伝えること。
大学4年生の夏が始まった。
3年生の秋から始めた就職活動を未だに終えられておらず、卒論・就活に追われる日々からなかなか抜け出せない。
私が未だに就職活動を終えられずにいるのには理由がある。
業界を絞りに絞り、かつて自分が思い描いた夢を実現することに固執した就職活動をしているからだ。
私の夢、それは"人に何かを伝えることで人の人生や考えを動かせる人になること"すなわち、マスコミ業界で働くことである。
第1・2・3志望の企業全てに最終面接で落ち、お先真っ暗なのが今の現状。
この現状を目の当たりにして、改めて自分の考えを整理し、あるべき姿やすべきことを一から見つめ直している最中だ。
そんな中、昨夜放送された関西テレビの番組『セブンルール』を目にした。
取り上げられていたのは"山戸結希"さん。
美しい自然描写と荒削りで揺れ続ける思春期の若者の心理描写を映し出した映画『溺れるナイフ』の監督である。
若い感性を反映し、彼女にしか描けないような映像作品を数々世に送り出している山戸さん。
さぞ華やかで自信と活力に満ち溢れている方なのだろうと思っていたが、素の彼女は俯きがちでただ映画が大好きな純粋な方だった。
彼女は映画監督として、伝えたいことを表現する上で、"伝える側"の大切な意識や譲るべきでない信念などを強く持っており、俯きがちだが熱い情熱が周りにいる人に伝わるような空気を持っていた。
私は"人に何かを伝える側になりたい"と幼い頃から思っていたが、その伝えたい"何か"が曖昧で、自分の想いがブレブレだったと、山戸さんの熱い想いを通じて、改めて実感させられた。
山戸さんは"伝える"ことに謙虚に向き合っている。
・演じる人が世界観や役柄を自然に表現できるようにするため、観客がその演技から真っ直ぐに登場人物の感情を汲み取れるようにするために髪や空気感、風景に徹底的にこだわる。
・物語の結末や1コマ1コマは観客それぞれに自由に解釈してもらうために、自分が物語をどう解釈しているかは公言しない。
・自分はどういう人に届けたくて映画を撮っているのか…という信念は大切に持ち続ける。
映画が大好きでよく観に行っていた彼女。
友人と鑑賞している際は終わった後どんな感想を言うべきか…と空気ばかり読もうとしていた自分に気付き、空気を読む側ではなく、空気を作る側にシフトチェンジしていかなければならない…と考え、映画監督として空気を作ることに力を注いでいる。
彼女のこの"伝えること"と向き合う姿勢を見て、自分が考える"伝えること"とはどの程度のことなのか、何を大切にして伝えていきたいのか…などもっともっと真剣に詰めていかないと、夢の実現など到底不可能であると感じた。
人に思いを伝える。
簡単なようで、曖昧で、不完全で、なかなか込み入った問題だと山戸さんを通して学ぶことができた。