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法学の旅〈5〉〜触らぬ神に祟りなし〜
自宅のベランダでタバコを吸い終わり、部屋に戻る。スマホを確認すると、友達(甲)から電話がかかってきていた。ワイは、なんか嫌な予感を感じつつも、折り返しの電話をかけた。コール音が鳴ったかと思うと、それを待ってましたと言わんばかりに、甲の声が飛び込んできた。
「おーーーっすーーー! この前は楽しかったな! 久しぶりにお前と飲めて。また行こうや」
「声が大きいねん」
「お前は声が小さいな。もう朝の8時やで?」
「まだ朝の8時やから、声が小さいねん」
「なんやそれ。もっと元気出せよ」
「んで、何の用や?」
「いや、法律の大先生のお前に、ちょっと聞きたいことがあってな」
これは長電話になりそうだな。ワイは、ホットコーヒーを飲むためにケトルのスイッチを入れ、部屋でタバコを吸う時用の灰皿を探し回った。
「おい、聞いてるか?」
「聞いてるで。ほんで、なんやったっけ?」
「聞いてへんやんけ! だから、俺、人を殺してもたかもしれへんねん」
甲のその一言で、ワイの動きが一瞬、止まった。と同時に、視線の先に灰皿を見つけた。それをテーブルまで持って行き、ソファーに座り、改めて甲に聞き返した。
「人を殺した? お前が?」
「そうや」
「もっと詳しく説明してくれ」
タバコを取り出し、火をつけた。沸騰中のケトルの音が鳴り響いているが、電話の妨げになるほどではなかった。
「昨日はクリスマスやったやろ? それで彼女とデートしてたらな、あっ、お前の前で彼女の話はしてよかったか?」
「ええから、続けろ」
「ごめんごめん。ほんま冗談が通じんやっちゃな。んで、彼女とデートした帰りに、公園の中を歩いてたら、見ず知らずのホームレスのオッサンが、新聞紙にくるまって寝ててん」
「うん」
「昨日はめっちゃ寒かったやろ? 記録的なんとか言うて。んで、オッサン、このままココで寝てたら凍え死んでまうでーって思いながら、見て見ぬ振りして、通り過ぎてん」
「うん」
「うん」
「それで?」
「ああ。んで今朝、テレビ見てたら、昨日俺と彼女が通った公園で、あのオッサンが、死んだっていうニュースが流れたんよ」
「うん」
「うん」
「それで?」
「さっきから『それで?』ばっかりやないけ。リアクション薄いやつやなー」
「甲が人を殺したって言うから、何をしたんかと思えば、お前は何もしてへんがな」
「俺は何もしてへんの? 警察に逮捕されたりせえへん?」
「大丈夫や」
「殺人罪とか、保護責任なんとか罪っていうのもあったやろ? あんなんになったりせえへん?」
「保護責任者遺棄致死罪な。大丈夫やて。逮捕なんかされへん。俺が保証する」
「ど素人の大先生に言われてもな」
「その、ど素人の大先生に相談してるのは、お前やろ」
「まあな」
ワイは、2本目のタバコに火をつけた。いつの間にか、ケトルの音が鳴り止んでいる。一旦電話を保留にして、コーヒーを入れようかと思ったが、あまり電話を長引かせたくなかったので、そのまま話し続けた。
「まず、殺人罪やけどな、甲はそのオッサンに暴力を振るったりせんと、寝ているオッサンをそのままにして、ただ通り過ぎただけやから、殺人罪にはならへん。つぎに、保護責任者遺棄致死罪やけど、甲はさっき、『見ず知らずのオッサン』って言うてたやろ? だから、『保護責任者』とは言えへんから、保護責任者遺棄致死罪にもならへん」
「なるほどな。でも俺らが子どもの頃は、『困っている人がいたら、助けてあげましょう』みたいな教育を受けて育ったやろ? アレとは関係ないんか?」
「ないな。それは前に話した道徳の問題(※法学の旅〈4〉参照)やから、困っている人を助けんくても、何の罰もないで」
「道徳の話は、この前さんざん聞いたから、もうええわ。とりあえず、俺は無罪ってことやな?」
「そうや」
「ありがとな、大先生!」
やっと甲との電話から解放される。そう思ったワイは、スマホで時間を確認するために、電話を切ろうとした。すると、耳元から離したスマホから、甲のバカでかい声が聞こえてきた。
「あっ! 大先生、ちょっと待ってくれ!!」
「どうした?!」
「今ニュース見てるねんけどな、あのオッサン、中学生の集団に殴り殺されたらしい。死因は失血死やって。これで俺は、無罪放免やな!」
まったく、甲は真剣に相談しているのか、それとも俺をからかっているだけなのか、わからないやつだ。甲に対する苛立ちと、長電話による疲労とで、別れの挨拶もせず、ワイはそのまま電話を切った。コーヒーを飲もうと思って立ち上がり、ケトルを触ると、すっかり冷たくなっていた。
(終)
【参考条文】
・刑法199条、同218条、同219条