「表現する」とは何か《続・歯車》
文章、芝居、歌、料理などなどなにかを「表現する」方法は現代において多岐に渡る。
前回、オリジナリティーを追求する上で忘れてはいけない部分を自分なりにまとめてみたが、今回はそれをもう少し具体的に掘り下げていきたいと思う。
https://note.mu/heaven1223/n/nae2fbbff132a
前回も述べたように、表現者と名乗るのであれば、自分だけの世界を表現したいと誰しも願うと思う。
でも、そもそも表現する、とはなんなのか。と最近よく考える。
何を伝えたいのか、なにを実現したいのか。
ただ、視点を間違えると大きく変わってしまうから難しい。
自分だけの世界を表そうとしたときに、自分だけ、が先行するのは違う。
まず「世界」を知らずして「自分だけの世界」は成り立たない。
「世界」から目をそらし、「自分だけの」という価値観に囚われるのは、
そんなのただの精神的引きこもりだ。
「世界」の広さを知り物事を多角的に見れるようになり、自分を通した世界ではなく世界からみた自分を見つめることが出来るようになって初めて、「自分だけの世界」が建立する。
なんだか小難しい流れになってしまったので、喩えを使ってみよう。
例えば、ある料理人が世界一おいしい「自分だけの丼」を作ろうとしたとしよう。
しかし、もしその料理人が(そんなことは絶対あり得ないが)「丼」という定義がよくわかってないとしたらどうだろうか。丼にご飯を盛り、上に具材を載せる。まず「丼」という定義に当てはまらなければ「自分だけの」丼など作れようはずがない。
創作料理の店を出そうとして、たとえセンスや技量があったとして、どのジャンルの料理も究めていないとしたら、独創性あふれてかつ美味しい料理など作れようか。なにが軸でスタンダードなのかがわかっていなければ、客が求めるものがわからなければオリジナリティーなど発揮できるはずもなく、ただの自己満足のおままごとに過ぎない。
私の好きなミュージシャンの方々は、独創性を持っている人ほど、いい曲を書ける人ほど音楽が大好きで、同業の人たちを尊敬しているし蹴落として成り上がろうなどという人は一人もいない。
それは、表現するとは自分との戦いであると解っているからなのでは…と推察する。
(そもそも「蹴落とすことが目的ではない」よねっていう)
本当に価値があることはなんなのか。それを見定められるから、それが自分の内にあるのか他人の内にあるのかは、その人たちにとって大きな問題ではないのだ。見定めることができるということは、原理を知っている、物事の本質を見抜くことができる、だから産み出すことができる。
自分が大事で、自分が世界の中心、と思っていたらこの発想にたどり着くこともできないだろう。「自分だけの世界」を築くことは自分を匿い擁護することではない。
自分に欠けているものを認めたり、またそれを補うために基本的なことを反復して練習したり、時には自分を追い込んでいじめ抜いて命を削って表現する。
それは、まず世界を知らねば出来ないことだ。自分を客観視出来なければ周りのことを正当に評価することなど出来ないし、また評価もしてもらえない。
哀しいことに、なんでわかってくれないの!という人ほどわかってもらえるような行動を起こさないし、○○さんのことがわからない!という人ほどわかろうとする努力をしないもの。
それは自分を客観視できないが故、自分の精神に閉じこもっているが故、なにも見えていない、あるいは自分の見える範囲しか見えないから、自分の望まぬものに対して不満だけが募る。周りに対して忌憚のない理解と解釈ができない。
心の扉をまず開けなければ、そもそも相手には届かない。届けるべき相手がぼやけたものは、受け取る側も焦点がぼやけてしまう。そもそも受け取る準備が出来ていないからだ。
表現するとは何か。伝えるとは何か。歌を歌いたいから歌を作るのではなく、伝えたいことがあるから歌にする。似ているようで大違いで、分かっているようで忘れがち。
世界を見渡したとしても世界のひとびとの頭の中が覗けるわけではない。でも、自分の外側から自分自身を見ることも出来ないだろう。他者の関わりなくして自分はわからないものだ。他人のことを100パーセント理解することはできないが、自分のことさえわからないのに他者のことがわかるはずもない。
表現するとは、己に負けないこと、自分から逃げないこと、他者から目を背けないこと。
そしてなにより、自分はひとりではないと気付くこと。さしのべる手から目を背けないこと。
誰かに何かを届けたいなら、何かを表現したいなら、「志」は自分の中に持ち続けるべきだが「意識」は世界に向けるべきだ。それが「意志」として周囲に伝わり、やがてそれはその人だけの煌めきとなる。
世界は変わってくれない。でも自分が変われば、世界の見方が変わる。自分なりの捉え方ができる。それはやがて、その人の魅力となり、本当の意味での「自分だけの世界」となっていく。表現するとは、世界を抱え込むことではなく、世界を自分の内に受け容れることなのではないだろうか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?