私に似合う"ペルソナ"を贈る

こんばんは、不安障害を経験した大学生
はちみつです。

最近は寝る前にココアを飲むようにしています。


ペルソナは心理学用語の一つです。意味は仮面です。社会的に見せる顔とプライベートで見せる顔は異なる方が多いと思いますが、そこでそれぞれある仮面(見せる顔)がペルソナです。

ペルソナは社会的な立場や性格、生まれ持った性質今までの経験などから作られます。
2年前発達心理学の授業を受講した時、ものすごくしっくりきたのを覚えている。
そうそう、そうだよねって。
最近知人との話で、そういえばこんなこともあったなと思い出したので書いていきます。


私は人によって対応を変える八方美人のような部分がある。けれど、おしゃれ好きな子には洋服とかコスメとか流行の話題を提供するし、
本好きな子には本の話をする。

年配の方には、天気の話とか健康とかの話をするし場合によっては聞き役にも徹する。

どれも同じ自分。

ただ相手によって使い分けているだけ。

このように、ペルソナは人間関係を円滑にするために有用な場合も多い。
しかし、物事にはいい面があれば悪い面もある。

それは、ペルソナが厚すぎるとほんとうの自分がわからなくなってしまうのだ。

どういうことかというと、例えば社会に適応する
自分になるために演じる自分とほんとうの自分があまりにも乖離した時などに自分がわからなくなったり精神的な障害が起こるらしい。

私自身も、高校時代に不安障害になった経験がありますが、たしかに自分自身見栄っ張りな部分があったり責任感が強いことから求められる自分を演じていた部分もあるなと思う。

それで、成果が出ていたからよかったんだけど
今度は体を壊してしまってさ。

求められる自分を演じ続けようとするあまり
自分の心や身体をないがしろにしてたみたい。

また、求められる自分と本来の自分が近ければ問題なかったのになと思う。

自分の理想は高すぎるみたいで、今も時々(日本語変)無理をして身体を壊す。

演じるのではなく、自分の性格や特性にあった
やり方て社会に適応することが大事なんだろうなと思う。


求められる自分を演じるのではなくて
自分のありたい自分を自分に合った形でオーダーメイドに作っていった方がいいのかなと思う。

こう書くと、今までの演じてきた自分は無駄だったんじゃないかとも思うけれど、無駄じゃない。
そういう自分がいたから、この方向じゃないって気づけたし、自分なりのやり方で社会に適応できた経験は無駄にはならないと思う。


これから、社会人になって本格的に社会に出る私だけど最近毎日希死念慮にうなされてる。

死にたいと思いながら生きている。
私なんて失敗すればいいと思いながら、成功するために努力している。圧倒的矛盾。

私の周りは努力を言う人が多いけれど、私はそうじゃないそれが苦しい。影で目立ちたくない。
けれどわかって欲しい。救って欲しい。エゴが強すぎる。笑えない。

私の願いはチューリップみたいに素朴で春に揺れる花みたいな人になるのが目標だったけど、
もう少し、目立っていかないといけないらしい。
私なりの花を咲かせに、私に似合うペルソナを
私に贈ろう。いつか。


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