全わたしが泣いた。ジョーカー/フォリ・ア・ドゥ感想
待ちに待ったジョーカー続編
2019年のジョーカーに衝撃を受けてから5年も経つなんて早いもので、続編が公開されるとなって心躍りました。今回はなんと私の大好きなレディ・ガガ様も共演されるとのことで期待値が上がります!(以前ハウスオブグッチでめっちゃ演技上手い⁈と、音楽以外の才能にもビックリでしたので余計期待大)
今回はネタバレありで映画ジョーカー続編の感想を書きたいと思います。ネタバレしたくない方は、ぜひ映画を見てからご覧いただけますと幸いです。
アーサーに共感しまくりの自分
前回、テレビの生放送中に司会者を射殺して捕えられて収監されたところで映画が終わりましたので、今回の冒頭は監獄の中から始まります。(監獄病院という設定です)
いきなりガリガリのホアキンフェニックスの姿に目を見張るとともに、自分の糞尿を朝イチで始末させられる描写から、囚われる前から社会的に人権が無かったのにますます人としての扱いをされていない様子がパワーアップされていました。
その様子が、すごく今の自分と重なる感じがして、ああ、アーサーはやっぱり自分と同じなんだ…とそこでもう共感が激しく波打ちます。
監獄病院の看守たちの、犬畜生を見るような目線と扱いはアーサーだけでなくて囚人たち全体に向けられており、まさに生殺与奪の権を全て握られています。
その看守の気まぐれで精神病患者の聖歌クラブに参加させられるアーサー、その人たちの中に我らがガガ様演じる女性(ハーレイ・クイン)が居ました。女性はアーサーを「ジョーカー」としてヒーロー視していて、彼に近づくために精神病院にわざと入っていました。アーサーに、嘘の不幸な身の上話をして近づいていって、アーサーも彼女に好意を持ってしまうのも哀れというか…
ジョーカーに対して、彼女だけでなく大勢の民衆が支持をして、街は荒廃を極めていく状況、アーサーの裁判が生中継されてますます社会現象になって、社会から見放された人々がどんどんヒートアップしていく様も、あぁ自分もこの民衆の1人になるなあ、と思いながら観ていました。
中でも圧巻の歌唱シーンの数々
時折、アーサーの妄想が広がって女性と歌い踊るシーン、セリフが有名な歌と重なっている演出、ミュージカルのように音楽とストーリーが折り重なるシーンがあり、続編は楽曲シーンが豊富に散りばめられています。
私はTOHOシネマ新宿の広いスクリーンで見たのですが、そこそこ人が入っていましたが隣の男の人は途中でいびきをかいていました。私は全てのシーンが刺激的だったので、この映画で寝る人なんているんだな、とビックリしましたが、観る人によってはこの音楽シーンの多さがつまらないと思う人もいるのかもしれません。
ただこの歌の数々は昔から大変有名な曲が使われており、歌詞の内容とジョーカーの世界観に繋がりがあるばかりか、その名曲の素晴らしさと、凄惨な場面との落差がより心を締め付けるので、寝ないでちゃんと観てればすごく意味が含有されているので、ものすごく考えさせられます。
結局世界は絶望しかない
映画の後半になるまでアーサーの絶望的な状況と裁判と妄想、が繰り返されるがまま時間が過ぎていき、全く希望が見えないまま、ストーリーがどこに着地するのか全く予想できないでいると、とうとうアーサーの裁判に判決が出て有罪が確定…すると突然法廷の壁が爆発し、人々が吹っ飛ばされます。
アーサーに熱狂した人々が爆弾を仕掛けたらしく、アーサーはその爆発で出来た穴から外に逃げ出し、彼女(ガガ様)の元へ向かいます。でも、アーサーはすでに自分の中のジョーカーと自分を同化させることをやめており、殺人への後悔や戸惑いを感じていて、そこに残酷でダークヒーロー的なジョーカー感が薄まってしまっていることに彼女は失望しており、彼女はアーサーを見捨てていってしまいます…。茫然自失するアーサーは警察に見つかってまた捉えられてしまい、監獄に逆戻り。結局そのまま死刑になってしまうのか…どうあがいても希望がこの先待ってるとは思えなくなってきます。
そしてクライマックス。アーサーの近くにいつもいた若者の囚人がある日アーサーと2人きりになる瞬間に、アーサーを呼び止めた…と思った瞬間、いきなり何度も刃物でアーサーの腹部を滅多刺しにして、笑いながら殺されてしまいます。恐らくガガ様と同じく、ジョーカー感が薄れたことで逆恨みのように殺されてしまったようです。
