人のためと自分のための、タイムラグの話とか
ぼやきをつらつらと。
主観から離れられない話
人間って、主観から離れられないですよね。
「絶対に~です!!!」
と断言してみても、結局それって
「私の認知しうる範囲では~だと思っています」
と言ってるのと、同じですね。
あなたのために言ってるの!の話
よくあるセリフ「あなたのために言ってるの!」も、結局は、
「あなたのためになると私は信じていて、私はあなたにそうしてほしいの!」
と同じで、それは要するに「あなた」の話ではなく、「私」の話なんですよね。
まぁでも、そのことは「あなたのためになるかどうか」と無関係ですね。
ボランティアは誰のためか
ボランティアを、相手のためにする人と、自分のためにする人がいますよね。
相手の喜ぶ顔が見たいから、自分のことなんて考えずに行動している人。
これは「相手の喜ぶ顔を見て幸せな気持ちになりたいという自分の欲求を満たす行為」だとも言えます。
私は、ボランティアをすることで幸せな気持ちになれるから、それをしているんですという人。
これは自分のための行為ですが、「相手が喜ばないと幸せな気持ちになれない」としたら、自分が満たされるとき、相手も喜びますね。
「お互いに幸せ」の起点はどこか
「私も相手も幸せな状態」っていうのは、
自分の幸せをきわめる方向からはじめても、
相手の幸せをきわめる方向からはじめても、
なんとなく成り立つのではないかと思います。
このとき、自分の幸せと相手の幸せが発生する瞬間については、同時でないことが多いように思います。
人生の中で「終わり」が目の前に見えたとき
平穏な日々がずっと続くなら、
自分ファーストな人も相手ファーストな人も、「善い行いをする」が最適解なんじゃないかなと思います。
問題は、平穏な日々の終わりが見えたとき。
自分の幸せをきわめることからはじめた人は、自分の幸せを感じるところで終わりたい。
相手の幸せをきわめる方向からはじめた人は、相手の幸せを感じるところで終わりたいんじゃないかと思います。
その時の振る舞いこそが、その人間の本性ではないか、なんて、考えています。
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