写真を撮られるのが嫌い(だった)
人生のなかでガッカリする瞬間は数あれど、かつての私にとってこれに勝るものはなかった。「友達と解散したあとにLINEに共有される自分自身の写真を確認するあの瞬間」である。
LINE上では「写真ありがとう、楽しかった!また遊ぼうね🥰」なんて、まるで自分の写真を貰えて嬉しいみたいな反応を毎度返すものの、心中はこうだ。
「いや私ってこんなブスなんだ、!?!」
その衝撃ったらない。
家を出る時、鏡で確認した自分自身の姿はK-POPアイドルさながらの盛れ具合だったはずなのに。なんか今日いつもより可愛くない!?って思ってたのに。あんなに自信満々に振る舞ってたのが恥ずかしい。現実はこんなだったのか。アイドルはおろか平均以下。こんな顔面を晒して友達と遊んでたなんて、、穴があったら入りたい。
毎度、こんな風に思い悩む事を繰り返していた。自分を可愛いと思って、でも実際はそうじゃなくて、落ち込んで…その繰り返しだった。
だけど今となっては、前ほどガッカリすることがなくなったように思う。ただ「前ほど」ってだけで、落ち込むことはまだまだあるけど!
今回はその理由について考えてみた。
1. 自分のビジュアルに期待しない
かつての私は「自分って結構可愛いよね」と思っていた。対して今の私はそう意識していない。
具体的に言えば、以前の私は自分の顔面を「世間的に見て結構可愛いレベル」であると自負していた。おこがましいけど、やっぱり自分自身のことはちゃんと可愛いって思っていたかった。しかしそういう思い込みによって自覚レベルと現実との差が見えた時にめちゃくちゃ落ち込んだ。
だけどある時から「平均かそれより下くらいだよね」って意識するようにした。直視するのがとてつもなく嫌だった、不意に撮られた自分の写真を見続けることで「自認している顔のレベル」を低くして、現実の顔レベルと自認レベルをなるべく近づけた。現実と自分の認識との間に差が生まれないようにしたのだ。もちろん自分の写真を直視するのは嫌だったし大変だったけど、やっていくうちに現実の顔に慣れて「私ってこんなもんだよな」って思い始めた。
そうしていくうちに自分のビジュアルに期待しなくなって、街を歩いてる時に「そのへん歩いてる人からどう見られてるんだろ、、」と顔を気にすることもなくなった(かつては「可愛いって思われてるかな大丈夫かな…」と常に気にしていた)。そして、顔への期待値がそもそも小さくなったので写真を見てガッカリすることも減った。
つまり私は今まで、自分をレベル80だと思っていたゆえに、写真で40を突きつけられた時ことごとく落ち込んでいた。だけどそもそも40だと思える練習をした。そんな感じ。
以前の私は自分の顔に過度な期待を寄せすぎていたのだ。それを頑張って辞めてみた。
2. 世間の可愛いに照らし合わせない
だからといって自分のことを卑下したり、ネガティブになったりはしていない。私は私のことを可愛いと思う。
ただ以前と違うのは「世間の可愛い基準」ではなく「自分の可愛い基準」を採用するようにした、ということ。
世間的に見たら私の顔はあんまり整ってない。だけどそういう「世間から見た可愛い」で自分を測るのをやめた。
具体的には自分の写真を「楽しそうでいいじゃん!最高!!」って全肯定する練習をしてみた。これにも写真を見続けることが必要だったからちょっと辛かった。しかしながら向き合っていくうちに、世間のカワイイを意識せずに「私の笑顔、悪くないじゃん。私は私で可愛くない?」って思えるようになった。
でもこれってやっぱり難しい。テレビをつければ整った顔の人ばかり出てきて「これが顔面の最適解ですよ」と言わんばかりに主張してくる。雑誌や商品のパッケージ、ネット上のコンテンツ、どれを取ってみてもそこに出てくる人間の顔は大体整っている。だからこそ、それらと自分の顔を比較しがちになってしまう。
そういう環境があるから、今でも「もっと可愛ければ…」なんて考えたりすることがある。自分自身に落ち込むこともまだまだある。
だけどちゃんと自分の写真と向き合って肯定する練習をしたことで、私は以前よりもちょっと生きやすくなったように思う。
まとめると、
顔面の自認レベルと現実レベルとの差を小さくする→顔面への期待値が下がることでガッカリすることが少なくなる
世間基準のカワイイをなるべく意識せず「自分、悪くないじゃん!可愛いじゃん!と思えるようにする。
▶︎①、②を達成するために自分の写真と向き合う。
少しでも、同じように悩んでいる誰かの助けになったらいいなと思う。
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