映画のラストシーンは、名曲が流れる中、血まみれになり倒れるアーサーで映画が終わっていきます。
衝撃のラストシーンに感じたこと
もう、このラストシーンにエグいぐらいの衝撃が走りました。
私はこのシーンに、アーサーがまさに「ピエロ」として人々に使い捨てられる様子が描かれていたな、と思いました。
幼少時に母親からの虐待を受け、社会に出ても雇用主や町のギャングになじられ、社会保障からも見捨てられ、人として世界からその存在をゴミカスのように彼は扱われてきました。
ジョーカーとして、センセーショナルな殺人を行なった事で社会から爪弾きにされた多くの人の象徴のように持ち上げられて囚人になってからは、アーサーの姿はジョーカーとして勝手に一人歩きして何か人々の不満をぶつける先として熱狂を受けますがアーサー自身を人間として救おうとする人は1人もいないし、弁護士もきちんと人として見てるとは言えません。
(おりしも、先ほどこの映画を観ながらいびきをかいてる男性がいたのも、こんな凄惨なシーンが多いのに寝ていられる神経と、他人の悲しみなんてどうでも良いと思ってる連中がこの世にはゴロゴロしてる、ということを想起させて皮肉が効いています)
この、人々の不満の受け皿としてのジョーカーとなったアーサーはただ人々に遊ばれただけのおもちゃのように使われ、そして使い捨てられた「ピエロ」となって絶命した瞬間、前回の映画の冒頭がピエロとしてメイクを施すアーサーから始まったことを思い出すと、この2作でループしている演出が感じられます。
そして名曲「That's Life」が劇中歌として鍵となっていることからも、この絶望的で全く救いのない社会こそがこの世界なのだ!というある意味小気味いいぐらいのメッセージが伝わってきます。
私事ですが、昔他人からひどい被害を受けたことがあって、この映画を見る前にその危害を加えた人を訴えたいと方々に相談した時期でもあり、色々情報を集めた上で訴えを起こすことを諦めた時期でした。
世の中って本当に法律などでは解決できない、泣き寝入りするしかない事が山積しているのだ、と個人的に思い知ったばかりだったので、まさに自分のことを言われてる気がしました。
世の中は本当にクソなことばっかりです。傷ついても救われず、悪行を働く連中はのうのうと恵まれて生きているし、罪を犯したものはなんの罰も与えられず笑顔で堂々とのさばっています。それが、この世の中なのです。
でもそうやって傷つきながらなんの救いもなく生きてる人が、ほとんどです。それをこうやって素敵な歌と映像で寄り添って語ってくれてる事がすごく嬉しかったし、悲しい思いをして血反吐を吐きながら生きてるのは自分だけではない気がして、血まみれのアーサーを見ながら嬉しくて嬉しくて、涙が出てきました。
私は、自分の心にもう癒えることのない傷を与えた連中のことを、死ぬまで恨むだろうし、その連中がもがき苦しみながら死んでいくのを心から願いながら生きています。出来ればその連中の大事な家族もぐちゃぐちゃになって凄惨な死に方をすれば良いのに、といつも思っています。そんな自分を責めたりすることもありましたが、映画を観て、そう思っても仕方がないじゃないか、それが人生だもの!と、自分を少し許せたような気がしました。
映像、音楽、ストーリーともに最高
かなり個人的な感傷が入ってしまいましたが、そもそも出演されてる俳優さんたちも最高の演技だし、特に主演のホアキン・フェニックスさんが私は大好きなので、この方の鬼気迫る演技や肉体改造の姿も一見の価値ありです。
また、今回の音楽を魅せる演出を可能にしているのは間違いなくレディ・ガガさんによる歌唱シーンがあるからこそ。この歌だけでも観に行くだけの理由がありそうなぐらい素晴らしいものがあります。
前回のジョーカーのあのセンセーショナルな後味とはまた違う、よりディープな哲学感や人間味もねっとり、じっとり感じられる続編は是非前回を見た事がある人にこそ観てほしいし、前回を見てない人にも分かるストーリー展開になってますので、これを観たら是非前回のジョーカーも各種配信サービスで観れますので追いジョーカーしていただきたい!と思っています。この秋大人なダークエンターテイメント、楽しんでみてください。