難経(なんぎょう)第二十難
最近は、書き下し文以外のコメントの分量が少ない・・・
なぜって?
だってあまり普段意識しないところだから。
やっぱり古典に限らず、なんにしてもそう思うけど、「今」の状態状況に即してみていかなきゃならないと思うんだよね。もちろん基礎基本として古典やほかの人の見解は参考にするけど。
ということで、書き下し文です。
二十難に曰く、経に言う、脈に伏匿あり、と。何れの臓に伏せ匿るるを伏匿というや。
然り。陰陽更ごも相い乗じ更ごも相い伏すを謂うなり、脈陰部に居りて、反って陽脈の見わるるものを、陽陰に乗ずとなすなり。脈時に沈・渋にして短なりといえども、これ陽中に陰を伏すを謂うなり。脈の陽部に居りて、反って陰脈の見わるるものを陰陽に乗ずとなすなり。脈時に浮・滑にして長なりといえども、これ陰中に陽を伏すをいうなり。陽を重ぬるものは、狂、陰を重ぬるものは、癲。陽を脱せし者は、鬼を見、陰を脱せし者は、目盲す。
この分を見て、なるほどわかる!という人は、信用ならんな・・・。
だってさ、きっとここに書かれた「陰部に居りて、反って陽脈の見わるる」とかさ、絶対主観じゃん。客観的な指標ではない気がする。