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続々 心の風景 初めてのステレオ
私が初めて自分の小遣いで買ったレコードが「田園」だった。中学2年か3年か、その頃だった。音楽の授業で「田園」全曲を鑑賞。初めて聞いた「田園」という曲に流れる暖かさに心を揺さぶられた。流れてくるメロディーから田園の風景が瞼の内側に映し出された。
初めて買ったレコードがLPである。価格は800円くらいだったろうか、昭和40年代の中学生の身からすれば高価な買い物だ。これでひと月分、それ以上かもしれない。その間無一文である。どうやって過ごしていたのか。毎日買い食いして少ない小遣いを散財していた当時の自分を思うと不思議だ。まあ、小遣いに不自由してまで「田園」を聴きたかったのだろう。
家にはもちろんステレオなんてハイカラなものは無い。昭和四十年代前半のこと。父が質屋で買ってきた小さな電蓄(電気蓄音機)だ。SP用の78回転、ドーナツ盤(シングル)用の45回転、LP・ソノシート用の33回転で聴ける電蓄だった。17センチターンテーブルの脇に小さなスピーカーの付いたモノラル再生のプレーヤーだったが、ステレオというものを知らない私にとって小さなスピーカーの奥から流れてくる「田園」が流麗、清冽な響きとなって耳の中を巡るのを感じたものだった。
それで十分にクラッシック音楽を楽しめたのだ。当時家にはまだSPが何枚か残っていて、その中にはピエルネの「小牧神の入場」やラヴェルの「ボレロ」もあり、管弦楽の音色には馴染みがあった。小さなころからラジオから流れてくるオーケストラの音色が自分の感性に合っていたのかもしれない。バカだけどバカなりの感性というものがあるらしい。だからクラッシック音楽に対してもあまり抵抗感はなかった。音楽の授業で楽器を演奏したり歌ったりするのは嫌いだったが、レコード鑑賞に限っては楽しみな時間でもあった。
当時、もちろん演奏云々、音質云々など、なにも判らない。ただ「田園」が聴きたい一心でレコード店に行き「ベートーベンの田園をください」と注文して店員さんから渡されたのがフランツ・コンヴィチュニー指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団演奏のレコードだった。あくまで「田園」に興味があるのであって演奏者のことなどは意識外だ。ステレオ録音だったかモノラルだったのかも覚えがない。
父の小さなトランジスタラジオか電蓄でしか音楽を聴いたことのない耳だ。ステレオもクソもない。それでも小さな電蓄の箱の隅の更に小さなスピーカーの奥の遠いところから聞こえてくるオーケストラの響きに魅了されていたのは間違いない。
高校2年か3年で初めて買ってもらったポータブルステレオで左右のスピーカーから別の音が立体的に出てくることを知り一枚の平べったいレコードからこんな厚みのある音が耳だけでなく頭の中を駆け巡るのを感じ、体が震えたのを思い出す。
時代は進みさらにレコードからCDへと変化し、音質もどんどん良くなってきた。今では安いCDプレーヤーでもイヤホン次第でいい音が聴ける有難い時代だ。
当時はまだクラッシック音楽の情報がなくレコードも中学・高校生の小遣いで簡単に買えるものではなかったので一枚のLPレコードが宝物のようだった。
市内で一番大きなレコード店に出入りするようになり、そのレコード店では自分の聴きたい曲を試聴させてもらえたので学校が半日で終わる土曜日はこのレコード店で2~3時間試聴三昧。
中年の男性の店長がまたクラッシック音楽に詳しくいろいろ話を聞かせてもらっているうちに仲良くなり特別にレコードを一割五分引きで購入できるパスをくれたのは有難かった。
高校卒業するまではせいぜい十数枚程度しか買えなかったが、社会人になってからはCDが登場するまでに購入したレコードはかなりの数に上る。
試聴を繰り返しているうちに自分の好みの曲がどんなものなのか分かってくる。
そうするとそれに関連した曲を集めたり、或いは同じ曲で演奏者によりどのように変わるのか聴き比べたりする楽しみも知り、いつのまにか500枚を超える数になってしまった。
オーケストラの響きが好きで1700年代から1900年代前半までの管弦楽中心に、時々バロックに手を出したりして。
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