自治会 30年度は台風被害の多い年だった
当時の記録からー
7月26日(木)
8時前、高区会長Bさんから電話あり、河内(こうち)公民館、大木が倒れ道をふさいでいるという。高区副会長Hさんからの報告。大至急現場に向かうと大日社の大木が倒れ農道をふさいでいた。Hさんが中電に電話し、市土木へ報告に行ってくれた。その後集会所でBさんと合流し、再び現地。中電が先に来て約2時間後市土木職員が来る。土木職員が倒木の伐採をきょう午後から始め翌日午前まで後始末。重機が入る大掛かりなもの。芯辺りから半身が腐った状態で直径1メートル以上もある大木。
7月27日(金)
朝から倒木処理の様子を見に行く。河内公民館の空き地に伐採処理された直径一メートル以上もある大木が横たわっていた。処理された倒木の引き取りは市では行ってもらえないらしい。処分場へ持って行ってもお金がかかる。どうする? Hさんによれば、冬に河内区内で行われる祭りの薪に使用できるということで、そのまま公民館脇に置くことになった。
※処理しきれない大木はというと、2年たった現在も公民館脇に手つかずのままデンと鎮座している。
7月28日(土)
朝、谷区会長Kさん、三嶋区会長Fさん、私の3人で地元企業に盆踊り協賛お願いの挨拶。続いて敬老会余興での踊りの先生に挨拶。
18:00常任幹事、校区集会所集合で25日に発生した台風12号対策。あまり身になる話はできなかった。19時過ぎ三嶋区会長Fさん、いずみが丘会長Tさん帰宅、21時過ぎ高区会長Bさん、谷区会長Kさん、天津区会長Mさん帰宅。私一人集会所に残る。9時を過ぎたあたりから風が強くなり11時を過ぎると猛烈な風の吹きつける音。こんな時に集会所に一人でいると心細い。
避難場所となっている市民館は21時に来るはずの市役所職員が来ない。警報が発令されると市民館に市役所職員(防災危機管理課)が詰めることになっているらしいが来なかった。仕方がないので校区集会所に私一人詰めることにする。帰りたくても12時過ぎてしまうと猛烈な雨風で外に出られなくなってしまった。気を紛らわすために9月に行われるウォークラリーコースマップの修正。
午前1時過ぎ、台風はピークを越えたようなので帰宅してシャワーで汗を流す。なかなか寝付かれなかったが酒を飲んだら眠気が来たので布団に入る。
防災ラジオは全く役に立たなかった。
7月29日(日)
8時近くに目が覚める。まだ雨が残っている。高区副会長Hさんから電話。気になっていた大日社の倒木を見に行ったらこんどは別の木が折れて道をふさいでいたという報告。大急ぎで現地に向かう。結局2本折れていた。一本は完全に折れ、垂れ下がっているが、もう一本は竹がせき止める形で落ちていない。こちらのほうが厄介なことになりそう。一旦校区集会所に戻り、そこに居合わせた谷区会長Kさんと相談して正副町自治会長全員9時集会所に集合することにした。9時時点で雨はまだ降り続いている。Kさんの話によると三嶋区会長Fさん、高区会長Bさんはすでに担当地域を回っていてFさんは自宅近くの農道をふさいでいる折倒木、竹の切り出しを行っていたそうだ。みんなのフットワークの良さに舌を巻く。みんなすごい。
9時、全員集合。現状を報告してもらい、今後の作業について人員の振り分け。9時30分頃それぞれ所定の箇所へ各自支度を整え、伐採処理作業をしに行く。この時点で雨はやみ、吹き返しの風が吹いている。
主な被害。天津区では現在調査中とのこと。谷、三嶋(神吉エリア)、高(河内エリア)ではいろいろな個所で竹や折れ倒木。いずみが丘はあまり目立った被害はなさそう。御園は七股池のコナラ一本と桜一本が倒れている。御園第一区会計のYさんに七股池の見回りをお願いした。午前中で一応応急作業を終え、一旦解散。寝不足と疲れでフラフラ。ひと眠りしようと布団に入ったが全く眠れず。2時半か3時頃天津のM会長から防潮堤の倒木の報告を受け現地に向かう。防潮堤に根付いた木々が根こそぎ倒れ、コンクリートから絨毯がめくれ上がったように堤防のコンクリートからはがれていることが分かった。写真を撮り。せっかくなので二人で周辺を見回ると、中藻の南側、三河港大橋の橋げた下の農道が折れ倒木で道が半分ふさがれている。自分の車に積んであった選定のこぎりで切り出し、約一時間かけて片付け。いったん帰宅。少し横になる。・・・・
30年度は、7月の豪雨被害、台風12号の暴風雨、9月の24号の暴風がこの地方に被害をもたらし、豊橋全域で長時間(エリアによっては2日間)の停電に加え、農業ハウスの被害は杉山町内ではほぼ全滅と言っていいほどだった。
地域によっては自治会不要論が言われ、そういわれても仕方のない活動しかしていない自治会もあるが、防災・防犯の時にこそ自治会の本来の威力が発揮されることは間違いのない事実である。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?