かぞかぞとフランクル
去年BSでやってて、今NHKで放映中の ’家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった’ 見てますか?
毎回涙と笑いを堪えながら見てます。こんなに暗い題材で、こんなに明るいドラマってあまりないよね。明るい、というのが乾いた明るさ。湿ってない。かといって、虚無的なわけではない。それぞれのキャラクターが素晴らしくて、誰も欠けられない。
見てない人のために書くと、実話をもとに作られてます。主人公七美(河合優実)の弟草太はダウン症、父親は中学の時に過労死、母親は高校のとき大動脈解離で命はとりとめるも車椅子生活。もうすぐ(今は5回まで見た)家族の面倒をみているおばあちゃんが認知症になるとか、ならないとか。
学校でもなんとなくハブられ、スクールカースト最下層。親友は、親がマルチ商法なのか、ニックネームがマルチ。
そんな状況でも明るく強く生きる七美。周りに可哀想と思われようが、たまに凹むけど毎日母親のため、弟のため、自分のために奮闘する。
かぞかぞ見てて、フランクルの夜と霧思い出したんだよね。
ヴィクトール・フランクルはオーストリアのユダヤ人精神科医。ヒトラーの暗い影の中、アメリカに亡命しようと考えるが、ビザが自分しか降りず、年老いた両親は残さないといけないので、自分達家族もオーストリアに残ることを決意。
結局全員強制収容所に送られてしまう。フランクルは絶滅収容所のアウシュビッツに送られてしまう。その時の体験を綴ったのが夜と霧。
日常って、毎日ですよね、続きますよね。どんなにラッキーで幸せな状況でも、日常になると毎日幸せで喜んでいられない。人は慣れる。不満も生まれてくる。憧れのあの人と晴れて結婚しても、数年経てば文句の一つも出てくる。大金持ちの家に生まれたら、一生お金があって嬉しいなと幸せ?そうじゃないですよね。
逆に、どんなに悲惨な状況であっても、人は慣れる。驚いたことに、アウシュビッツの毎日であっても、人はちょっとした冗談を言い合ったり、笑ったり、そこに日常の感覚はあった、とフランクルは書いています。
もちろん、それなりに強靭な心を持っていた人だけかもしれないし、そうならない人もいるのかもしれないけれど。
フランクルは敬虔なユダヤ教の信者であったけど、科学(精神科学、心理学)には決して宗教的概念を持ち込まなかった。しかしフランクルのいう、’超意味’には、神の意志みたいなものが感じられる。曰く、どんな出来事にもそこには意味がある。どんなに無慈悲で無意味なことにもなにかの意味がある、というもの。ただそれは個々の人間が自身で見出すもの。
そしてさまざまな事象に意味を見出すか、見出さないか、それに人間の心は左右される。生き方も左右される。
七美の環境ってまさに無慈悲なくらい不幸が降り注いでいるわけだけど、今見たところで一番七美が落ち込んでいるのは降り注いだ不幸な出来事じゃない。彼女が亡くなったお父さんに助けて欲しくて泣くのは、自分が会社組織の中で能力が低いことなんです。彼女は突出した仕事の才能があるのに、事務的なワークは全くできず、ウィルスを会社のパソコンに感染させてしまってものすごい迷惑をかけてしまうんです。
あるよねえ、わかるよ、わかるよ、そういうの。
でも、これってきっと意味があることなんですよ。フランクルは、なにげないこと(右にいけ、とアウシュビッツで入所のときに言われたが左に友人がいたので左の列に行く、右の列はガス室行きの列だったと後で知る)で何度も命が救われており、そこに意味があった。(とフランクルは考えている)
なんでも、自分の中で、長い目で見たときに一時的には不幸であっても結局はそれでよかった、ということってありますよね。なんでも捉え方、考え方次第というか。それで人の幸福度みたいなものって変わってくるでしょう。
つまりなにか、というと七美の置かれている状況も彼女にとっては日常で、だからこそ明るく強くいられる。だから普通の日常として描かれる。ただ自分自身の能力に関わること、それは自己評価であり自己嫌悪であり、誰にでも起こりうる辛い現実。だから普通につらい。誰でも経験する普通のことではとんでもなく落ち込んでるんです。
七美にとってみれば、彼女の家族に起きていることは、どうして?っておもってはいるけれど現実だから、受け入れていくもの。意味を見出す前に、生活をしていかないといけないから。生きていく日常、ってそういうことなんだろうな。
彼女はこれから意味を見出していくのでしょうか。母親のひとみ(坂井真紀)は、車椅子生活ながら、講演したり、もともとの自分の特性に気づいてカウンセラーの資格をとったり、車椅子になったことで人生が好転した、と思っています。ひとみはそこに意味を見出した。
不幸のオンパレードみたいな七美の家だけど、その環境は日常だから普通に楽しいこともある。かぞかぞの演出はちょっと癖があって、妙にコメディなんですけど、そこが日常性、日常度合い?を強調しているような気がする。違和感も覚えるけど、慣れると面白い。
最近、トゥレット症の日常の動画を見たんですが、いやいや本当に大変だと思う。でも彼らにとってみたらそれが日常。かわいそうと思ってしまうことって優越感の裏返し?なんでしょうかね。でも周りの人の理解って必要な病気だから、もっと発信されたら良いと思います。私たちの知らないことがほんとに多すぎる。
かぞかぞ、楽しみに毎週見ています。何度も見たくなる、岸本一家に会いたくなるような素敵なドラマです。終わったらロスになりそう、、、
あと、ダウン症の草太くん役の子も素晴らしいんです。