いい先生ってなんだろう?
ふと、先生になりたいと言う気持ちって、どこから出て来たのだろうか?と思い、深堀してみようと思います。
今、現在、先生業に付いてる方は「恩師」と呼ばれる人に出会えた方が多いのでしょうか?
私は、全く「恩師」と言える方はいませんでした。
それどころか、大人の理不尽に晒される日々でした。
子供の頃から、身体が大きく目立つタイプだったので、友人は多く、女子特有の「やってみたら?」の一言に「じゃあ、やってみる!」と言ってしまう様な、調子乗りの子でした。
何か気にかかる様なことは、片っ端から立候補してました。
よく言えばフットワークが軽い。
悪く言えば、何でも首を突っ込む。
おかげで(?)学級委員やら生徒会長やら部長やら何でもやっていました。
他人からの承認が、嬉しくて、何でもやっていた感じでしょうか。
何でも首を突っ込んでいくと、否が応でも目立って来るんですよね。
少しでも調子乗りすぎると、一緒に調子乗ってた子の倍くらいの勢いで怒られる。ナンデ?
凄く優しいって評判だった先生にも、怒鳴られた事もあります。
先生がやりたい方向と、私のやりたい気持ちが合わず、他の子を贔屓された(と感じた)事もあります。
今思えば、結構ウザい子でした。
当時は大人って理不尽なもので、そんな大人にはなりたくないなと思っていました。
もうちょっと成長すると、そんな理不尽な人達とは関わりたくないなと思うようになり、目立たないように努めました。
そうすると今度は、いわゆる陽キャと言われる人達が先生に可愛いがられ、陰キャの私はいないも同然です。ナンデ?
文化祭の出し物で、私がアイデアを出して、成功を収めたのに、他の子の手柄になっていたことがあります。
私はますます、理不尽な大人にならないことだけを目標に、生きていました。
専門でも陽キャの子達は先生を捕まえ、言いたいことを言い、やりたいことをやり、どんどん上達して言ってました。
私は、先生とは付かず離れずの距離感を心がけ、やりたいこともなく、とりあえず卒業しました。
先生(大人)に恵まれるという経験を、ほぼしてこなかったので、私は素敵な大人像の解像度がすごく低いです。
大人になりたくないのに、なれてしまったような感じです。
なので、解像度をあげていく為にも、次の世代に少しで自分の様な経験をさせない為にも、いい先生になりたいと思ったのかもしれません。
インナーチャイルドを癒すというやつかもしれませんね。
それでも自分が素敵な大人と思えるように、いい先生像と向き合っていきたいなと思いました。