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世界のどこかで

毎年この時期になると同じようなことばかり書いている。何か空しい。

ピカソのゲルニカを見て戦争の悲惨さとか愚かさを感じたことがない。芸術は解らん。

残念ながら私は絵画表現で戦争は嫌だと思わせるような作品は描けないし、一流芸術家の反戦作品を見て戦争の恐ろしさとか残酷さとかを感じたことがない。

1960年代の、ヴェトナム戦争報道のようにリアルで残酷な映像が無くなってしまい、残酷な映像をテレビで流すのはいかがなものかという世論が強くなり、そういう機会がない。

芸術が平和を世論に訴える力があるかどうか私には疑問に思えてならない。ウクライナでの報道のように戦いの最前線に送り込まれた兵士の精神は生きるか死ぬかの極限状態に置かれた状態ですることは、ただ敵を倒す(殺す)だけでなく略奪、レイプ、惨殺など通常では思いもよらない行為を始めたりすることは昔も今も変わらない。科学技術の発達で戦争の形が変わりつつあると言われているにもかかわらず、結局実際に戦っているのは兵士であり、犠牲になるのも兵士であり、市民であり、長年培われてきた文化であり、郷土の景色だ。

 

戦時下での自分と自分を取り巻く人たちや慣れ親しんだ景色が壊されていく有様を想像すればおのずと戦争なんか嫌だと思うものなのではないかと期待するしかない。

“心の風景”は少なくとも大切な風景、郷土、身近な人々を思うことで平和を感じられることを心に留めておく。

大体の戦争は、負けが判った時に戦争を始めたことを後悔し、勝った時はいかなる理由であろうと正義が勝ったことになり、どこかで世の中のひずみを生みだしたり、怪我で体が不自由になった人や死んでしまった人の家族が国を恨むという図式になり、結局あまりいいことにはならない。
勝った負けたにかかわらず兵器製造業だけはウホウホらしい。

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