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【短編小説】#18 人生はひまつぶし

ひまだ。

ひまだ、ひまだ、ひまだ。

瀬田蒼はベッドの上で大の字になって天井をみつめながら、今日は何をしようか考えてみる。

ひまつぶしに毎日視聴している投稿動画サイトはそろそろ見たい番組が尽きてきたし、夏の暑い時期はとにかく苦手なので執筆活動にも手が伸びない。音楽はひまつぶしというよりも時間を埋めてくれる環境だし、ひまつぶしにゲームをはじめてみるも同じ作業の繰り返しなので心がどんどん死んでいきそうなので距離をおいている。

ひまつぶしで検索してみるとたくさん出てくるんだけど、パズルもゲームと同じ作業なので躊躇していまう。パズルが完成した瞬間に何かの暗号が浮かび上がるとかであればちょっとは興味が出るんだけど。けどパズル好きさんには失礼な話だよね。パズルを楽しむことがひまつぶしと形容されるなんて。

私にとってのひまつぶしの王道は料理なんだけど、やはり夏の暑い時期ということもあって長時間キッチンには立ちたくない。うちのリビングダイニングは仕切りのない20畳ほどの広さなので、クーラーをつけ続けることで電気代を非常に多く消費してしまう。独り暮らしとなったいま、この部屋は私には大きすぎるのだ。

ひまつぶしとはひまをつぶすことであって、能動的になんらかの作業をこなすことが重要だ。涼しければ健康を考えてウォーキングをするが夏場は夜も暑いのでそれも叶わない。ひまつぶしに小説を読むことは能動的なので良いかもしれないね。ただここ最近は老眼がだいぶきつくなってきたので長時間目を酷使してひまつぶしに充てることはやはり避けたい。

反対にひまつぶしを受動的に考えてみる。ジャズやヒーリング音楽などを聴きながらとにかくゴロゴロと寝て過ごす。人間ひまになるとロクなことを考えないというけれど、もしかして天命のようなものが降りてくるかもしれない。じゃあこの場合のひまとは何を指すのか。ひまだから寝る。つまり起きていることがひまだということになる。私の人生そのものはひまなのだろうか。

そうなのだ。そもそもなぜ私がひまなのか。それは私が仕事を失い、家族を失い、生きる気力もすっかり失ってしまったからで、一度は手に入れたものを再び手にしたい情熱はもう私にはない。途端に今の私には「余生である」という現実を突きつけられ、命をどうするとか考えることもできず、ひまという言葉でやり過ごすしかほかに方法を知らないからだ。ゆえに私にとってのひつまぶしは、今後の私の人生をともに過ごすパートナーであるとして受け入れるしかないのだ。

人間とはいくら悩んでも無情にも時間はどんどん過ぎ去っていく。その時間を有意義と思うか、虚しく思うか。生まれてきてひまで特にやることもない人間は仕事や恋愛を見つけてひまから脱却を試みる。そういうものに価値を見出せない人間は毎日ひまだと言ってひまつぶしを模索する。結局のところ、人生はみなひまつぶしなのだ。そうして私は詭弁法を用いて、今ひまつぶしにこんな話を書いている。ほうら、読んでいるみんなも確かにひまつぶしでしょ?

ああ、それにしてもお腹が減ったなあ。来週末には名古屋にでも小旅行にでかけてひつまぶしでも食べたいなあ。えつ、ひつまぶし? あれっ? 私、この話のどこかにそんなこと書いたっけ?

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