ヴィチェンツァとパッラーディオ
イタリアには2回行ったことがある。
1番最初に行ったのは、専門学生の時の修学旅行でミラノとフィレンツェとローマに行った。
2回目はヨーロッパ横断ひとり旅の時。ウィーンから鉄道に乗ってヴィチェンツァ、ベローナ、ヴェネツィアに行った。
イタリアは同じ国の中の都市であっても町や地域ごとに色が全く違うから面白い。建物の色や醸し出す空気は独特だ。
それでもどこへ行っても共通しているのが、絵具で描いたようなちょっとグレーがかった空と、雲みたいに軽く浮いて行ってしまいそうな糸杉。
額縁を持って歩けばどこだって絵になってしまうような景色ばかりを集めたようなところがイタリアだ。だから私はイタリアに行くと浮足だってしまう。
ヨーロッパ特融の時間に超絶ずぼらな所や、おじいちゃんが陽気で幾度となく私の旅の時間をおじいちゃんの世間話に付き合わされた所はイタリアの絵画のような景色の中では多めに見てやろうと思ってしまうほどだ。
そんなイタリアの町の中でも私の記憶に一番残っているのが世界遺産の町「ヴィチェンツァ」だ。
イタリアといえば、日本人にも大人気の国だからどこへ行ったって日本語がどこかから聞こえてきた。
しかしこのヴィチェンツァに関しては、日本人、いやアジア人は私ぐらいなものなのではないかというぐらい観光客いなかったのが印象的だった。
ヴィチェンツァではゲストハウスに泊まったが、中学生なのか高校生なのかの集団と先生と何人かのイタリア人が宿泊していた。
はじめてゲストハウスを利用した私としては、いろいろな国の同世代の友達ができるのではないかとわくわくして行ったが結局4つもベッドが並んでいる部屋は3日間一人で使ったし世界各国の同世代らしき人にも出会えなかった。
切ない思いでがあるから記憶に一番残っているというわけではないが、ヴィチェンツァからフランスのニースに移動するために早朝駅に急いでいた道のりでスーツケースのカギ部分が壊れ閉まらなくなってしまい半べそを書いたのもヴィチェンツァの思い出だ。
そんな事はともあれ、ヴィチェンツァはあまり知られていないのがもったいないぐらい美しい町だった。
ヴィチェンツァはユネスコの世界遺産「ヴィチェンツァ市街とヴェネト地方のパッラーディオのヴィッラ」の一部として登録されている。
ルネサンス期の優れた建築家アンドレーア・パッラーディオが手がけた美しい町並みで知られ、「パッラーディオの街」と呼ばれているだけあって、街歩きをしている最中はカメラを下ろす暇がないほどだった。
街中の公園のようなところには突然彫刻が現れるし、普通の車が通っている道のくせに見るからに歴史を感じる。
特にヴィチェンツァの中心地にあるバシリカ・パラディアーナは柱を組み合わせた開口部を持つロッジア(開廊)が初めて設けられたことで有名な建物で誇らしげに街を見下ろしている様が印象的だった。
町中が博物館のようにどこを見ても目を奪われる。
こんな所に住んでいるイタリア人はなんて幸せなんだろう。そりゃ、しゃべる言葉だってロマンチックになる訳だ。
なんて思ったのを覚えている。
この町が、まだイタリアのガイドブックのどこにも載っていないなんて少し不思議にも思えた。
もしこの町にほかの町よりも格安なゲストハウスがなければきっと私も訪れる事はなかった。私だって「泊まる場所」ぐらいの感覚でこの町を選んだのだ。
だけど、ヴィチェンツァに来ることを選んで本当に良かった。結果として7年以上も前になるイタリアの旅の中でしっかりと記憶に刻まれるほどの思い出になった。
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