相手、が 先に 干から び て──────

カクン

意識に空白が生じ、視界が傾いたことでそれに気づいた。

「───ぇ?」

「フフ、ガフッ……半分賭けだったが……効いて、きたみたいだなあ……?」

効く? なんのこと?
口を開くため息を吸い込もうとして、胸部に走る激痛。
視線を落とすと破れた貫頭衣の隙間から、鮮血の花が覗いていた。

「試してみろよ、脱力するだけだぜ……」

「まさか、さっきの攻撃はッ……!」

「まあ、心臓の力を抜けたらッて話だが、ハハハハハッッ!!」

身体の奥底を花の根が浸食している。
胸中の痛みの塊が一鼓動毎に肥大していく。
しかし、心臓を自力で停止させるなどまずもって不可能。

(ッッ……!! これはッ……)

百歩譲って可能だとしても、そうすれば脳への血液供給が絶たれ『苦十快百』の影響下だろうと死は免れないだろう。

「そもそも接近戦なら俺の方が上だ」

(まずい……)

では、やはり耐久勝負に持ち込むか? 否、それも否。
他ならぬレノムだからこそわかる、このまま時間が過ぎれば『光々花』に食い尽くされるのは彼女が先。

「でもって、動きを封じるだけなら更に楽ゥ……」

(まずい、まずいッ……! このままではッ)

考える間にも花は成長し死が近づく。

「なあ、レノム」

(まさか、これが、嘘だ)

残された時間は少ない、だが……いくら考えても目の前の死から逃れる術など見つからなかった。
レノムは、詰んでいた。

「死んだぜ、お前」

(これが、この感覚がッ……!)

秒ごとに痛みは増してゆき、視界は白く光々と霞んでいく。
熱いはずの身体が背骨の芯から凍り付いてゆく、景色と裏腹に真っ黒に塗りつぶされる脳内の思考。

(命の終わり、私の死なのッ……!?)

レノムは己の死地を悟った。

(──────~~~~ッッ!!)

瞬間、彼女は咆哮を上げていた。

「───ガァッッッ!!!」

がむしゃらに暴れだす。
ルクスはその豹変ぶりに驚くが、拘束は微塵も緩めない。
そもそも緩んだとして、ルクスもレノムも既に『光々花』に浸食されすぎている。この場から両者とも逃げられないのに変わりはない。

が、そんなものは関係無い。
今のレノムには関係ない。

身体は先に動き出し、
理解が後から閃光のように脳を貫く。

「あ、ああ、」

死が彼女の顔を舐める感覚に、
忘れて久しかった敗北への恐怖に、
彼女の本能は今、生命への執着を思い出していた。

「ああアアアアアッ───!!」

死んだら、死んでしまったら、もう朝に目覚めることもない。
歩くことも、走ることもない、戦うこともない。
”刺激”を感じることもない。
”刺激”が少なくて退屈だと、愚痴る贅沢すらなくなる。
今、見渡す限りの『蒼然水漠界』、彼女の好きな、美しい世界も、すべてが、そのすべてが失われて──────ッ!!!!

(ああ……)



……今、やっと、

今更になって、やっと

私は、気づいた。気づけてしまった。

───死にたくない。私は、生きたい……ッ!!


レノムは己の中に、自分でも知らなかった激情を自覚した。
死への恐怖、生への渇望。
それは胸中を埋め尽くす激痛の塊よりもなお強力に身体を支配し、訳も分からず暴走させる。

死線を渡るような毎日? 嘘だ。
本当は自分の勝利しか見えていなかった。
虚しいのは、本気で生きようとしていなかったから、
面白みがないのは、結局どこかで自分が勝つと驕っていたからだ。

真剣を装って、必死だと言いながら、己は全てに勝るのだと錯覚していた。

見せかけの虚無主義。
悟ったようなふりをして、わかったようなふりをして、
すべてを密かに見下していた。相手も、自分も、生きる意味さえも。

そして死ぬ。そのまま、死ぬのだ。
後悔は遅い。逃げ場はない。すべては、致命的に遅かっ───


「違うッッ!」


絶叫が、迸る。
レノムは眼前のルクスに噛みつこうとする。

格闘において相手が有利など、知ったこっちゃないッッ!

「違う違う違うッ! 私は生きるッ! 今から生きるんだッッ!!

