「当たり前」の壁を壊す
このマガジンは継続課金マガジンですが、今回は試し読みということで最後まで無料で読めるようになっています。もし「続けて読みたい」、「もっと読みたい」と思っていただけましたら、お申し込みいただけると幸いです。
5人のクリエーターが「心に火を灯す」をテーマに綴る、誰かの心の「なにか」に火をつける共同編集コラムマガジン
*******
このマガジンで私のことを初めて知るという方もいると思うので、簡単な自己紹介を兼ねてお話ししたいと思います。
烏丸遼と申します。私の名前を聞いたとき、恐らくみなさんは「この人の性別は何なのだろう」、もしくは「この人は男性なのかな」と思ったのではないかなと思います。確かに「遼」という名前は日本において男性名としてよく使われるものです。そのため、字面だけ見たときにぱっと「女性」の印象を抱きにくいのです。
そもそも性別も女性か男性かという二元論で語れるものではありません。身体的性別もいわゆる女性/男性だけではなく、例えば半陰陽(インターセックス)と呼ばれる既存の「男女」の枠組みだけでは語れないものが存在します。性自認と言われる自分自身の性別についての意識も、MtFやFtM、Xジェンダーというような身体的性別と必ずしも一致しないものを抱いている人も少なからずいます。
日本では未だに男女という性別二元論が「当たり前」だと考えられています。けれどその「当たり前」というのは言い方を変えれば「偏見」に他なりません。そしてその見方は、自分の常識に含まれない人々を頭から排除してしまうのです。
ここで最初の話に戻りましょう。「烏丸遼」という名前を聞いたときに、私の性別を女性/男性という枠組みで捉えた人がほとんどではないでしょうか。どちらでもない、または身体的な性別と一致しない可能性を考えた人は少ないかと思います。つまり、「男女」という性別二元論というものを常識として持っているため、そこに当てはまらない存在に目が向かなかったと言うことができます。
私たちは常に「当たり前」という壁に直面しながらものごとを見ています。それはどんなに注意しても逃れられない呪縛でもあります。たとえどれだけ偏見のないように気をつけていても、必ず意識の外に追いやってしまう存在が出てきてしまうのです。
大学時代に学んだ社会学の初めの授業で、このようなことを言われました。
「当たり前を疑え」。「当然のことを当然と思わない」。
社会学は常に社会の在り方を問い、私たちの行為を考察する学問です。私たちが何気なく行っている行為にも何か理由があるのではないか、どういうメカニズムがあるのかを考える姿勢がこの一言に集約されていると思います。そしてこのような姿勢は普段私たちが生きていく上でも大切なことの一つだと私は考えます。
先日、一橋大学の法科大学院で同性愛の学生がアウティング(本人の意思に反して他者に重大な秘密を暴露されること)され、そのことをきっかけに自殺をしてしまった痛ましい事件がありました。この事件の原因の一つとして加害者が自らの「当たり前」の壁を疑わず、その「当たり前」に当てはまらない人々を受け入れようとしなかった点が挙げられます。自らの「異性愛」という常識で、被害者の学生を傷つけてしまったのです。
私はこのマガジンで皆さんの「当たり前」の壁を壊したいと思っています。私の知っている世界をみなさんと共有して、少しでも「当たり前」以外の世界を知ることに繋がったらこれ以上嬉しいことはありません。
さあ、一緒に「当たり前」の壁を壊す爆弾に「着火」しましょう!
著:烏丸遼(note:https://note.mu/heartgazer)
ここから先は
¥ 500
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?