見出し画像

物語、旅。「冬毛と新雪と裏起毛」

犬の冬毛が見たいから、雪国に行った。

思い立ったその日には宿を取り、観光列車を予約した。

宿泊地のことをよく調べもせず、旅程もよく考えず、「雪が降るだろう」「寒いだろう」という想定だけで、防風の裏起毛ズボンと使い古しの防水ブーツを引きずり出して旅に出た。

降り立った高速バスターミナルでは、「東京から来た」という人が、重たそうなジーパンとメッシュスニーカーの姿で震えあがり、両手をこすっている。

その横で、冷たい風に吹かれながらも服と靴に助けられ、温かい手を垂らす私は、雪上で転んで不慣れがバレたくない、その一心だった。
ただ、地元の方と思しき通行人は皆、ニット帽とネックウォーマーと手袋で防寒していて、みぞれの中、傘を差さずに黒髪で立ち尽くす私のことを横目で見ている。

「回るよ回る 地球は回る」
「冬がはじまるよ ほらまた僕のそばで」
「スノーマジックファンタジー 雪の魔法にかけられて」
「絶好調 真冬の恋 スピードに乗って」
「いくぜ東北 冬のごほうび」

やけに強い足元のヒーターと、倒したシートのおかげで、夢と現実の狭間。耳限定ラジオは、かろうじて外の景色とリンクする。

雪深く、北遠く。

到着した町には小さな映画館があった。
銭湯の番台のようなチケット売り場で灯油代を募金して、待合所のストーブと新聞に浸る。

地元のお兄さんがチューハイ片手に「寒いねえ。あっ!このストーブ、もっとあったかくできるんだね」とボタンを操作している。
私という人間と話したいわけではないけれど、他にも来客がいるからとりあえず話しかけてみた、といった感じで、こちらも簡単に相槌を打った。
街中でちょっとひとりごとを言っただけでビックリされて避けられる都心育ちは、この空間はあったかいなあと思った。

3人の来場客は、灯油が切れてきて足元の冷える劇場で、映画の内容と汲み取り式トイレのことを交互に考えながら、2時間を過ごした。

普段は「近くじゃないので」と断るポイントカードもとっさに作ってしまう、そんな場所だった。

ホテルまでの夜道は、人とすれ違うことはないし、普段の1/3くらいのペースで慎重に歩く自分の足音しかしないけれど、真っ白な歩道に描かれた誰かの足跡のわだちが、安心感を与えてくれた。

ダウンジャケットについた雪をはらい、夕飯代わりの軽食を取り込んで、風呂に浸かり、友人にちょっとしたメールの返事をした。
読書灯がついたベッドで、ローカルCMをBGMに眠りにつくのは、こういう町でしかできない至福だと思う。
こんな夜は、騒がしすぎる街には似合わない。

朝。雪が大粒になっていた。
公民館のスタッフさんに、雪景色が目当てだと話すと、「そちらでも雪は降るんじゃないですか?」と不思議そうにしている。

「こんなにしっかり踏みしめられる新雪は初めてです」

滑る気配のない柔らかい地面の先客に、大きめの肉球があった。辿ってみると、冬毛をまとった日本犬と3回すれ違った。

列車の時間が来て、宿泊地を去る。

観光列車に乗る駅で出会ったふわふわの犬は、見る人見る人全員の顔を舐めて回り、カメラ目線もできる、人に愛されるために生まれてきたような性格だった。
飼い主さんは「グルメ観光のお客さんからは美味しい匂いがするんだねえ」と笑った。

帰り道、昼食に立ち寄った飲食店で、「あのお客さん、見かけのわりによく食べるね」と噂されている。いっとき、食事の味はしなくなるが、人とラーメンが温かい、それはしっかり伝わってきた。


新幹線で降り立った東京は暑い。

足元は気にしなくて良いけれど、人の波と時間を気にしなくてはならないこの街で、雪国の2.5倍くらいの速さで歩く私は、誰かにこの気持ちを分けたいくらい、本当に幸せだった。

いいなと思ったら応援しよう!