生きるということ、人生の幕を閉じるということ
母の闘病に直面した2020年夏以来、私は、自分の生き方だけでなく、「人生の幕の閉じ方」を意識し、考えるようになった。
約1年間、母を看ていて、自分の生き様、死に際を想像し、いざその時が来たら、心穏やかに、お迎えを待つことができるのかどうかを考えることが多くなった。
そして昨年夏から年末にかけて、義父の最後にも寄り添うことで、より一層想像することが多くなったのだ。
80代後半を迎えた母、義父は、ある日突然末期がんの宣告を受けた。
それまでは、2人とも、何不自由なく独りで元気に生活していたというのに。
宣告を受けることになったきっかけは、あまりにも急に、彼らのからだに起きた症状であり、それは足のむくみや出血だった。
元気に生活しているのに、入院するの?手術受けるの?と相当戸惑っている様子だった。
でも腫瘍は、気づかぬうちに、彼らの体の中でゆっくりゆっくり大きくなっていた。
母の主治医、M医師は言った。
毎年人間ドックを受けていても、見つからない病気はあるのだと。
ましてや、デラックスな検診を受けられる皇族や総理大臣や総理大臣夫人とは違う、一般庶民の我々ならなおのことだと。
私は今年60歳、還暦になる。
いつ何がこの身に起きてもいいように、悔いのない生き方をしたい。
静に最後の時を迎えられるように、心の準備も、身の回りの整理も、少しずつしておきたい。