パリとマカロン
フランスは私にとってすごく特別な国だった。
学生時代に、イタリアやイギリスに行った時も
この先を行けばフランスに行ける。
なんて考えながら空の果てを想像しては恋しく思った。
そんなフランスに初めて行ったのは、ヨーロッパ横断をした22歳の時だった。
友達がウィーンに住んでいたから、会いに行く次いでに1か月かけてオーストリア・イタリア・フランスを横断した。
その時の旅の終着地がパリだった。ウィーンから始まってパリで終わる旅にすることだけは決めていた。
でも、どうせ横断するんだったらイタリアからパリまで何都市かふらつこうと思いニース、アルル、リヨンを経由してパリに入った。
フランスは美術の国だ。
美術の専門学校に入って、絵の勉強をしているた私にとってどこの都市にいっても耳になじみのある画家の名前が目についた。
本当はもっともっといろいろなところに行きたかったけど、時間と経済力の問題で泣く泣く断念した。
海外の乗り物の中では日本のように寝てはいけない。
これは乗り物にのったら秒で寝てしまう自分へ散々口酸っぱくいってきたことだった。その甲斐もあったのと、初めての土地で緊張していたのもあって、この旅では寝台列車以外では寝ることがなかった。
しかし、リヨンからパリへの列車は1列の席だったし、日本の新幹線のように綺麗で居心地がよかったせいもあって、2時間程度の列車の旅だったが全く記憶がなかった。
そうして私は憧れのパリに降り立った。
そこからは夢のような4日間だった。いつかスクリーンで見た景色や、散々模写した教科書の中の絵画、まるで世界の主人公になったような気分でパリの街中を足取りも軽く駆け回った。
そんなに豪華な旅ではなかったから、食事はゲストハウスのキッチンを使って自分で作ったけど日本では見たことのない食材がならぶスーパーも楽しかったし、公園で食べるサンドイッチも最高に幸せだった。
豪華な旅ではなかったけど、美術館や博物館の観覧料は一切糸目をつけなかった。そのためにパリに来たのだ。
美食の町とも称されるパリだけど、当時の私にとってはフォアグラよりノートルダム大聖堂のほうが美しく見えたし、ポワレよりもサントシャペル教会の方が心を満たしてくれた。
だから帰国日の前日はルーヴル美術館の閉館時間が長くなる日を選んで、5時間以上もたっぷり滞在した。
それでも足りなかったぐらいだ。
充実した日ほど一瞬で終わってしまうのはなぜだろう。旅をしていると本当にそんな一瞬の毎日が目まぐるしく過ぎていく。一瞬で終わってしまう癖に、心の中は処理しきれないぐらいの感情が湧き上がってくるのも困りものだ。
この混沌とした脳みそと心を落ち着かせるには、成田空港までの間ではどうしたって足りない。
パリではあまり本当にたくさんの美術品と出会い、体中がほわほわしたまままだ教科書の中から抜け出せない頭で空港に着いた。
1か月という長いひとり旅だったから、日本が恋しくなることもあったけど、終わってみればどうしたって名残惜しい。
そうしてセキュリティチェックも終わり搭乗までの時間をふらふらとしていた時に見つけたのが大きなマカロンだった。
そういえば、フランスに入ってから私のお昼ごはんはマカロンの事が多かった。フランスに来る前からマカロンの存在は知っていたけど、そこまで甘党でない私は口にする機会がなかった。
しかし、フランスに入ってからはピスタチオ味のマカロンをとても気に入って見かけると購入してしまった。
ショーケースに並べられているマカロンはまるで宝石みたいにカラフルでかわいかったし、長旅で疲労が出てきたからだにやさしい甘さが染み渡った。
アルルからニース戻る時は駅前のスーパーに冷凍マカロンが売っていて2月の寒い中、帰りの列車で12個入りをすべて平らげた。
リヨンではマクドナルドにマカロンが売っていて驚いた。
パリではおしゃれなパティスリーばかりだったけど、どうしてもマカロンが食べたくて奮発して購入したのを覚えている。もちろんお土産もマカロンにした。
絵画だなんだと言っときながら、結局は胃袋もがっちりフランスにつかまれていたのだ。
こうしてフランスでの最後の食事は、私の手と同じぐらいの大きさもある大きなマカロンとなった。
それからというもの、私は事あるごとに自分へのご褒美としてマカロンを買うようになったのは言うまでもない。