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逢瀬

ねえ、何か食べ物持ってない?

 崖っぷちにゼンマイを見つけ恐る恐る手を伸ばしていた俺は突然背後から投げられたその一言に背中を押され中へ飛び出した。こんな山奥には似つかわしくない鱗紋様の小紋に緑の帯。なんとか視界に収めた顔には無機質な笑みが張り付いていた。

ねえ、何か食べ物持ってない?

 先刻と全く同じ問いかけ。俺は右の膝から飛び出た白い棘を見て絶叫していた。痛みは感じない。それでも血は、止まらない。不気味なほど静かな山中だが、自分の悲鳴すら聞こえなかった。いつの間にか横にいた彼女は三度同じことを口にする。なぜかこの声だけははっきり聞こえた。

ねえ、何か食べ物持ってない?

 漆黒の毛髪で飾られた青白い笑顔。俺は声にならない声を振り絞る。少女は張り付いた笑みをそのままに転がっていた俺の背負い籠を取り上げ中を除いている。生憎空だ。さっき家を出たばかりだし、この時期山菜なんて滅多に見つからない。生えていたとしても早起きな年寄りたちが全部採っていく。

ねえ、何か食べ物持ってない?

 少女は籠を放り出すと血と涙に塗れた俺の顔を覗き込んで幾度目かの問いを発した。やっと体の節々から伝わってきた激痛のせいで薄れていく意識の中なんとか首を振る。彼女は笑ったまま「そう、残念だわ」という顔をした。

 しゃがみ込んだ彼女はのたうつ俺の頭を両手で掴み、自分の顔の方に引き寄せる。彼女の口が開いていく。あり得ないほど大きく。目の前で彼女の頰が裂けた。そこで初めて、牙が見えた。人間の可動域を遥かに超えて口が開いた。まるで卵を飲み込む蛇のような。

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