『必要な犠牲〈四〉』(ショートシナリオ)
8 若菜の自宅(4日目・朝)
ソファーに寝ている敏夫。そろそろ上田が迎えに来るため、敏夫を起こそうとする若菜。
若菜:
「お父さん、起きてよ、お父さん」
敏夫:
「ん? なんだよ、若菜」
若菜:
「起きてったら」
敏夫:
「いま何時だ?」
若菜:
「朝の9時だよ」
敏夫:
「なんだ、まだ9時じゃねえか。昨日遅くまで飲んでたんだ。もう少し寝かせてくれ」
若菜:
「ちょっと話したいことがあるから、起きてよ」
敏夫:
「話したいこと? それなら起きてから聞いてやるから」
若菜:
「今じゃないとダメなの。いいから起きて」
面倒くさそうに、渋々起き上がる敏夫。冷蔵庫へミネラルウォーターを取りに行き、敏夫に渡す若菜。
敏夫:
「で、話って何だ?」
若菜:
「私ね、昨日、ある施設に連絡したの。そこは、アルコール依存症の人を治してくれる施設なの」
敏夫:
「なんでそんなとこに連絡したんだ?」
若菜:
「なんでって、お父さんに、そこへ行ってほしいからだよ」
敏夫:
「俺はそんなとこに行かねえよ。なに勝手に連絡してんだよ」
若菜:
「お父さん、私ね、『ヤングケアラー』なの」
敏夫:
「なんだそれ?」
若菜:
「ウチみたいに、アルコール依存症で働いてない親の代わりに、子どもが生活を支えてる状況のことだよ」
敏夫:
「俺は働いてないわけじゃない。今は『就職活動中』なんだ。それに、アルコール依存症でもねえ」
若菜:
「お父さん、お願いだから、今の現実を見てよ。お母さんと別れて1年ぐらい経つけど、毎日お酒ばっかり飲んで、何もしてないじゃん。その間、ずっと私がバイトして、生活を支えてきたんだよ」
敏夫:
「今はアレだけど、これから頑張ろうと思ってんだ」
若菜:
「頑張るって、何を? お父さんが頑張るまで、私の人生はどうなるのよ。これから、大学に行って就職して、結婚もしたいんだよ。それが全部、お父さんのせいで犠牲になっちゃうなんて、私、耐えられない」
敏夫:
「・・・」
若菜:
「その施設に行けば、お父さんのアルコール依存症は、必ず治るの。だからお願い、そこに行って。私のために、何よりお父さん自身のためにも」
ペットボトルのミネラルウォーターを飲みほした敏夫。酔いが冷めたのか、荒ぶった様子ではなく、落ち着いている。
敏夫:
「わかった」
若菜:
「ほんとに?」
敏夫:
「ああ」
若菜:
「よかった! ありがとう」
敏夫:
「でも、その施設に行くって、いつから行けばいいんだ? それに、施設の費用とか、俺が施設に入ってる間、若菜の生活はどうなるんだ?」
若菜:
「私とお金のことは大丈夫。お母さんに連絡して、相談してみるから。それと、施設に行くのは今日からなんだ。お昼ぐらいに、施設の人が迎えに来てくれる」
敏夫:
「めちゃくちゃ急だな。荷物とか、用意してねえぞ」
若菜:
「それは大丈夫。必要な物は、後で私が持って行くから」
敏夫:
「そうか。わかった」
嬉しそうな若菜。それを見て、敏夫も嬉しそうな表情になる。
若菜:
「私、お母さんのことも大好きだけど、お父さんのことも大好きなんだ」
敏夫:
「なんだよ急に」
若菜:
「だから、お父さんを見捨てたくなかった。離婚する前の、私の自慢のカッコいいお父さんに戻ってくれるって、ずっと信じてた」
敏夫:
「大げさなんだよ」
若菜:
「本当に、ありがとう、お父さん。ちゃんと治して、元気な姿で帰ってきてよね。お父さんには、私の成長を見届けてほしいんだから」
敏夫:
「やめろっての。それより、久しぶりに一緒にメシでも食うか? 出前で好きなもん頼んでいいぞ」
若菜:
「出前はいいよ。高くついちゃうから。スーパーで適当に、何か買ってくるね」
財布を持って、自宅を出て行く若菜。敏夫を上手く丸め込むことに成功したので、ガッツポーズをする。
9 若菜の自宅(同・昼)
昼ご飯を食べ終わり、ソファーでテレビを見ている若菜と敏夫。インターホンが鳴り、ソファーから立ち上がる若菜。
若菜:
「はい、どちら様ですか?」
上田:
「クローバー更生施設の、上田と申します」
ドアを開けると、スーツ姿の上田が立っている。
上田:
「はじめまして。私、所長の上田と申します。昨日、お電話でお話を致しました、若菜さんでらっしゃいますか?」
若菜:
「そうです。私が若菜です」
上田:
「この度は、ご連絡していただき、誠にありがとうございました。お父様は、ご在宅ですか?」
若菜:
「はい。もう準備はできていますので、父を呼びますね」
ソファーに座っている敏夫を呼ぶ若菜。テレビを消し、玄関へと向かう敏夫。
敏夫:
「どうも」
上田:
「はじめまして。私、クローバー更生施設、所長の上田と申します。娘さんから、事情は伺ってらっしゃいますでしょうか?」
敏夫:
「はい、聞いてます。俺のアルコール依存症を、必ず治してくれるって」
上田:
「おっしゃるとおりです。私どもに任せていただければ、必ず治ります」
敏夫:
「ちなみに、どれぐらいで治るんですか? 娘はしっかりしてますけど、1人にしておくのは心配で」
若菜:
「お父さん、私は大丈夫だから、心配しないで」
敏夫:
「そうか?」
若菜:
「大丈夫だって。それより、ちゃんと施設の人の言うことを聞いてよね。そうしないと、治るものも治らないよ。もし途中で帰ってきたりしたら、お父さんのこと、本当に大嫌いになるから」
敏夫:
「うん」
若菜:
「必要な物があれば、その都度持って行くから。あと、お母さんにも連絡しとくね。2人で施設に会いに行くかもだから」
上田:
「そろそろ、よろしいでしょうか?」
若菜:
「あっ、はい、すみません。父を、よろしくお願いします」
若菜が頭を下げたのにつられて、敏夫も頭を下げる。
上田:
「お任せ下さい。それでは、失礼いたします」
上田も頭を下げ、若菜宅を後にする。上田について行くように、敏夫も歩き出す。2人の背中を見送る若菜。少し歩いたところで、敏夫が振り返る。笑顔で手を振る若菜。
※〈五〉へ続く