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セカンドキャリアのロールモデルは元NPBの首位打者~高沢秀昭氏~

新卒で入社以来34年4ヶ月勤務した会社を退職・転職して1年が経過した。

おお、476のスキ!(2023.8.3現在)
固定記事の効果もあり伸びたなあ。

それはさておき・・・退職を決断したのが1年前(2022年)の2月末、キャリアコンサルタントの資格を目指そうと養成講座に申し込んだのが同3月初旬、決めたはいいが不安も募る中、偶然目にした記事がこれだった。

実際に目にしたのは購読している読売新聞の記事
★今春、保育士になるプロ野球選手 高沢秀昭さん(読売新聞2022.3.6)

えっ!高沢さんが保育士\(◎o◎)/!

NPBで13年間活躍(ロッテ/広島)、ロッテ時代には首位打者を獲得するなど今でいえばWBCに選出されるレベルの選手であった高沢秀昭氏。

少しoldな野球ファンなら知らない人はいないだろう。
特に1988年は首位打者を獲得、私にとっても打ちまくっていた印象が強い。が、一番記憶に残っているのは、野球ファンには伝説となった近鉄とのダブルヘッダー(10.19)で近鉄の優勝を打ち砕く、阿波野投手から放った同点ホームランである。TVでリアルタイムで見ていたときは、「ここで打つか。。。」とガックリした記憶の方が強いが、この打席は高沢選手にとっても「首位打者」を確実にするための重要な打席でもあったのだ。
当時の試合を高沢氏が振り返る記事を見つけた。阿波野投手のスクリューボールをとらえたのか。少し甘いコースに入ったものの、さすが首位打者、うまく捉えたなという印象であった。


そんな高沢氏は引退後17年間コーチを務めた後、子どもたちと関わる仕事をしたいという思いを強くし、セカンドキャリアとして選んだ道は「保育士」
どうしたら保育士になれるか、自ら保育園に直接相談し、保育士資格を取得するために還暦を過ぎ2年間学校へ通い、資格取得後は横浜市の認可保育園に勤務しているとのこと。(たぶん今も)

保育士という職業がどうこうとか、プロ野球選手のプライドとかいう話ではなく、「プロ野球選手」と「保育士」は相手も内容も全く異なる仕事、それでも「やりたいこと」を目指して2年間も学校まで通って夢をかなえる姿に、その時の自分の姿を重ねた。

大企業の看板を背負って仕事をしてきた自分が56歳で転職して、果たして勝負ができるのか・・・
キャリアコンサルタントの資格が取得できたとしても実績もない自分がやっていけるのか・・・
高沢氏の記事はそんな不安を吹っ飛ばすくらいのインパクトだった。

何を悩んでいるんだ、まずやってみろよ!


こう背中を押された気がした。
「自分にとって何が意味あること(生き方)なのか」
考えながら、行動しながらやっていこう、と決意できた。

いつからでも、何歳からでも、キャリアは作れる
プロティアン・キャリア

プロティアン・キャリアそのものを体現する高沢秀昭氏。
そして、今も背中を追いかけている


最後まで読んでいただき、感謝申し上げます。
自分は転職して1年経過しましたが、まだ普通のサラリーマンからもっと普通のサラリーマンに移行したに過ぎません。
自分の目指す姿に向かい、行動を続けます。
最後に、高沢氏の言葉を引用します。

保育士を目指したことで人生が豊かになった。子どもたちと一緒に遊べると思うと楽しみでしょうがない(高沢秀昭)



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