誰にでも"あの頃は輝いていたな~"と思う瞬間はあるはずだ。 小学生の頃の友達との何気ない時間 中学生の頃の部活動 高校生の頃の甘酸っぱい恋愛や大学受験 大学生の頃のゼミでの研究の時間や何気ない日常 社会人生活での多くの経験 私にとって輝いていた瞬間は振り返ればたくさんある。 そのどれもが自分にとって素敵な思い出に違いない。 しかし、その輝きの中には色褪せてしまい、何が魅力だったのか思い出せないものも… 色褪せてしまう輝きと色褪せない輝きこの2つはどう違うのだ
大学4年生の夏が始まった。 3年生の秋から始めた就職活動を未だに終えられておらず、卒論・就活に追われる日々からなかなか抜け出せない。 私が未だに就職活動を終えられずにいるのには理由がある。 業界を絞りに絞り、かつて自分が思い描いた夢を実現することに固執した就職活動をしているからだ。 私の夢、それは"人に何かを伝えることで人の人生や考えを動かせる人になること"すなわち、マスコミ業界で働くことである。 第1・2・3志望の企業全てに最終面接で落ち、お先真っ暗なのが今の現状
夜一人の時、たまぁーに死にたくて仕方なくなる瞬間がある。 ただ死ぬ勇気も無いから、生き続けている私。 死にたい気持ちと生きたい気持ち狭間で揺れながらみんな生きているのか… 自殺のニュースや、電車の人身事故のニュースを耳にすると、なぜ人は自らの命を無駄にしてしまうのだろう?と疑問に思う。 死にたい願望があるくせに………不思議な矛盾。 しかし、私はいつまでもこの正反対の感情と自殺への疑問をいだきながら、いつまでも生き続けるのであろう。 誰にだって死にたい瞬間はあるはず
夜中寝付けずに起きていると、暗闇の中でたくさんの音を耳にする。 アルバイトから帰る人の声 自転車の漕ぐ音 目が覚めてお手洗いに行く近隣住人の足音 カエルの鳴き声 室外機の回る音 自己の世界しか知る由もないが、多くの人が交わることなく何気なく共に生活をしているのだなぁと音を聞くたびに実感する。 そして、自分の周りにいる人に思いを馳せる。 沢山の人の顔が頭に浮かび、沢山の思い出が蘇る。 私は人に恵まれているなぁ…夜と朝の間になるといつもエモーショナルな感情が湧き
ブログなのか、何なのか、、、 よく分からないけど、Twitterでよく見かけるnoteとやらに手を付けてみる。 私は自己表現が苦手だ。頭の中では色んなことを考え、感じているが、それを言葉にすると薄っぺらくなってしまう。 大切にしている志、忘れてはいけないと感じている思い出、様々な出来事に対する意見、それら全てを美しい言葉で表現する表現者はどこでその能力を身につけているのだろう。 先日、樹木希林さんの『一切なりゆき』を購入した。 現時点で半分も読めていないが、飾り気の