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心配性・・・?

こんにちわ、東京の㓛刀(くぬぎ)です。
我が家では今年の11月、父がスマホを機種変したことをきっかけに、父、私、息子の三者が互いに位置情報を共有できるようになりました。

2週間ほど前のことです。父と息子がふたりで映画を観に行きました。
映画の終了時間から2時間ほど経ち、何の気なしに二人の位置情報を見ると、父と息子の位置が100メートルほど離れています。88歳の父が足の早い息子と離れてしまったのかと心配になり、「おじいちゃんと離れちゃったの? 大丈夫?」と息子にLINEしました。息子からはすぐに「一緒にいます」と返信がありました。

家に戻ってきた息子に「さっきはおじいちゃんが迷子になったのかと思ってさ」と話しかけると、息子は顔をこわばらせて「位置情報を見過ぎだってば!」と言い放ちました。
その言葉を聞いた瞬間、私は動揺して、「見過ぎってどういうこと? 私は今日一度しか見ていないしヒマじゃない。失礼なこと言わないで!」と声を荒げてしまいました。本来なら冷静に息子の言葉に耳を傾けるべき場面だというのに。

ここで、皆さんに軽蔑されるかもしれない告白をします。確かに私は位置情報のアプリをスマホに入れてから、日常的に息子の位置情報を見ていました。最初は1日1度くらいでしたが、息子がイギリスに修学旅行に行ったことをきっかけに頻度が増え、見ることへの抵抗感も徐々に薄まっていきました。

修学旅行の数日前に息子は風邪をひき、出発の朝もすっきりしませんでした。見送りに行った空港で別れ際、息子は私の眼をまっすぐ見て、「がんばってきます」と言いました。そこで一瞬ホッとした私でしたが、空港を後にし、時間が経過するうちに、「本当に大丈夫かな」と、不安がくすぶってきました。
息子の覚悟を尊重してドンと構えていればいいのに、息子から到着の通知がLINEで送られてきた後も、鎮静剤でも飲むように息子の位置情報を見ていました。居場所を確認することで、息子のことが「何もわからない」状態から一瞬でも脱することができ、「体調は大丈夫か?」「食べ物は口に合っているか?」などの妄想に歯止めがかかり、気が楽になるのです。

私の心配性に寄り添ってくれる、ありがたいデジタルツール。その魔力にやられた私は、見知らぬ土地の地図上に息子のアイコンが移動するのを見ては安心したり、彼の地に思いを馳せたりしていました。
私自身、それでも一抹の後ろめたさはあったので、位置情報を見ていることは息子に黙っていました。しかし息子はそんな私の行動をとっくに見破っていたのです。

先の話に戻すと、ヒステリーを起こす私を一瞥し息子は自分の部屋に行ってしまいました。
ブレーキの外れた私は息子を追いかけ、「ねえ、見過ぎってどういうこと?」と詰め寄りました。息子は、「位置情報っていうのは災害とか緊急の時に使うためのものじゃないの? そう思ってシェアしていたんだよ。何もない時に見るなんてプライバシーの侵害じゃない? 俺を信頼してないってこと?」と、怒り半分、悲しさ半分の表情で訴えます。私は破れかぶれの自己正当化を続けました。

「しょっちゅうなんて見ていないし、親だから心配になることもあるでしょう。それでも見ちゃダメだと言うの?」
「だからその『心配』ってナニ? 俺は遅くなる時とか、外でご飯食べる時とかちゃんと連絡入れているよね。危ない場所にも行かないし、友達だって真面目だし、心配されるようなこと何もしてない。特別な事態を勝手に想定して心配だって言うのはおかしい。あんまり心配されると自分が弱い人間に思えてくるのも嫌なんだってば!」

息子は母の行動に失望しながらも、力を絞って自分の考えを説明してくれました。もう言うべき言葉も話の着地点も見失っていた私は、「今すぐ位置情報の共有設定を解除する」と宣言し、その場で解除しました。
息子にはヒステリーの延長上の行為に映ったかもしれません。確かに勢い任せだけれど、「ここが着地点だったんだ」と、自分の中では妙に腑に落ちました。

「別にそういうことを言っているんじゃないのに」と呟く息子に、「普段は絶対に見られたくないんでしょ?」と聞くと、彼は「うん」と頷きました。
やっぱり私たちに位置情報のアプリは要らない、そう思いました。

思えば息子は帰宅が遅くなる時、いつも自分から「今日は遅くなる」とか「もうすぐ帰る」とかメッセージを送ってきます。そういう真摯な行為の積み重ねが、家族と信頼関係を保つために必要だと認識しているからだと思います。
そんな彼の健気な努力を、私は十分に理解し、尊重できていなかった。17歳の息子を一人の人間として心から尊重できていれば、一方的に彼の情報を得ることなどしなかったと思います。
もちろん、そうすることが必要な時もあるでしょう。でも明らかに私のしていたことは、プライバシーを覗く行為だったと思います。そんなことを私が続けたら、彼が言うように親子の信頼に傷がついてしまうでしょう。

少々手荒いやり方でしたが、私はアプリを削除することで、憑きものをはらし、冷静さを取り戻せた気がします。
憑きものの正体は、私自身が生み出した心配性という名目の支配欲かもしれません。心のどこかでもうアプリを見てはいけないし、見たくないと思っていた自分にも気づきました。

その一件から2週間ほど経ちますが、今のところ位置情報への禁断症状は出ていません。息子からの自主的な情報提供だけで、充分に安心を得ています。
今回を機に、身近な人の情報は一方的に得るものではなく、お互いのコミュニケーションの中から得るのが良いと気づきました。便利なデジタルツールによって、子離れできていない私の未熟さが明るみに引っ張り出されましたが、そのことを自覚できたことも貴重な経験でした。
容赦なく不満をぶつけてくれた息子にも感謝です。息子に指摘された内容をしっかり反芻し、子離れ策に生かしてゆきたいと思います。

2024年12月30日
東京都/㓛刀知子 
NPO法人ハートフルコーチ




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