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無常命脈の誓い 3
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オクトはマールム王国の暗殺者ギルド所属の暗殺者である。
暗殺者。暗殺を生業とする者。
暗殺と一口に言っても、求められる技能は殺人技術だけではない。
人を殺さない技術、というものもある。
より厳密に言えば、相手を心身共に限りなく無力化しつつ殺さない、拷問の技術。
「問題ありません。この程度の傷、即座に死にはしない」
抑揚のない淡々とした声で耳打ちする。
そしてナイフを更に埋めた。
「────~~ッッ!?!?」
「僕は医療術士じゃありませんが、簡単な術式なら知っています。治療も出来ます、聞きたいことを聞き終わった後なら」
フーッ、フーッ、と獣のような息をするアウリアの瞳を覗き込むオクト。
ナイフを伝う血の温かさを感じながら、幼い子供に言い聞かせるように語る。
「ただ、時間に余裕はないでしょう。端的に話してください……失血死する前に」
口を塞いでいた掌がどけられ、そのまま首に添えられた。
「あ、あなたは分かってない! 私を殺したら────」
根元まで埋まったナイフが縦に捩じられ、
引き上げられる。
「────、────────ッ…………ッッ!!!!」
空白の悲鳴と共に出血が増した。
この世のものとは思えぬ激痛に、少女の意識が飛びそうになる。
アウリアはもう暴れなかった。
引き攣るように、声を出す。
「し、質っ、質問を、は、早くっ」
「魔術の名称は?」
「め、命脈の、誓い」
「魔術の系統は?」
「ぎ、儀式ッ……!」
命脈の誓い。
聞いたことが無い魔術名だった。
加えて儀式系統の魔術というのはそれ自体が非常に希少な部類、門外漢であるオクトにはまるで内容が予測できない。
「……効果は?」
「……を、……せば、……も……死……────」
オクトは相手の首にかけた手から、アウリアの身体が脱力しつつあるのを感知した。
失血で気が遠くなってきたのだろう。
想定していたよりも大幅に早い。
細身で小柄な身体ゆえ、失血の限界も近かったのか。
「気を失えば死にますよ。はっきりと言ってください、魔術が齎す効果は?」
再び問うと、少女は歯を食いしばって、答えた。
「あ、あなたもっ、死ぬッ!」
「結果は聞いてません。聞いてるのは術がどう作用して…………『も』?」
「私を殺せば、あなたも死ぬっ、そういう、魔法だッ!」
精一杯、全身全霊で、
相手に伝わるようにはっきりと告げた。
そして少女の意識は、プツリと糸が切れたかのように暗闇へと落ちて行く。
直前、彼女の口角が音無く上がり、無言で歪められた。
★★★
オクトはぐったりと脱力した少女の身体を抱えていた。
彼女が気を失った直後、口内に極僅かに残っていた霊薬を腹部の傷口に吹きかけたことにより、既に裂傷は殆ど塞がれている。
(想定より、強かな娘だ……)
状況から考えて、オクトが彼女の姉を殺した場面も目撃していただろう。
姉の仇を相手に逃げ場のない状況。
圧倒的に無力な身で、理不尽な暴力に屈することも、自棄になることもなく、思考し、立ち向かおうとする。若齢にしては聡い子供。
だからこそオクトも、最後を強引に詰めるしかなかったのだが。
(加えて罵倒まで、だいぶ気も強い)
”ざまぁみろ”、と。
彼女が最後捨て台詞を残したのは、自身の死、ひいてはオクトの死を確信してか。それとも、これからの彼の行動を知ってのことだろうか。
「……まだ顔が青白い、か」
そんなことはどうでもいい。選択肢はないのだ。
少女の言葉が本当なら、彼女の死は彼の死に繋がる。
彼が今まで忌避していた絶対的な弱点が、無防備な寝顔を晒している。
当然、何としてでも術式を解除する他ないが、それまでオクトは万一にでも彼女を死なすわけにはいかなくなってしまった。
彼は秒の間だけ、逡巡し。
もう一つ、高級霊薬の小瓶を取り出す。
医療術が使えるというのは嘘だ。治療可能な怪我の限界を誤魔化す為の方便だった。仮に使えたなら、このような浪費はしなかっただろう。……否。
(これは浪費ではない。先を思えばこその必要経費)
「……ん」
意識のないアウリアに、神秘を纏った液体を嚥下させる。
霊薬が齎した変化は顕著だった。
頬に赤みが差し、弱弱しかった脈は瞬時に回復。塞がれかかっていた傷も完全に癒えた。苦し気だった表情は解れ、浅かった呼吸がゆっくりと、深いものになる。仮に彼女の身体が病毒に侵されていたとしても、それはこの瞬間に完治しただろう。
「絶対に、死なせはしない」
少なくとも現状は。
他殺だろうと、自殺だろうともだ。
暗殺者ギルドへの対応も……慎重に考える必要がある。
オクトは軽々と少女を担ぎ、立ち上がった。
黒々とした夜の空に、黄金の月が輝いている。
それを隠す叢雲。
次に雲の切れ間から月光が覗いた時、二人は消え、そこには寂しげな空間のみが横たわっていた。
【続く】
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