雑記その21、実は少女漫画とか、人間関係ドロドロしてる奴はお手軽ですよ
「感動」とは、心が動かされること。
人は何かに感動するが、何に感動するかは千差万別。
しかしまあ、一般的には主人公が勇気や友情でもって強敵に立ち向かう様に感動したり、愛・優しさをもって行動するヒロインの姿に感動するのが割とありがちな感動の種類ではないだろうか。
ぱっと思いつく漫画だと「金色のガッシュベル」とかがそれに該当するような気がする。もう少し新しいのだと「テラフォーマーズ」とかね。いやもう、大好物です。(得にテラフォーマーズ)
というか、良作のストーリーだったら大体幾つかは感動ポイントがあると思う。見せ場とも言うのかもしれない。
問題は、それらに対して俺がちと食傷気味な点だ。
嫌いではない、むしろ大好きだけどさあ~~。
うーーん。どうしたものか。
と考えていたら、気づいた。
違うベクトルで、自分が感動できるシチュエーションというやつになあ!
「感動」とは、心が動かされること。
心が、動かされれば、その方向は+であろうが-であろうが究極関係ない!
よって俺は。
幾つかの作品における胸糞シーン・悲劇的場面をジックリと鑑賞・想起することにしたッ!(ドMかな?)
ハッキリ言ってゲテモノだが、「心」が「動かされる」ことには違いない。
胸の奥がムカムカしてくる。
うなじに嫌な汗が流れる。
表情が強張り、気を抜くと叫びだしたくなるような不快感。
ギリギリと奥歯を噛み締め、作品のキャラクターに殺意を滾らせる。
それは漢と漢の果し合いの最中、互いの情を利用して戦いに干渉し、両者共を仕留めんとする謀略家の如き卑劣。
それは百合百合しい美少女達の真ん中に金髪ピアスのチャラ男をぶち込むが如き非道。
それは救国の英雄を、その矜持を利用して罠に落としハメ殺すが如き外道。
一般的に多くの作品ではその後危機を脱する。でないと読者のダメージがデカすぎるから。しかし、その後の逆転が無い場合。もしくはあっても無いと仮定した場合、切実に思う。
許されるのか。こんな悪逆が。
酷い、あまりにも。酷い。言葉が出ない。あらゆる物語・作品は、正義が尊重されるべきではないか。勇気友情が実を結び、努力と優しさは報われるべきではないのか。分かっている。必ずしもそうではない。世界は残酷なのだ。(でもあえてギャップに酔うために自分に言い聞かせた)
あまりの理不尽に、涙が流れた。
悔しかった。悲しかった。
喉が詰まり、声が出ない。
俺は目の前の悲劇になんの力も及ぼせないのだ。
そして頭の片隅で思う。
スゲェ、我ながらここまで入り込めるとは。
もしかして、役者の才能あるのかな(無いです)。
ともあれ、文句なしだ。
俺は今、涙を流して悔しがっている。怒りを湛えている。
メッチャ心が動いている(沈んでいる)。
これが感動でなくて何だというのか。
あとはこの義憤の心を原動力に、行動を起こして行けばよい。
あと昨日書いた記事の中で、尋常なベクトルの感動として、「センスオブワンダー」的な奴を読もうって言ってたら、バールさんから「紫色のクオリア」って本を勧められたから(ありがとうございます!)それも読んでみたいです。
片方の感情だけ食ってるとまた食傷しちゃうからね。
+と-をバランスよく食べていきたいです。