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極貧時代のお話

前々回の居酒屋バイトの下りから少し外れて、今日は超ド貧乏キャバ嬢時代の実態を晒します(笑)。

私は25歳の時に地元を離れ、大宮のキャバクラで働きながら昼職を探す事にしました。ここに至るまでの出来事や埼玉に出てきた理由はまた後ほど書きたいと思います。

当時は夜一本な上にまともな蓄えもなかったので自力で物件を探して審査に通過する事など出来るはずがなく、寮と言う名の店が借り上げたマンションに住む事になりました。

地元では3万円〜3.5万円くらい出せば普通に1K〜1LDKのオートロック付きで風呂トイレ別のマンションが借りられたけれど、大宮まで出てくると一気に家賃相場が上がって寮とはいえオートロックもなければ風呂トイレは同室。更に給料から引かれる家賃は毎月7万円。田舎の相場に慣れていてこの街で客ゼロからスタートするには厳しい金額。

その上、私が大宮で最初に本入店したL店はノルマが厳しく、半月に一度のイベントで1組も客が呼べなければ罰金1〜2万円。当欠は平日が1.5万円で週末は3万円。金曜日にインフルエンザと診断されてやむを得ず休まなければいけなくなった時は本当に最悪でした。

それでなくても私は根っからの意識低いキャストなので度々当欠したりノルマを達成できなかったりしていましたが(笑)。

そんなこんなで給料から引かれる物が多く、毎月の生活費は3〜4万円あれば良い方でした。

自分の身ひとつで入れる店の寮でもコンロは自分で設置しなければならず、当然洗濯機などもありませんでした。とてもガスコンロや洗濯機を買う余裕はなかったので…

キッチンではカセットコンロを代用。洗濯物は1〜2週間に一度近くのコインランドリーで回す日々。

その後、寮を出て自分で家を借りてからもガスコンロや洗濯機は買いませんでした。

↓その頃の写真がこちら。

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本業キャバ嬢なのに華やかな暮らしとはほど遠く、質素な暮らしを続けていました。この頃もやしや豆苗以外の野菜なんて滅多に買ってなかったな。

自分でもすごいと思うのは、周りの華々しい暮らしをしている女の子達を見て卑屈にならなかった事。いや、むしろ店で仲良くなるのも指名や売上が私とさほど変わらない子ばかりだったので、彼女達も質素なアパート暮らしをしていて"自分だけじゃないんだな"と妙な安心感を覚えていた記憶があります(謎)。

詳しくは後々記述しますが、大宮は(都内や周辺エリアも同様だと思いますが)売れている子とそうでない子の差が歴然としていました。

Twitterで夜職アカウントを持ち、たくさんの水商売・風俗に関わる方と繋がっておりますが、私のような極貧生活を送っていた(もしくは送っている)キャバ嬢・ホステスさんっているのかな?と少し気になりました。

夜職だからってみんな裕福な訳じゃない。

でも、私みたいな極貧キャバ嬢でもこうしてゴキブリ根性で何とか生き抜いてきたから、きっと何とかなる。軽々しく大丈夫だと口にして無責任かもしれませんが、私のように底辺を知っている方なら後は上るだけなので、この先も意外と強く生き抜いていけると思います。

この記事が何の役に立つのか自分でも分かりませんが、これを読んで今現在生活苦に直面している夜職の方が"自分だけじゃない"と感じて今の状況を耐え抜いて少しでも明るい道に進んでいける事を願うばかりです。

最後に上手くまとめられなくてすみません。久しぶりの投稿で元々ない文章力が更に落ちました。今日も豚小屋奴隷に励みつつ、近々また更新します。

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