死に際になって世界が鮮やかに色づいた。
空間を満たす水も、花も、己も、敵さえ、その全てが華々しく輝いていた。
今、過去の記憶が、まだ見ぬ未来さえもが、目が覚めるような光彩を放っている。美しかった、愛おしかった、素晴らしい、命は素晴らしかったのだ。

「オォオオオオ───ッッ!!!」

レノムは『光々花』に構わず、満身に力を込める。

今やっと、ようやく、初めて、生まれて良かったと思う。
私は今、始まった。
断じてこんなすぐ終わるわけにはいかない。

両足を使って相手を蹴飛ばそうと、身を捩じらせ、それもうまくいかないとみると、自分の両手を拘束するルクスの両手を力づくで振りほどこうと暴れだす。滅茶苦茶だ。死に物狂いというに相応しい。
みっともなく、荒々しい。
それまでの彼女とは打って変わり、上品とはとてもいえないその気迫に、生にしがみつく必死の形相に、ルクスは今日一番の美しさを見た。

彼女は笑顔で言い放つ。

「おっと、往生際が悪いぜレノム! 観念して死ねッッ!!!」

「───絶っっっ対にッッッ!!! 嫌あッッッッ!!!!」

暴れるレノムと、それを抑えようとするルクス。
両者の動きに反応して、浸食を増す『光々花』。

全身の至る所に根を下ろされたルクスは激痛のただ中で笑っていた。
手足などの身体の末端ではない、肉体深部の臓器から直接血液を吸われるレノムは血の気の引いた顔で抗っていた。


───チャンスは死の間際。


全力で暴れ続けたレノムの右手首が、
『苦十快百』によって過剰に傷つき、折れ、千切れた。

刹那、残った体力の全てでもって、骨の断面を切っ先にした刺突。

大量の『光々花』でルクスは身動きが取れず、不意を突かれ、体力も限界、加えて超至近距離、よって避けられず。

ルクスの右目から後頭部にかけてを、レノムの右腕が貫通した。


★★★


下は地平線まで広がる白いタイル張りの床。
上は異様なまでに高く広い、同様に白色の天井。

「……グ……ガ…………ガ…………アァ……?」

ルクスは意識も虚ろなままに、全身を脱力させつつ、自分の眼窩に埋まっている異物をゆっくりと引き抜く。

「ア、アァ~~……」

すぐさま『苦十快百』の効果で穴がふさがり、脳が回復。すると、ようやく目の焦点が結ばれる。
同時、自分が濡れたタイル張りの床の上に座り込んでいることを自覚する。見回すと、辺りの水たまりには赤い花弁と花の残骸。

どれほど時間が経っていたのか、全身に巻き付いていた『光々花』は既に枯れていた。つまり、

「……失神しつつも脱力だけはしてたってことか、我ながら凄えな……っと」

そして、目の前には、

「…………こいつァ、なるほど」

レノムがルクスの胸に寄り掛かり、眠るようにして死んでいた。
千切れた右手首がまったく再生の兆しを見せないことからも間違いなく、死んでいる。知らず追い求めていたものをようやく見つけたような、輝く希望をその手に掴んだような、生命に溢れた綺麗な死に顔だった。

片手で肩を掴んで彼女の身体を起こし、閉じた左目から咲く一輪の花に触れる。水晶のように透明な葉に、艶やかに赤い花弁。

「俺が心臓に埋めた根っこが脳みそまでイったって感じか」

ハハッ、と笑いつつその花を摘む。
するとそれは瞬時に指先に根を張り、チュウチュウと血を吸い始める。
適度に力を込め刺激を与えて身体を食わせつつ、独り言ちる。

「惜しかったなあ、最後」

あと少し、上下左右どこにでも、脳をかき混ぜればルクスは死んでいた。本当に、紙一重の勝利であった。

「フフ、期待以上だご同類、我が友! いや、レノム! ああっ! まったくもって今回はッ! 超~楽しかったッ!! 特に最後は最高に最高だったッッ!! ヒヒ、この花は貰っていくぜぇ~~。綺麗だから記念に俺の部屋に飾っとくとしよう! ……じゃあ、またなっ!」


───決着。
既に傷一つない肉体で笑いながら、
上機嫌な様子で相手の亡骸に背を向ける少女……ルクスの勝利。

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